英雄 帰還


「ヤマト様が……ヤマト様が殺された! 」


 蒼が敵の英雄を殺めた事で、周囲の兵士が一人大きな声を上げる。

 その声に反応し、他の兵にも動揺が伝播していき、最終的には隊全てまで行き渡る。


 ─コレで退いてくれればいいんだけど


 だが、そんな蒼の願いは敵には届かない。その代わりに、


「王国のクズが……」「どれだけ私たちから奪うつもりだ……」「殺してやる……」「殺してやる……」「殺してやる……」


 今まで受けたことの無い怨嗟が。嘆きが。憎しみが。怒りが。そして殺意が。

 その全てが蒼の一身にぶつけられる。


 ここで蒼は改めて実感する。

 否、必死に蓋をしていて実感しないようにしていた事実を叩きつけられる。


『自分は人を殺した』と。


「うッ……クッ……」


 あまりの重さに吐きそうになる。

 あまりの辛さに泣きそうになる。

 あまりの自己嫌悪に死にたくなる。


 それでも蒼は、その全ての感情を必死に押さえつける。外からも内からも、負の感情に押し潰されないように必死に歯を食いしばる。


「死んで……たまるか……」


 兎に角今は逃げる他ないと、蒼はうずくまった体勢から立ち上がる為、足に力を入れて片膝を立てる。


 だが、


「ッ……!! 」


 身体の疲労か。精神の摩耗か。それとも何か別の要因か。

 何にせよ、力を込めた蒼の足はガクガクと震え、そのままバランスを崩して前のめりに倒れる。


 そしてこれを好機と捉えたのか、敵兵は嬉しそうな声を上げつつ、蒼の周囲を取り囲む。

 蒼も必死に腕に力を込めて何とか身体を起こそうとするも、肝心な足に一切力が入らず、立つどころか座るのさえままならない。


 そんなもがく蒼を兵は嘲笑い、罵倒しながら槍を突き立てる。


 『死線』がなくても分かる明確な殺意。

 受けたことのない明確な殺気。


 その感情を浴びながら、まずは一回。


 蒼の背中を刃が刺し貫く。


「ッ……グゥ……」


 余りの痛みに声も出ない。

 無意識のうちに近くの土を強く握りしめ、必死に歯を食いしばって痛みに耐える。

 そんな蒼を愚かだと、周囲の兵は更に大きく嘲笑う。


『次は何処を刺してやろう』『次は誰が刺してやろう』


 足元に転がる蒼を踏みつけて、兵はイヤらしく相談をする。

 馬に乗っていた者は馬から降りて。

 弓を構えていた者は弓をしまい。

 どの兵も全て相談に参加する。


 ─このままなぶり殺される。


 そんな嫌な覚悟を蒼はしそうになる。

 だが、その直後、


「うッ……うわァァァァ!! 敵が! 敵の軍団が突っ込んで来るぞ!! 」


 誰か一人が大声で叫び、他の兵も揃って其方を向く。

 その視線の先には、一纏ひとまとまりになった騎馬の群れ。


「蒼殿……英雄殿はいてはいけませんよ! 足元に注意しつつ、全軍敵を殲滅して下さい!! 」


 少し離れた位置からでも分かるクラガーの大声に、兵は全員オロオロとし、まるで纏まりが無くなる。

 何名かは背中を向けて逃げようとし、

 また何名かは果敢に武器を構える。


 だが、敵兵は全員揃って徒歩。

 マトモに反撃する隙もなく、馬によって蹴り飛ばされてボールのように弾みながら吹っ飛んだり、バキバキと骨を折られながら踏み潰されていく。


 やがて、自分を取り囲んでいた兵は消え、代わりに、


「英雄殿発見! お疲れ様でした、そして、ありがとうございます! 」


 一人の兵が馬から降りて、蒼に向けて手を差し伸べた。



✳︎✳︎✳︎


 「蒼殿……この度は、本当に申し訳ございませんでした。

 ですが、貴方のお陰で我々は助かった。我が隊全員、貴方に心からの感謝を」


 村に戻り、救護用の幕舎まで送って貰った蒼に、クラガーはまず大きく頭を下げる。


「別にお礼なんて……それに、クラガーさん達が居なかったら、今頃僕もどう殺されていたか……」


「我々が突撃出来たのも、全て蒼殿の力。誇って良い、私はそう思います。

 さて、そろそろ救護班の到着する頃でしょうし、蒼殿もお疲れでしょうから私はコレで」


「あの……クラガーさん」


 幕舎から立ち去ろうとするクラガーを、先程のように引き留める。


「えぇ、何でしょう」


 だが、今度は先程のように少々面倒そうな様子は無く、寧ろ何かを待っているようなそんな表情だった。


「この国は、何が目的何ですか?

