ガチガチに装甲を固めた戦車が、機動兵器に引けを取るはずがない。

シアン化ビニル

第1話 ガチタン、月に立つ

大小無数のクレーターが眼前に広がる荒野。

宇野沢うのさわ けいにとって、既に見慣れた月の風景だ。


小さなクレーターから、目にも止まらぬ速さで光の筋が飛び出す。 


「相変わらず速いな」


宇野沢はそう呟くと、肉眼では追いきれず、機体のコンソールに表示された予測データを元に狙いを定める。


だが悲しいことに、彼の母国のFCS(射撃管制装置)の性能は、世界標準と比べると周回遅れと言ってよかった。


FCSが敵機体との相対速度と弾道予測を演算し、自動で狙いを定める。


「一発でも当たれっ!!」


緻密な計算に沿ってバラ撒かれた機関銃の弾は、高速で飛翔する光の筋の尾を虚しく掠めるのみ。


カラン、カラン


空薬莢が散らばる音だけが大袈裟に響く間、敵機体は悠々と彼我の距離を詰める。


敵機体が近付いてくるにつれて、その姿がはっきりと見えるようになってくる。


敵機は四肢を持つ、完全な人型をした兵器だ。


二本の足で前方に跳躍し、全身に配置したスラスターで目まぐるしく飛び回り弾を避ける。


「速すぎるんだよ、『ルノホート』ってのは!」


さっきから宇野沢の機関銃が避けられ続けているのも、彼の射撃の腕が悪いわけではなく、人型機動兵器『ルノホート』の機動性によるものだ。


「近づいてきた。二丁持ち、火力重視か」


二本の腕に二丁の銃が握られているのが見えた。

一見非効率的に見えるこの武器懸架方式だが、これにより三次元機動を行いながら、どんな姿勢からでも柔軟に敵を狙い撃つことができる。


月での戦闘は地上のものとは全く異なるのだ。


たとえば、世界で一番速い車を月に持ってきたとしても、地上のようなスピードを出すことはできない。


月の重力が弱いため、タイヤにかかる摩擦力も少なくなるからだ。


地球外での戦闘を想定して開発された人型機動兵器ルノホートは、見ての通り月での機動戦闘に特化している。


旧世紀の古い発想の兵器軍とは、目的も運用も大きく異なるのだ。


そして件の宇野沢が搭乗している機体こそ、何を隠そう、その「古い発想の兵器」の代表格である。


機体名は『物部もののべ

鈍重な機体だが、これでも分類上は人型機動兵器ルノホートの末端に加えられている。


だが、この機体の開発史を紐解くとして、もし家系図があるとすれば、父母は両方とも戦車タンクだ。


祖父も祖母も戦車で、直系の親族にそれ以外の奴はいないような、生粋の旧兵器。


装甲をガチガチに固めた重戦車に、申し訳程度に人型兵器の上半身を載せた歪なボディで、「人型機動兵器」を名乗る『物部』の姿は、時代になんとかついていこうと奮闘する、哀れな老人を思わせる。


