信乃さんは定年後も、異世界で助産師をしているらしい。

花澤あああ

第1話 信乃さんは定年退職の日に異世界に召喚されたらしい

「ど、どないしょ……。」






サンが依頼人を手当てしながら相棒のココの方を見やる。


サンはエルフの祈祷師である。レベルはあまり高くない。以前は冒険者をしていたが、稼げないため今では街の中での仕事に専念している。フリーランスのため種族や職業に関係なく誰のもとにも雇われる、とても腰の軽い祈祷師であった。


この世界では基本的に、病人や怪我人の世話を祈祷師や回復魔術師が行っていた。そのため今回もいつもと同じ感じで軽ーく引き受けたというのに……。


残念ながら依頼人は、思い付く限りの手当てをしても一向に症状が変わらない。


いつもはその向日葵のような髪色と同じくらい明るい表情も、今日ばかりは萎れている。紫色の垂れ目はさらに垂れており、ゲジゲジ眉毛も過去最大級に下がっている。




一方、相棒であるトナカイ獣人のココは、角を触りながら難しい顔をしている。落ち着かないときには、無意識に自分の角を撫でている。つやつやの黒髪は顎のあたりで切り揃えられているが、今はかきむしっているのでぼさぼさだ。切れ長の目が涙ぐんでいる。


色白の肌はいつも以上に白くなって、いつもはプルプルのピンク色な唇だって青ざめている。


満タンだったはずのMPは回復術を何度もかけたため、もうほとんど残っていないことを感じていたからだ。


ココは獣人には珍しい魔術師で主に回復職ヒーラーをしているが、サン同様あまりレベルが高くない。器用ではあるが魔力量がもとから多くなく冒険者向きではないため、フリーランスで依頼に応じて回復魔術をかけるだけの簡単なお仕事をしている。最近はサンたちと組んで似たような依頼を受けて、それなりの実績を積んでいた。




自分たちだけの仕事はギルドやら協会やらの中抜きがないため、そこそこの儲けがあるかわりにこういった緊急事態も自分達でどうにかしなくてはならない。








「こうなったら、サン。奥の手を使うしかないわね……。」


「奥の手、て―― 」


「貴女が、スーから教えて貰っていた術よ。」


「ちょ……! 無理やって! スーは教え方適当だし、そもそもうちの得意分野と違うし……、だからあんま、やったこと、ないし……。」


「でも、他に方法は……。」








ココはもう一度回復魔術をかける。手のひらから淡く緑色の光が出るが、苦痛の表情は変わらない。


目の前で横たわる依頼人をみて、サンは決意を込めるかのように拳を握る。








「ココ。失敗したら、助けてな? 」


「――出来る限りのことはするわ。」




ココの言葉を聞いてから少しだけ依頼人から離れる。サンが手のひらを広げると、ぐにゃぐにゃとした形の小振りの杖が現れた。


冷たい石畳の上にその杖をペンのように動かすと、うっすらとオレンジ色に光る線が波打ち、円を描き、その周りに文字とも記号ともつかない紋様が並びはじめる。


光る線を目で辿るとそれが魔方陣であることがわかり、その中心に古代の文字を書き始める……はずだが。








「ココぉー。なあ、綴りこれで合ってる? 」


情けない顔でサンが振り返る。


「……古代文字を、私がわかるとでも? 」


「こぉやったと思うんけどなあ……。こっちはええやろ? 」




サンは、文字をひとつひとつ指差し確認する。




「"生きる"と"命"はこの綴りでええやろ? "助け求む"、"産まれる"、"師…"じゃなくて、違った"精霊"はこう……」






鋭角な文字を杖で書き付け、良しっと声を出す。


小降りな魔方陣が床に描きあげられた。


最後に杖を付き、呪文に魔力を込める。


呪文と共に辺りを薄桃色の光が包んで、魔方陣の古代文字が浮かび上がる。


祈るようにサンが呪文を歌う。




(優しい優しい聖霊さま、たのんますよー! )




薄桃色の光がやがて白くなり、さらにまばゆく光って聖霊を呼ぶ。部屋一面に広がった光はやがて中心部に収束し、閃光のヒトガタをつくった。


閃光は点滅し、さらに中心部から浮かび上がるようにヒトガタが色がつく。人間の配色に。やがて光を失い、ヒトガタは手足を動かし、それからキョロキョロとあたりを見渡し始める。


そのヒトガタは聖霊のように浮遊しておらず、足はしっかりと地について。白いくつ、白いズボン、白い上衣。白の混じった頭髪。こじんまりした体つき。


つまりは、白衣を着ているただの小柄な中年女性が立っていた。






「えーっと、ここは……? 」




小さいながらはっきりとした声が、ココとサンの耳に届く。


声の主は、困ったようにメガネをくいっとあげている。




「ひ、ひと……! 聖霊じゃない! もしかして異世界人、召喚した………? 」


「やっぱ召喚失敗!! ど、どないしょ………!」




「……召喚………? えっと、あ、その人は、お腹が大きいけど妊婦さんですかねえ? じゃあ、ここは病院か産院なんでしょうかね? 私、もしかして、お産に呼ばれたんでしょうか……? 」


あわあわしているココとサンの後ろには、お腹の大きな依頼人が青い顔をして踞ったままであった。


ふたりは慌てて依頼人に駆け寄った。




「もうまる二日、陣痛があるのに産まれないんですの……。」


「ココ……! この人は聖霊じゃないのに………! 」


「だって、貴女が助けを求めて召喚した方よ。何か解決できるかも知れないじゃない。」


「そ、そやけどもぉ……。」




「ねえ、ここには、医者は居ないの? 産婦人科医は? 」


「医者……? 出産なのに医者はいないわ。彼女は祈祷師のサン。出産の手伝いをするのは祈祷師の仕事のひとつよ。


私は回復職のココ、サンの手伝いをしているの。本来なら召喚師含めて三人で出産や簡単な病気のケアをしているのだけど、召喚師は前皇帝に呼ばれて古都に行って居ないから出産を助ける聖霊を上手くよべなくて………。かわりにあなたを召喚してしまったみたいなの。」


「ほんまにごめんなさい。分娩を助ける聖霊の召喚術のはずやったんですけど。うちは祈祷師で召喚が専門やなくってですね………。ああ、ほんまにごめんなさい。」


「祈祷師………なるほど。ここは医者や助産師がお産をとるわけじゃないのかな……。よく分からないけど、私は坂之井信乃、助産師――産婆とも言うかな。ちょうどよく出産を助ける仕事をしていたんだ。今日ちょうど定年退職だったんだけどねえ。」


「ジョサンシ? サンバ?? テイネンタイショク?? 」


「よく分からないけど、出産を助ける仕事をしていたってこと? 」


「そうね。召喚てのはわからないけど、つまり私はお産に呼ばれたってことでしょう?まあ、出来るかどうかやってみましょかねぇ? まずは―――こんな冷たい石畳の上じゃ冷えちゃうわ。ソファとかベッドとかないの? ほら産婦さんの身体が冷たいじゃない。足湯準備して!! それから―――」




信乃から矢継ぎ早に指示を受けたココとサンは、条件反射で師匠の指示のようにピンと背筋を伸ばして返事をした後に、指示されたように動き出した。






異世界でお産が始まるようです。


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