爆葬
押田桧凪
第1話
推しの爆葬が決まった。遺書に、本人の筆跡でそれを望む旨が書いてあったそうだ。
もともと心臓の持病があった。持って何年かの命だと医師から宣告されていた。私はその事実を推しの公式サイトに載せられたプロフィール欄のような、あくまで一つのデータとしてしか見ていなくて、ずっと訃報を信じることができずにいた。声は出なかったけど、がむしゃらに泣いているのだけは自分でも分かった。推しがいることで生きながらえて来た毎日が全て嘘だったかのように思えて、これまで押し殺してきた何かが壊れるのを感じた。
頭では分かってるんだよね。ねぇ。私が周りよりも喋り始めるのが遅かったのか、けれどそれを個性として尊重してくれたお母さんの口癖はいつもこうだった。それが、今になって思い出されたのは、自分の意思とは関係なく身体が日々動かなくなっていくような老いにも似た無力感に打ちのめされているからなのかもしれない。そう思い至って、私はまた目の端が千切れるくらい泣いた。
「推しの誕生日のことを、延命記念日って言うのやめなよ」
推しているメンバーは違えど、同じ男性アイドルグループのファンとして親友だった仁美は私に忠告をするように眉根を寄せてこう言った。
「だってえ私が生きてるのはひさし様のためであって、私のためじゃないよ?」
もう、誕生日は来ない。推しによって生かされ、推しがSNSを更新することによって辛うじてつなぎ止められていた命は、初めて私だけのものになった。けれど、推しのいない世界に未練は無かった。
SNSにのめりこんでいたのは、私じゃなくて、推しに捧げる私だった。リア垢なんか要らない。私にとって、推し用のアカウントだけがリアルと地続きで、そうやってネットとの境が曖昧になっていった。
〈ヒッサーって確かにスピリチュアルなとこあったもんね。〉
〈ひさしクン、爆葬ってマジ?〉
〈いやだ。信じたくない〉
〈ねぇなんで私を置いて死ぬの。それなら、私が代わりに……〉
〈#ヒッサーの身代わり がトレンド入りしてて笑う〉
〈オタク怖。集団幻覚でも見てんのか?〉
〈あたしは勿論、爆葬反対派〉
とめどなく溢れて、目の前を流れていくタイムラインを必死で追いながら、自分の言葉でつぶやくことに恐怖を感じていた。もし私がひさし様だったとして、それを見ることが無いにしても死後に何を書かれてるか、というのは本人にとって大きな問題だと思うから。そうやって、自分の中に推しを生かし続けることで私は安定を保っていた。不器用だった。推しがいなかったら、一人で立つこともできない自分が情けなかった。
正直に言うと、「爆葬」という選択が私にはまだ受け入れられなかった。私一人の力でどうこう言えるものじゃないけれど、それで本当に成仏できるのか疑問だった。
今から138億年前に起こった爆発的膨張「ビックバン」によって宇宙は誕生した。それと同様に、生命の循環の中で「無に帰する」ことはひさし様にとって「爆発」を意味していたらしい。だから、彼は「爆葬」を希望した。
お金があれば月に墓標を立てることだってできるこの時代に、あえて彼は爆葬を選んだのだ。けれど、私には意味が分からなかった。ひさし様が何かの宗教にハマったという話は聞いていなかった。
より高額なプランになると、富裕層向けに宇宙での爆葬なるものも存在する。これはアポロ計画で地殻調査のため、月面に人工地震を起こす際に用いられた
照山
推しのいない葬式。当たり前だ。死んだんだから。そう自分に言い聞かせながらも、毎年「本人不在の誕生日会」を自宅で開いてきた私にとってオタク趣味ではない方の、祭壇に立つことに大きな違和感があった。全て何かの間違いだと思った。
『階段の踊り場でジダバタしながら息絶えるセミとか、手のひらの上で光を散らせながら死んでいく蛍みたいにはなりたくないな。やっぱ、アイドルとしての死をファンは求めてるわけじゃん? 俺はそんな器じゃねーよって思う(笑)』
