急変

D.I.O

第1話 1-1

「行ってきまーす」

美香は急いで玄関の扉を開け、ガレージに置いてある自転車にまたがった。

吹奏楽部の朝練習に向かうためだ。


今朝うっかり寝坊してしまった彼女は、練習の開始時間に間に合わなくなりそうでとても焦っていた。

吹奏楽部の部長は時間には厳しく、遅刻をしようものなら部長の逆鱗に触れてしまう恐れがあるからだ。


ところが、家を出発しようとする直前、急に雨が降り出した。土砂降りとはいかないものの、

すぐに本降りの雨となった。

「なによ、雨なんか降らないって天気予報で言ってたのに」

美香は焦る気持ちを抑えながら、傘立てに一本だけ立ててあったビニール傘を取り、

バッグを背中に背負いこむと急いで学校に向けて出発した。


通りに出てすぐに角を曲がると、そこには女の人がハンカチを頭にあてながら走っていた。

OLのようだ。

美香は自転車をこぎながらそのOLらしき女性の横を通り抜けようとすると、

「ちょっと、すみません」

と声がした。


この声が自分に向けられたものだと美香が判断するまでには、それなりの時間が必要だった。

美香を呼び止めたのは例のOLだった。

「あたしですか?」

美香はゆっくりとOLの女性の方に振り向くと、呼び止められたのが自分かどう

かを確認した。

「ええ、そうよ」

OLの女性が答える。

「何か御用でしょうか?」

美香は訝りながら訊いた。相手は見ず知らずの他人だったからだ。

「傘をお借りしたいのだけれど」

OLは言った。


「えっ?」

美香は思わず声を漏らしていた。

「傘を、ですか?」

「ええ、そうよ。でも、あなたの持っているそのビニール傘じゃなくてもいいわ。

家にある別の傘を貸していただければ。あなたの家はこの近くなんでしょう?」

OLがハンカチを頭におさえながら笑顔で言う。


「どうしてあたしの家を? 失礼ですけど以前どこかでお会いしたことありましたっけ?」

口ではこう言ってみたものの、やはりこのOLの人とは面識がないと美香は思った。

確かに自分の家は角を戻ってすぐのところにあるのだが、

どうしてこの人は近くにあることを知っているのだろうか。

そもそも、何故知りもしない人に傘を貸さねばならないのか。


「いいえ、あなたとは初対面よ。今日は天気予報で雨が降るなんて一言も言ってなかったでしょう。

それにこの急な雨も降りだしてからまだ5分と経っていないわ。

それなのにあなたは傘を持っている。しかも折りたたみ傘ではなく、ビニール傘をね。

中には折りたたみ傘を常に携行してしている人も居るようだけれど、

ビニール傘を常に持っている人なんて滅多に居るものじゃないわ。雨が降りだして間もないのに

あなたは傘をさしているから、きっと家が近くにあるんじゃないかと思ったのよ」


なるほど、そう考えれば一応納得はいく。


「納得していただけたなら、傘を貸していただけるかしら。私、急いでるの」

「え、でも・・」

自分だって急いでいる、と美香は言いたかった。ただでさえ部活の朝練習に遅刻しそうなのだ。


「早くしていただけないかしら? こうしている間にも私が雨に濡れちゃうじゃない」

OLが次第に口調を強めてきた。

「ごめんさない。あたしも急いでるんです」


そう言って美香が自転車の乗ろうとすると、OLは美香の右手を掴んできた。

「待ちなさいよ! それじゃこの私は濡れて会社に行けと言うの? 早く傘を持ってきてちょうだいッ!

何ならあなたのそのビニール傘でも良いのよ。どうせ家は近いんでしょう?

取りに帰れば済むことだわ」

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