私ちゃん

一枚の写真を見せられた。

 ほとんど骨董品みたいなカメラで撮られたであろう写真で、ずいぶん昔のものに見えたが、撮影日を見ると先月のものだった。

 神社を写した写真。

 夕暮れの中、荒れた神社の境内に一人の和服の少女が佇んでいる。

 「これは? 」

 雑然とした事務所、机の向こうでコーヒーを啜る上司は、いつも通り淡々とした口調で答える。

 「次の仕事だよ」

 私は『戸籍管理員』という仕事をしていた。

 戸籍が正規の運用が成されているかを確かめ、戸籍から漏れている『存在しない人間』が居ないかを調べる仕事だ。

 「この写真の少女を探してほしい」


 2075年現在、『戸籍』は人を人たらしめる唯一の証明である。

 国から認可された正当な戸籍を持たない人間は存在することを許されない。

 コンクリートの樹海と化した街に虫のように蠢く人々は、それがどんな低俗な人間であれ戸籍を持っている。

 人口減少と一極集中により、この国の人間は殆どが『街』に飲み込まれたと言っていい。

 地方の郊外はほとんどがらんどうであり、ほとんどの農村部は廃村状態である。

 酸性雨により植物が壊滅的な打撃を受けてから三十年余り、もはや自然は人工物と言っても過言ではなくなった。

 農業のような産業は厳格に管理された室内栽培に限られ、もはや富裕層の道楽を満たす程度しか生き残っていない。

 こうして人のいなくなった廃村に不法滞在者が住み着く、というのはそう珍しい話では無かった。

 戸籍を剥奪された犯罪者や密入国者による不法滞在は後を絶たないし、それを調査するのが私の仕事だ。

 荒れた道に車を走らせる。

 一枚の写真から戸籍の無い人間を探すのは簡単ではない。

 顔など、なんなら性別すらも場末のクリニックにでも行けば子供の小遣い程度の値段でいくらでも弄れる時代に、写真一枚がなんの役に立つだろうか。

 結局のところ足で探すしかないのだ。

 ふと考える。

 打ち捨てられたこの国の隙間の、無数の存在しない者たち。

 居ないけど確かにそこに要る、存在しない何かについて。


 『三沼村』は、街から六時間ほど走ったところにある。

 元は中規模程度の農村だったが、現在は十数人程度しか在住していない。

 『バイオ梨の栽培をしている』という情報があったが、それも十数年前の話であり、今現在村が村がどうなっているかは外からは分からない。

 どことなく、私はこの村に後ろ暗い何かを感じていた。

 以前行った、村を隠れ蓑にして麻薬の違法栽培を行っていた場所を思い出す。

 数値だけでは分からない、人口と産業と場所の微妙なズレ。

 役所へ車で向かう道中、すれ違った住人達から訝し気なまなざしを向けられた。

 よそ者を歓迎する風土ではないようだ。

 よくある話ではあった。

 役所の中は薄暗く、老女が一人受付に座っているだけで他に誰も居ない。

 「何か」

 愛想悪く、値踏みするような態度で老女が言う。

 「戸籍の確認に来ただけです。戸籍管理員の宿泊施設の設置が義務付けられているはずですが」

 「ありますよ」

 老女は震える手でゆっくりと村の地図を取り出すと、村の外れを指さした。

 「ここです」

 狭い村だったが、地図で見ると変わった部分があった。

 北東部にぽっかりと穴が開いている。

 「これは? 」

 「沼があります。危ないので近づかんと」