ネットニュースでは数年前のインタビューでのひさし様の回答がすぐさまリアルタイム検索ランキングの上位にくい込み、話題になった。今思えば、この言葉がひさし様が爆葬を決めた一番近い理由で、もっともらしい説明である気がした。けれど、私はその真意を測りかねていた。
公式発表から数日後には地方の製鋼所、国土交通省の協力を得て爆葬地の選定が行われた。輸送の安全性を考え、水溶性の硝酸アンモニウムを主剤としたエマルション爆弾の中間体であるANEが試行段階で採用された。ちなみに、「火葬的爆発」は火薬類取締法の適用除外により、爆発性物質(同法第2条第1項第1号に掲げる火薬及び同項第2号に掲げる爆薬)の野外での使用が認められている、とニュースで説明があった。
私にとって、推すことは信じることだった。何かを守るために犠牲がつきものだと教わったから、進んで推しに全てを捧げることで、身体が浄化されている気がした。一時間コースのセラピーやマッサージに劣らない快楽がそこにあった。けれど私は課金を通して、推しを栄養として摂取するだけの肉体に飼い慣らされているだけだった。
腐っても人間だった。私は推しの命よりずっと自分の命が大切だなんて知らなかった。誰かの命を天秤にかけることは、自分の存在がそれに比べてずっと矮小なものだと認めることだった。
死後にいくら美化されたところで酒の肴くらいにはなるだろうけど、腹の足しにもならないし、犬も食わない。私にはそれくらいの価値しかないだろうに。どうせ骨になる。燃えて塵になる。散ったところで拾うやつもいない。それが私。でも、ひさし様は違う。
人生で一度しか受けることができない祝福。それを「死」と捉えるなら、その境地に立ってなお、推しは完全であり続けるのだと思った。
およそ正装と呼ばれる格好に着替え、ひさし様に関するあらゆるグッズを大型リュックに詰め込んだ。アクリルキーホルダー、等身大ポスター、デスク周りに置くペンライト、手帳用ステッカー、その他小物……。推しのメンバーカラーのネイルはやむなく落とすことにした。お焼香がないのなら、せめて推しの香りを撒けたらと考え、ひさし様がプロデュースした香水を首筋になじませながら、軽い足取りで家を出た。大学の入学式以来に着る黒スーツだった。花は用意しなかった。それは、ひさし様の言葉がふいに脳裏をよぎったからだった。
『花言葉を調べてその意味にあったものを贈るのってなんだか違う気がしてて(笑)だって、意味深じゃないですか。だから、僕が死んだときにそうやって変に解釈されるのも困るな』
会場に着くとだだっぴろい荒野のなか、ペグとロープで区画整理が行われていた。流線型のメルセデスベンツの霊柩車が奥に構えている。彼の遺族は先日、遺体の立ち会いを済ませ、会場入りしているとのことだった。
入口には金属探知機が設置されており、私は長蛇の列に並んで手荷物検査を済ませた。ごった返す人の波に揉まれながら、献花台へとまず向かう。ピンクのカサブランカ、白の胡蝶蘭、トルコ桔梗が豪華絢爛に飾り立てられている前で、あーあそうじゃないのにな、と思いながら私は手を合わせた。
死装束、遺影、会葬礼状、返礼品、骨壺、
予定時刻になると、白髪混じりの葬儀社員らしき男性が壇上に現れ、鷹揚な口調で「えーこの度は……」と話し始めた。同時に、会場の中央に設置された背景の大モニターが回想の映像を無音で流し始めた。長い挨拶が終わると、グループのメンバーを代表してリーダーの市川蒼太が訥々と弔辞を口にした。
始まりは一瞬だった。どかん、と何かが燃えた。黒い煙が渦のように巻き上がった。花火かと思った。ジリジリと焦がしていくような痛みにも似た、耐え難い熱が身体中を泳ぎ回る。熱かった。振り乱した髪を後ろにまとめる。うっすらシャツの下が汗ばんできた。キャンプファイヤーを囲んでいるような一体感があった。野外での爆発実験場とも言える
