龍の花嫁が拾ったのは

しらたきラプトル

1

 ──こんな男、拾わなければ良かった。



 今さら後悔しても遅い。

 後悔しても時は戻らないし、タイミング良く別の世界へなんか飛ぶわけもなく。


 今まで誰もが私の事を「山奥に住む少し変わった女武術家」くらいにしか思っていなかったのが、隙に繋がったのかもしれない。

 ここに移り住んでからというもの、誰も私こと趙玉翠ちょうぎょくすいの正体に気付く者などいなかったのだから。

 私のなどそんなにすぐバレるわけがないと、この男に対してもタカをくくっていたのだ。



 だから、咄嗟にその男──東潤とうじゅんから手首を掴まれて、

「あなたは……もしや『龍の花嫁』なのかな?」

 とずばり尋ねられた時も、咄嗟にごまかす事ができなかった。

 百年以上も昔に居たとされる、伝説級のおとぎ話の主人公の名を出されたのだから、「は?アンタ頭おかしいんじゃないの」と切り捨てて終わりにすれば良かったのだ。

 だからこの時に、下手に動揺したりせず、何の事か分からないとシラを切っていれば──あるいは上手く誤魔化していれば違ったかもしれない。

 ……とも思ったが、この男の頭脳の前ではどちらにせよ無駄な抵抗なんだろうな。


 ──結論。

 やはり、この男を拾わなければ良かったのだ。



 事の発端は少し前に遡る。

 今日の昼過ぎの事だ。


 山菜や薬草が思いのほか高く売れたので、私は上機嫌で家路に向かう山中の細い道を、馬を引いて歩いていた。


 中腹にある私の小さな家に戻るまで、徒歩ならば半刻(一時間)程かかるが、愛馬の背にはふもとの町で買い求めた当座の食糧が積んである。歩こうと決めていた。


 よく晴れた秋の日の午後。懐にはまぁまぁの金子きんす茉莉花ジャスミン茶。

 更に私の大好物、松の実入りの月餅げっぺい菓子も買えた。鼻歌も出てしまうのは仕方ない。


 そういえば、菓子屋の主人がこの山の向こう側、国境の街で小さな戦が起きていると言っていた。

 街が荒れると人も荒れる。

 いつもの小競り合いだろうが、気をつけるに越した事はない。何とはなしに腰に提げた剣の柄に触れた。


 そのとき。

 ガサガサと音がしたので、右手の崖の上を見上げると、木と草むらの隙間から人影が見えた。

 人影はふらふらとよろめくと、姿勢を崩してそのままこちらへ転がり落ちてきた。


 若い男のようだった。

 私は、滑るように落ちてきた男の下に走り寄ると、彼が地面に叩きつけられる前に両腕を伸ばして抱き抱える。男の自重と落ちてきた勢いでかなりの衝撃はあったが、力を上手く逃したので問題はない。


 男は気を失っていた。

 上背はあるが痩躯そうくだ。全身土で汚れてはいたが、身なりは良く、着ているものも上等で、驚くほど整った顔立ちをしていた。

 商人ならば、荷を運ぶ途中で山賊にでも襲われたのかもしれないが、この辺りの野盗のたぐいはあらかた私が殲滅せんめつしたから考え辛い。


 男の服装や雰囲気から、商人とも貴族とも判別しかねた。武人でもない。

 ざっと見たところ、左肩に矢を受けたような傷が見えた。服に血が滲んでいるが浅手だろう。矢傷以外は、木の枝や岩で作った打撲やかすり傷程度で、大きな怪我もなさそうだ。


 頭の片隅でチリチリと警告のような疼きうずきが起きる。

 菓子屋の主人が言っていた、戦がらみの出来事でこの男は襲われたのかもしれない。見たところ、それなりの身分にありそうな服装をしているし、ならばその息の根を止めるべく、男に対する追手も出ているかもしれない。


 正直、面倒事は御免だ。

 厄介事に巻き込まれたくはない、と思うが、流石にここに置いていく訳にも……いかないだろうなぁ。絶対死ぬもんな、こいつ。


 このまま男を置いて一人家に帰っても、あの月餅を美味しくは食べられないだろう。


 溜め息をつく。

 男を抱き抱えて立ち上がる。男を馬に乗せて、荷は私が背負うか。

 のどかに啼いていた鳥の声は消えていた。


 


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