 「危ないとは? 」

 「蛭が出ますので」

 「蛭? 」

 天然記念物ものだ。

 「足場も悪いし……落っこちて死んだって話も、一人や二人じゃありませんので……」

 「……わかりました。ありがとうございます」


 宿泊場は、ほとんどほっ建て小屋だった。

 暖房もなく隙間だらけで、合成木材の床は腐って一歩進むごとに異音が鳴る。

 ベッドには得体のしれない染みがあって、天井の電気も切れかかっているのか薄暗い。

 私は部屋をくまなく調べ、危険の有無を判断すると、コートだけを脱いでシャツのまま眠りについた。


 ……。

 少女の笑い声が聞こえる。

 夢。

 夢の中で私は、見たことが無い『沼』のほとりに居た。

 緑色の、濁った沼のほとりに立つ、写真の少女。

 少女はゆっくりとこちらに向き直ると、柔らかに微笑みながら沼に身を投げた。

 音はない。

 ぬめりのある濁った半固体のような水は口を開いた怪物のように少女の体躯を飲み込むと、僅かな飛沫だけを残して再び口を閉じた。

 波紋だけが残る。

 音のない世界、暗闇と深い緑色の世界……。

 ……。


 朝、目が覚めた私の腕には、無数の痣が出来ていた。

 一旦車に戻り、簡易医療デバイスで簡単な検査をする。

 壊れた自然の影響か、この国では得体のしれない風土病が蔓延していた。

 「診断は? 」

 《蛭の噛み跡です。流水で傷口をよく洗ってください》

 「蛭? 」

 《チスイビルによる噛み跡に酷似しています。チスイビルは2031年に絶滅が確認されているので近縁種かもしれません》

 「……」

 小屋に戻り毛布やベッドの下を確認したが、蛭の居た痕跡は見当たらない。

 薄気味の悪い村だった。

 この村は何かを隠しているのかもしれなかったが、それは私の仕事ではない。

 余計なことに巻き込まれるのはごめんだ。

 懐から少女の写真を取り出す。

 神社に佇む少女は、夢の中と同じ笑みをこちらに向けていた。


 聞き取り調査は難航した。

 村の住人は排他的であり、有効な情報は愚か話すことすら困難だった。

 この国の住人には戸籍管理員に協力する義務が課せられているが、田舎の排他的な寒村では得てしてそんなものはまともに機能していない。

 仕方がない。

 私は鞄からテニスボール大の金属球を取り出すと、宙に放る。

 球体は重力を無視して浮き上がり、自律飛行して村の中を滑っていった。

 車に戻り、備え付けのモニターを開く。

 金属球には光学迷彩による不可視化と小型カメラが搭載されていた。

 村中をくまなく回るが、少女の姿はない。

 年頃の少女を匿っているような様子もなく、村の中は老人ばかりだった。

 取り立てて変わった様子はなかったが、老人たちの家の中には一様に大きな金庫があった。

 この村のどこにそんな金があるのだろうか?

 どう見ても、金持ちばかりが道楽で移り住んだといった風情の村ではない。

 麻薬か何かの違法栽培かも知れなかったが、カメラで見た限り怪しいものは無かった。

 途中、カメラが『沼』を捉える。

 それは不思議なことに夢で見たそのままの姿だった。

 深い緑色の淀んだ水溜まり。

 『沼』を捉えた瞬間、カメラの映像が乱れて地面に転がる。

 数秒間地べたを映し続けたカメラは、ふっと力尽きるように信号を途絶えさせた。

 