 どうして英雄を欲したんですか……? 」


 出陣前と一言一句変わらぬ問い。

 先程は答えを貰えなかった問い。


「……申し訳ありませんが禁則事項です。」


 クラガーは先程と同様に首を横に振る。

 しかし、


「ですが、禁則事項の範囲外の事でしたら、少々にはなりますがお話出来ます。

 この後、何時間後でも構いません。私の幕舎まで来て頂ければお話致します。


 ですので、今は治療に専念して下さい。

 では、失礼致します。」


 クラガーは最後に優しく微笑み、幕舎を後にする。

 そして、それと入れ替わるように影が一つ飛び込んで来る。


「天谷君!? 何でそんな事になってんの! 」


 ベッドにうつ伏せになる蒼を見て、真っ青な顔で飛び込んできた女性、春香が叫ぶ。


「ごめん、雪宮。しくじった」


「しくじった。じゃないよ! 全く……兵隊さん、天谷君の包帯外して下さい! 」


「ん? あ、はい……! 」


 春香が来ていた救護班の制服と思わしき服の袖を捲りながら、近くにいた兵に指示を出す。

 その指示を受けて、イマイチ状況が掴めないながらも同じく救護班の兵士の一人が蒼の胴を巻く包帯を外していく。


「何で……こんな……」


 蒼の傷口を見て、春香が口元に手を当て瞳に涙を溜める。

 それほどまでに大きく、強烈な、見たことの無い容赦の無い傷跡。


 先程出来たばかりの縫合跡がまだ生々しく赤黒く染まっていた。


「大丈夫……散々イメージしたんだから……いける。いけるよ。ねぇ、私」


 そんな跡に顔をしかめながら、まるで心臓マッサージをするように手を組み、傷口数センチ上に構える。

 蒼も、春香の様子に口を挟まない。

 何が起こるかは分からなくとも、自分にとって良い事が起こるのは確実だから。


「お願い、治って」


 まるで祈るように、それでいて搾り出すようにな声を出して組んだ手に力を込める。


 すると、春香の手元が淡い緑に発光し、その光が粒子となって傷口へと侵入していく。


「私の異能はね、『促進ソクシン

 生物の持つ自己治癒能力を促進させる能力。

 怪我の大きさにもよるけどとりあえず、すぐに傷を治すって認識でいいと思うよ」


 光を送りながら、春香がクシャッと笑う。

 その額には脂汗が滲んでおり、この異能の使用にはかなりの体力が必要なのが容易に見てとれた。


「本当はね、怖かった。

 君が死んだら、私は拠り所を無くしちゃうから。

 こんな世界で、こんな環境で、初めて一緒に帰るって言ってくれた君が、希望をくれ君がいきなり居なくなるんじゃ無いかって。凄く怖かった。

 だからね? 生きててくれて、ありがとう」


 春香の純粋な感謝に、蒼は一言も発する事は無かった。

 ただ、傷の治る心地良さと突然の強烈な睡魔の中でゆっくりと微睡み落ちて行くだけだった。



✳︎✳︎✳︎


 やがて蒼は目を覚まし、辺りを見回す。

 周囲には時計のようなものはなく、現時刻は分からない。それどころか、この世界が24時間周期なのかすら分からない。

 ただ、幕舎の入口から漏れる色が黒である為、既に夜になっている事だけは理解できた。


「確か、運び込まれたのが夕方だったから……何時間寝たんだ? 」


 疑問を口にしながら身体を起こした所で、布団が足元で引っ張られる感覚があった。

 何かと首を回して視線を向けると、春香が布団に突っ伏して寝てしまっていた。

 既に傷跡の痛みもないし、触ってみても何事も無かったように傷一つない。


「そりゃあ疲れるよな……」


 その声と、春香も春香で、蒼が動いた拍子に布団が引っ張られる感覚があったのだろう。


「アレ……? ふぁぁ……ぁ」


 小さな声を出しながらゆっくりと目を開き、身体を起こして欠伸あくびを漏らしながら大きく伸びる。


「あぁ、天谷君。起きられたんだ。

 傷はどう? 痛まない? 」


「うん、お陰様で。ありがとう」


「そっか。初めてだったけど、上手くいって良かったよ」


 春香がニッコリと笑いかけると、蒼も思わず頬が綻ぶ。

 先程の緊張感が嘘のように、穏やかな時間が流れる。


 だが、そんな時間もほんの数秒。


「なぁ、雪宮」


「ん? どうしたの? 」


 蒼は顔を引き締め、身体を反転させて上半身を起こす。


「クラガーさんが、この世界について教えてくれるらしい。一緒にどう? 」


勿論もちろん行くよ。

 生き残るために。生きて帰る為に」


 蒼の問いに春香も即答する。

 その答えにも、その目にも、一切の疑念や揺らぎすら宿らない。そんな強い返答。


「じゃあ一緒に行こう。帰る為に」


 その返答に蒼も力強く頷き、二人はクラガーの待つテントに向けてゆっくりと歩き始めるのだった。


 深い夜はまだまだ続く。

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