雪原の二人

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二人

 真っ白い、前方が朧気に歪む吹雪の中を歩く二人が居た。


 一人は防寒具を身に着けるガスマスクを被った女、もう一人は女の二まわり程の体躯を持つマントを着た大柄な男だ。男には幾本もの生命維持ケーブルが身体中に突き刺されており、頭部を覆うヘルメットには一際目立つケーブルが繋がれ、絶え間無く浄化された空気を肺へ流し込んでいた。


 一步、また一步、吹き荒ぶ吹雪の中を進んでいた二人は、放棄された補給施設を発見した。真っ白い中でぼんやりと見えた建物はこれまで見たどの建物よりもしっかりと姿形を残しており、物資が底を尽きそうないま、二人には其処が楽園のようにも思えた。


 女を下がらせ、防護扉をこじ開ける。電気が全地域で落とされた為、扉を開けるには専用の道具が必要であったが、男の両腕から伸びる機械腕があれば道具を使う必要は無い。男は内部の状態と侵入者迎撃用装置の作動が無い事を確認し、女を中へ引き入れる。


 何度も何度も何度も同じ行動をした、自分たちを追う存在が死に絶えた今でも命を狙われる危機感と緊張感が抜けることはない。尤も、彼らは自分達の落ち度で死に、未来を閉ざした為、振り返る必要も無いのだが、男は愛した女を守るため逃げ続けていた。二人だけで、ずっと、逃げていた。


 男は補給物資を集めに行った女を遠目で見送り、情報集積装置が安置されている部屋へ向かう。彼女ならば役に立つ物を自分よりも見つけて来れるだろうという安心感―――信頼を持っていた。これまでもそうだった。男はコントロールパネルの蓋を開き、自身の腕からジャックコードを引っ張りハッキングを開始し、ものの一秒で完了させる。自分が組んだセキュリティプログラムを突破するなど簡単な事だった。


 キーを叩き過去の記録を閲覧する。前責任者の記録、施設待機人員の記録、作業目録、物資記録……攻撃被害自動記録。施設は一年前に閉鎖されて以来、誰一人として訪れた記録は無い、つまり安全という意味だ。男は施設の生活区域にのみ非常電源を入れ、情報集積室を後にした。


 「此処に人はいないみたいですね……また、ここも」


 切れかけた電灯が何度か点滅を繰り返し、おんもらとした明かりが照らす一室で女が呟いた。


 「私は間違っていたのでしょうか……」


 間違っているはずがない、間違っているのは老人達だ。怒りに身が震え、声を荒らげようとも声帯を切り取られた喉からは声は出ない。男は女を強く抱きしめ、何度も頭を振るう。


 己を唯一愛してくれた女をみすみす見殺しには出来なかった、どんな手段を用いようとも女を救う意志が男にはあった。だからシェルターを抜け出し女と共に彼女が望んだ場所へ向かおうとした、逃げ続けた。己の命が尽きるまで、命と呼べる何かが無くなるまで、唯一人の愛する者へ捧げると決めたのだ。


 彼女が間違っているはずがない、彼女が間違いを犯すはずがない、死んでいい人間であるはずがない、楽園の……礎になっていいはずがない。生きていいのだ、こんなにも優しい人間が死んでいい道理は無い。道具として酷使され続けた己を、人として扱われなかった己を救ってくれた彼女は生きる権利がある。そう……信じてきた。


 「……苦しいですよ」


 女の声にハッと我を取り戻した男は慌てた様子で彼女の身体を擦り、怪我が無いか確かめる。その様子に女は柔らかな笑みを浮かべ、優しく抱き返した。


 「大丈夫ですよ、貴男は本当は優しい人、私に傷を負わせる筈がないんですから。だから、安心して……」


 白い肌は血の気が引いたように青白く、栄養ブロックを決められた時間に食べているのに唇は紫色のまま。体温が低い、血圧も低い。……彼女の命は残り少ない。


 デザイナーヒューマンである女は長い期間を外で生きられるように調整されていないのだ。定期的にバイオカプセルに入り、肉体の細胞を再構築させなければ生きられない。その様はまるで籠の中の鳥のよう。女の命が尽きる前に彼女が望んだ場所へ辿り着けるのだろうか、救えるのだろうか、男の胸に不安が過ぎる。


 思考を巡らせ、あれこれと考えているうちに微かな寝息が聞こえた。ふと視線を女の方へ向けると、彼女は男に寄り添うようにして眠っていた。少しでも、体力を回復しなければならない故に、女の睡眠量は日に日に増えている。


 女をマントで包み込み、背負った男は荷物を纏め歩き出す。時間が、命が、尽きる前に、再度吹雪の中へ足を踏み入れて行く。希望を求めるために、進まなければならなかった。


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