世界標準機体たちが二本の足で跳躍し、目まぐるしい三次元戦闘を行っているこの時代に、『物部』の足回りは昔ながらの無限軌道キャタピラである。


弾を避けるための俊敏性も、弾を当てるための機動力も持たない。


時代に取り残されたこの老兵だが、未だに彼の国が擁する制式機体はこの一機のみ。


長く醜態を晒しながら、一向に更新される気配のない『物部』を見た各国が、皮肉を込めてつけた通称が「サムライ・タンク」


機動戦を行う敵機を前に、全く動かない物部の姿があたかも自殺行為のように見え、ハラキリを想起させたらしい。


しかしこの物部も、両手に装備した35mm機関砲の威力は馬鹿にしたものではなく、通常兵器とは比べるべくもない戦力である。


この機関砲だけは時代遅れというほど性能が低いわけではなく、程よい質量の弾丸を高速で大量にばら撒き、弾幕を形成することができる。


いくら速く、素早く動くとしても、近距離で形成された弾幕をいつまでも避けられ続けるはずはない。


機関砲の有効射程に入った敵機を、物部の弾幕がとらえる。


この距離で35mm機関砲の直撃をモロに喰らえば、そのストッピングパワーが機体を捕らえ、あとは蜂の巣になるだけだろう。


しかし、命中したかに見えた弾丸は、不可視の力に妨げられたかのように、敵機の周囲に入った途端に運動エネルギーを失っていく。


チュンチュンと音を立て、不気味な斥力のような力で弾の軌道が逸らされていく。


「くそっ!当たってもこれかよ!!」


宇野沢は行き場のない怒りを不機嫌そうに吐き捨てる。


そう、これがルノホートを最強の機動兵器たらしめている所以。


拍動波障壁パルスウェーブシールド、通称『シールド』だ。


シールドは機体の周囲に張り巡らされた定常波の力場で、向かってくる物体の運動エネルギーに干渉し、機体を守る。


質量と運動エネルギーを用いる実弾兵器の殆どは、このシールドの守りを超えることができない。


下手な鉄砲なんとやらで、無造作にばら撒いた機関砲の数発が偶然命中したとしても、シールドはびくともしない。


それゆえに、この人型機動兵器は現在、全ての兵器の頂点に君臨しているのだ。


宇野沢は目の前の敵機を目で追いながら、ルノホートが、あまりに従来兵器とかけ離れた存在であるということを実感する。


しかし、諦めずに機関砲をばら撒き続ける。

多量の運動エネルギーをぶつけつづければ、シールドを構成する定常波を中和することができるからだ。


シールドは無敵の壁ではない。


しかし、機体は常にそのコアから拍動波パルスウェーブを発生させ続けている。


時間経過や運動エネルギーへの干渉により減衰したシールドは、常に再生され続けるのだ。


「時間の猶予はない。

さっきの命中でシールドは減衰してるはず。

再生される前にあと20発ほどブチ込めれば…」


そう自分で言いかけ、宇野沢は馬鹿らしくなってきた。


高速で不規則に移動し続ける物体に、一定時間継続して機関砲を当て続けることは、どんなに困難なことだろう。


しかもこちらの戦力は、劣悪なFCSを備えた、旧世代の戦闘車両である。


そんなことが誰に出来るだろうか。

旧世紀の、どんな英雄的なスナイパーを呼んできたとしても不可能であろう。


それでも宇野沢にできることは、奇跡を信じて35mm機関砲を敵に向け続けることだけだった。


ガキンッ!!