連続してあふれる音は、かまどに竹を焚べた時のバチバチと爆ぜる音とは比べものにならなかった。高架下を新幹線が通り抜ける時のような、大きな振動が何度も訪れ、何十回目かの爆発の連続の最中で、大きなビープ音が鳴らされるのが聞こえた。私はすぐに音の鳴る方へ目を見やる。
ファンが暴れていた。どうやらライブ終了間際に降ってくる銀テープに見えたのか、70メートル先から風に吹かれて空から落ちてくる灰を無我夢中でつかもうしているようだった。制止を振り切って、会場のあちこちで暴動が起こった。彼らが警備員に取り抑えられて退場していく様子を見ながら、私も一歩間違えれば、あの様な醜態を晒していたのだろうかと思って、虚しくなった。爆発させることが何よりの供養だということに、少しは納得できた気がした。集めたくなる気持ちも理解できた。形がほしかった。「いた」ことがほしかった。骨は木っ端微塵になった。甲子園の土を持ち帰る高校球児の気持ちはこんなものなのだろうかと思ったが、私には分からなかった。それから、ちょっとだけ泣いた。
現場では大型のカメラを持ち込んだ報道陣も多く詰めかけていた。「※専門家による指導のもと安全に配慮して撮影しております」というテロップが右下に小さく表示されながら、各種メディアで同時にライブ中継が行われているようだった。
バーン、バーン、バーン。バ。バ。バァァァン!!
私は防護メガネ越しに広がる世界が曇っているのか、煙が激しく立ち上っているだけなのか区別がつかずにいた。ただ、そこに推しがいることだけは分かった。推しと同じ空気を吸っていた。推しは雲になった。空にのぼって、消えた。
この爆煙が、仏の魂を天上に導くのだと先ほど僧侶から説明があったことを思い出し、少しだけ手が震えた。
私たちは生き延びるために推しを共有した。けれど推しの死に必要なのが慰めや弔いではなく、大いなる代償だとすれば、私はやっぱり幸せになれなかった。精神の禊のようなものだった。何の対価も支払わずに推しを享受した私への罰だった。
私は、ひさし様が笑った時にできる目の皺を正確に描写できるし、インタビューでしか明かされていないホクロの位置も把握している……はずだった。だけど今となっては声を忘れて、形を忘れた。推しが生きる今はなくて、私が生きる今だけがあった。グループの解散疑惑も、活動停止の報道も私にはどうでもよかった。
指を滑らせればいくらでも湧いてくる情報一つ一つから推しの存在を感じ取って、生を汲み取って、曲を聴いて、実感する。バイトをして、節約して、貯金に励む。グッズを買う。そんなしんどい毎日が切なくて、だけどどうしようもなく好きだった。
生きてるのか死んでるのかを隔てる壁はきっとネットとリアルの境目くらい曖昧だった。改造人間が蔓延った未来では人間の定義が拡張されるだろうし、死後に本人に代わって運用されるアカウントのつぶやきに体温を感じてしまうくらいに私たちは末期だ。AIが描いたのか、botのツイートかなんてどうでもいい。ただ緩やかな死がほしくて生きている。推しがいれば、それでよかった。
推しが神格化されて、それに縋ることでしか生きられなかった私たちは不死の存在には程遠く、弱かった。だから、推しの死を祭り上げることで安息を得た。
爆ぜろ、と願った。与えることでしか足るを知らなかった私みたいな人間は爆ぜても何の問題はない。報われたい訳でも、認められたい訳でも、死に救いを見出してる訳でもなかった。
推しと一緒に爆ぜてしまいたかった。
爆葬 押田桧凪 @proof
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