 万策尽きた私は、最後に一人、まだ話を聞いていない人間が居たことを思い出した。

 役所の老婆。

 役所に向かうと時間が止まっているみたいに昨日と寸分変わらない位置に老婆は座っていた。

 本当に家に帰っているのだろうか。

 この役所に付随する置物のような風情だった。

 「何か」

 表情を変えずに老婆が言う。

 「この写真の少女なのですが」

 懐から写真を取り出し、受付の机に置く。

 写真を見た老婆は、少し動揺しているようだった。

 何か知っている、そう判断し詰め寄る。

 「知っているんですね」

 「存じません」

 私は腕を伸ばし、写真を老婆に突き付ける。

 写真から目を背けようとした老婆は、しかし、写真ではなくそれを持つ私の腕に釘付けになった。

 ガタッと椅子が倒れる音がした。

 老婆は短く悲鳴を上げ、その場にうずくまり震え始める。

 「ひぃぃぃぃ……」

 「何か知っているんですね」

 「帰ってくれ……瑞子様が来る……はよ帰れ……」

 「ミズコ様?」

 老婆は顔を上げ、恐怖に引き攣った顔で私を見ながら言った。

 「それは瑞子様のお気に入りの印やぁ、あんた連れてかれるよ」


 私は車に戻り、ネットのアーカイブから三沼村周辺の郷土資料を漁る。

 〝みずこさま〟。

 それは、村に伝わる水子供養の伝承だった。

 かつて村には大きな池があったが、飢饉の際一人の母親が女の赤子を池に捨てた。

 それ以来、水は濁り蛭が住み着き池は沼となり、誰も近寄らなくなってしまったという。

 若い男が沼に近寄ると『瑞子様』に魅入られ、沼に引きずり込まれてしまう。

 『瑞子様』は赤子の霊が成長した姿で、一人沼に捨てられた寂しさから人を沼に誘うようになったという。

 私は腕の痣を見た。

 蛭の付けた印。

 蛭は瑞子様の使いだという。


 夜、宿泊場のベッドの上で私は眠れずにいた。

 また蛭が出るかもしれない。

 車で眠ればよかったと後悔したが、今から夜道を数十分歩いて駐車場に向かう気力もなかった。

 私は酷く疲労していた。

 この村の陰鬱な空気のせいかもしれない。

 思考の焦点は定まらず、頭の中は薄く靄がかかったように重い。

 それでも、うとうとと、ベッドの上でまどろんでいると、夢と現の境で声を聴いた。

 笑い声。

 静かな、夜の森に吹く風のような儚い音。

 私は、それがあの写真の少女のものであると何故か確信していた。

 コートを羽織り宿泊場を出る。

 目の前を少女の影が横切る。

 逃げるように、導くように、誘うように。

 少女を追った私は、気づけば『沼』に居た。

 夢のままだった。

 夢と現実の境は曖昧なままで、私はまどろみのまま少女を見ていた。

 少女はゆっくりと向き直り、優しく微笑む。

 母親が子供を諭すような笑み。

 誘われるように一歩を踏み出したとき、私は何かに躓いた。

 金属球。

 私が放ったものだった。

 不意に、私は正気に戻り、後ろから迫っていた気配に気づいて咄嗟に身をひるがえした。

 数秒の差で、私が居た空間を角材が襲う。

 そこに居たのは、角材や農具を構えた村の老人たちだった。

 私は、この『沼』の中に隠したい何かがあるのだと悟った。

 沼の中に何かを隠し、古い伝承を利用して、そこに踏み込んだよそ者をこうして処分してきたのだろう。調査用のカメラのような電子機器を阻害する何かも仕組まれているのかもしれない。

 ならば、私をここに誘った少女は?

 少女は変わらず沼のほとりで楽しそうに微笑んでいた。

 少女はこちらに駆け寄ってくると、笑顔を崩さないまま倒れこんだ私の首筋に力なく腕を絡める。

 子が親に甘えるように。

 体温を感じない肌。雨の日の土のにおいがする。

 それを振り払う気力すら私にはなかった。言いようのない倦怠感が身体を襲う。

 村の住人には、少女は見えていないようで、先頭に居た老人は動じる様子もなく角材を振り上げた。

 私は最後の力を振り絞って立ち上がり、倒れこむように老人に体当たりする。

 少女の重さは感じなかった。

 老人は角材を振り上げた勢いのまま体勢を崩し、空を泳いだその左手は私のコートを掴んだ。

 少女は私に絡みついたまま。

 三人、そのまま、沼に落ちる。

 濁っているはずの沼の中は、異様にクリアに見えた。

 汚れが浮いていた表層と違い、沼の中は透き通る緑色だった。

 目が合う。 

 誰と?

 分からない。老人のものでも少女のものでもなかった。

 目をそらすと、そこにも目がある。

 目、目、目。

 私は、ようやくこの『沼』の正体を理解した。

 水草の代わりに水中に走るゴム製のチューブ、そこに繋がって浮いているのは培養された胎児だった。

 この沼は、違法な売買用胎児の培養槽だったのだ。

 視界の端で、大量の胎児に絡めとられ沈んでいく老人たちが見えた。

 ドボン、ドボンと、次々と新しい村人たちが胎児とそのゴム製のへその緒に絡めとられ沈んでいく。

 胎児達は沼を泳ぎ回り、沼から這い出、そこの人間たちを引きずりこんでいく。

 もう、私には、上も下も分からなかった。

 不意に、視界を少女が遮る。

 静かに、悪戯っぽく笑いながら、少女は私を抱き寄せた。

 沈む。

 沈んでいく。

 少女の笑い声が、水の中に響いて

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私ちゃん @harukawanosora

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