不吉な音と共に、突然給弾が停止する。


「オーバーヒートしたか!」


撃ち続けた物部の機関砲が熱を持ち、砲身の冷却が済むまで発射が停止される。


この好機をみすみす逃すほど、敵機のパイロットも愚かではない。


敵機が一気に距離を詰めてくるのが見える。


これまで三次元を漂っていた敵機が、二次元的な直線移動に切り替わり、最短距離を突っ切る動きが見える。


「この瞬間を待っていた!!」


宇野沢は左手でコックピット後方にあるレバーを引く。


《サンダーボルト、起動》


アナウンスとともに、物部の後背部に格納されていた巨大な砲が、組立シークエンスに入る。


あまりに長大なその砲は、戦闘中に前を向けていると、機体バランスを崩して横転する恐れがあるった。


そのため機動戦闘中、この砲は分解された状態で物部の後背部に横向きに懸架され、使用するときのみ組立シークエンスを経て構えられる。


組立シークエンスの所要時間は約7秒。

機動戦にはあまりに悠長すぎる武装だが、その巨大な砲から放たれる203mm榴弾砲『サンダーボルト』は、いかなる敵もシールドごと焼き尽くすことができる。


敢えて隙を作り、直線上で二次元的な挙動を始めた敵機に、最大火力を打ち込む。


物部のとりうる勝ち筋は、これ以外にない。


「いっけええ!!」


宇野沢が引き金に指を掛けたその時、オープンチャンネルの回線に無線が入る。


「当たるワケないじゃない、そんなの」


耳を劈く轟音。


希望を込めた榴弾砲が、放物線を描いて飛ぶ。


だが敵機は、山なりに飛ぶ榴弾砲を潜るように接近してきた。


コンソールを確認する。リアルタイムに更新される軌道計算は、『命中せず』の予測を叩き出していた。


それを確認した宇野沢は、全力で旋回し、後退を図る。

が、敵機との速度差は歴然だ。

無限軌道も摩擦力で動いている以上、この走行方法による月の移動速度には期待できない。


「その武装は、あたしがクレーターにいるうちに使うべきだったわね。

そうしたところで、第一世代の機体タンクが勝てるとは思えないけど」


肉眼ではっきり捉えられるまでに敵機が近づく。

人型機動兵器ルノホート、その第三世代機に特有の、洗練されたフォルムの機体が目に映る。


あまりに交戦距離が近くなったため、左肩のパーソナルマークまでがはっきり視認できた。


敵機のパーソナルマークは、古い型の人工衛星。

機体名『ザシートニク』


目を引くあかい機体色は、敵機がソヴィエトの精鋭である証。


先程のオープンチャンネルの声の主は、やはりこの機体のパイロットなのだろう。


敵機は充分に近づいたと見ると、両腕に構えたアサルトライフルを斉射した。


至近距離で直撃を受け、一瞬で『物部』のシールドは減衰させられていく。


ついにはシールドが運動エネルギーに干渉できなくなり、アサルトライフルの弾丸が機体に直接命中する。


『物部』は、装甲をガチガチに固めた重装タンクである。この程度の実弾など、物ともしない・・・


のだが、その瞬間、宇野沢の操作するコンソールは操作を受け付けなくなり、「BREAK DOWN」の表示を虚しく点滅させるのみとなった。


「そこまで!!

『物部』への命中弾により、勝負あり」


専用回線で教官の号令を受け、模擬戦闘の敗北を悟る。

そう、これは模擬戦闘である。


そのため命中弾が貫通するかの検証など、できるはずがない。

仮に弾の貫通がありえるような模擬戦をした場合、ルノホートを操縦できる貴重なパイロット達が次々と無駄死にしていくことだろう。


それゆえこの場において、物部がいかなる重装甲を備えていようと関係はないのだ。


「宇野沢、デブリーフィングだ。早く帰投しろ」


「はい」


宇野沢はため息をつきながら、基地への帰還シークエンスを実行する。


帰路、今回の戦闘を何度も振り返ってみたが、勝てるビジョンは一切浮かばなかった。


「同情するわ、そんな機体で月に送られるなんて」


また、オープンチャンネルで通信だ。

送り主は、だいたい検討がつく。


「『ザシートニク』のパイロットか。

流石、東側の機体は高性能だ」


「ソヴィエトのユーリア・アシモフよ。

あなたの機体は・・・

そうね、とてもユニークだったわ」


「これはどうも、俺の名前はケイ・ウノサワ。

国はジャパン。ソヴィエトとは隣人だ。

どうぞよろしく。」


「隣人ねえ・・・

私はカザフ・ソヴィエト出身だから、そう言われても実感はないかな」


流石は超大国、島国の小国とはスケールが違うらしい。


「まあ、忘れるまでは覚えておくわ。

時代錯誤の第一世代機、戦車もどきの日本人


ユーリアは言いたいことだけ言うと、回線を切った。


──────────────────────


基地に帰還し、『物部』のコックピットから降りる。


その時、宇野沢の目に映った相棒の姿が、頭を垂れて落ち込んでいるように見えた。


恐らくは展開しっぱなしになっていた203mm榴弾砲の重みに耐えかねて姿勢が崩れていただけだろう。


だが今日ばかりは、宇野沢は無性に感傷的な気分になっていた。


『物部』は月に来て以来、何人ものパイロットを相棒としてきたが、一度も勝利の味を知らぬままだ。


第一世代機の全盛期ですら、日本が意気揚々と送り出したこの機体は負け続きだった。


そのため後継機開発の予算もつかず、第三世代機が出始めた現在になっても、時代に取り残されたまま。


近いうち、日本のルノホート研究は凍結され、月から手を引くのではないか。


そんな噂までまことしやかに流れ出した。


確かに今の日本にとって、『物部』は予算をとって国際社会に醜態を晒すだけの、ただの道化でしかなかった。


だが宇野沢には、『物部』がただの道化で終わるなどということは、たまらなく認め難いことだった。


宇野沢は先の大戦から連綿と受け継がれてきた、由緒正しき戦車乗りの魂を宿していたからだ。


「俺がお前を、最後に輝かせてやる。機動力が何だ。

たとえ時代遅れだろうと、火力と装甲があれば、最後には必ず打ち勝てる」


そして誰もいない格納庫で、高らかに宣言する。


『ガチガチに装甲を固めた戦車タンクが、機動兵器に引けを取るはずがない!!』

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