世界神樹

てをん

序章・第一章

【序章】


──思い出さなきゃいけない! ──!


 世界には『核』が存在すると。世界とは存在する事物じぶつ、現象の総体。それは星や生き物、空間、見えない概念のことも指すんだ。

 そして『世界』が存在するならば必ず『核』というものが存在する。これは絶対だから。『核』がなければ『世界』は存在できない。

 核に『意思』はあるかと聞かれれば、核が世界そのものを形作っているものならば『意思はある』し、きっと『生きている』──だけどそれを理解することは不可能に近いということ。

 核が『世界の者』の目に触れることは基本的にないんだ。だってその必要がないから。しかし何かしらの形を取り世界の者の前に現れて、活発に行動する核がいればそれは相当な『変わり者』だと。


──さぁ思い出すんだ!


 ……そう、これは数多に存在する内のちっぽけな一つの世界のお話に過ぎなかった。

 ここが『リュイ大陸』と呼ばれ始めた頃、世界には国が十と大きな森が一つあった。そして森が強大な『力』を持ち人々に畏怖され侵略の対象になったのは国土戦争により国が四つになった時。

 そもそも国土戦争とはきっかけや本当の目的が謎な歴史の一つ、唯一分かっているのは約六百年前にそれぞれの国が一斉に領地獲得を宣言し、一番領地が大きくなった国がこの世界の頂点に君臨するという事だけ。方法は様々だけど協力関係により領地を広げた国、圧倒的な軍事力で他国をねじ伏せ領地を獲得した国、交渉の末領地を獲得した国と戦争は順調に進み、そして終盤に差し掛かっていた。


 だけど一つの国だけ他国と戦争はせず森を我が物にしようと執着していた。なぜなら森は一つの国と同程度の面積があったからだ。人間を相手するより〝無抵抗〟な森を先に自分の領地にしてしまえば有利に進む、なんて誰もが考える事であり実行するのも簡単だった。

 ではなぜ森に執着していたのがその国だけだったのか。それは森を気にするほど戦争は激化していなかったから。武力でねじ伏せた国もあるけどほとんどは合意の上で合体した国が多い。〝戦争〟とは名ばかりで、ただこの歴史を分かりやすくするための記号に過ぎなかった。

 しかし国が十から四つになり、これ以上の戦争は無意味だとされ収束に向かっている中、それに反し森への侵攻を一つの国は諦めていなかった。


 なぜその国はここまで森に執着していたのか?


 理由は単純で、森を忌み嫌っていたからだ。森の隣に位置していたその国は他国より、森を不気味に思っており戦争を機に森を失くそうという考えがあった。しかし戦争が始まり収束に向かうまでの間、森の木一本分の面積ですら自分の国の領土にすることできなかった。


 それもそのはず。だって森には『守り人』がいたから。


 その姿を見た者はいないが森に危機が及ぶ時、強大な力で森を守る。それもまた森を不気味に見せる一因でもあった。そして森を落とせず焦ったその国は全ての力、国が滅ぶ程の力を持って森に対抗した。それなりに大きな国の全力であったためその時になって初めて守り人は姿を現した。


 結果は森がその国を呑み込み終わった。


 しかしただの〝森〟に国が呑まれたとなっては他の国も無視することができなくなる。残った三つの国『テタルトス』『オグドォス』『エナトス』は『ガング同盟』を組んで『ガングニール軍』を設立、協力して森を滅ぼす事を決めた。それから現在に至るまで約二百年、森を滅ぼすどころか有効な手立て一つ見つかっていない。守り人がいる限り森は難攻不落だった。

 守り人は度々、侵略者の前に現れては言うんだ。


「先に始めたのはそっちだ」


 そうこれが始まりの終わり。


──ねぇヴェルデ、全てを思い出す時が来たよ 


──あの歌を思い出したんだ




【第一章】


──まいった!あぁとてもまいった!!


 静かに雪が降り積もり、辺り一面の真っ白さが眩しいほどの森にて、生い茂る木々の中空が見える隙間に大の字になりながら黒髪の青年は心の中で叫んだ。本当は声に出して叫びたかったがそんな気力も残っていないうえに、体は鉛のように重く末端の感覚は機能していなかった。

 どこからか歌が聞こえてきたが死に際の幻聴かもしれないと思いつつ、青年はどこか懐かしい感じがして一緒に口ずさんでみるが、喉からは掠れた息の音しか出ない。……もうダメじゃないか、と嫌でも死期を悟ってしまう。


 青年がいる森、『シルヲ森林』は季節など関係なく雪が降り続けているうえ、気温も極端に低く人間が生活するにはとても厳しい環境である。そんな場所で遭難したとなれば、待っているのは“死”だ。


(大体どうしてボク一人で森の調査なんかしなくちゃいけないんだ! ボクにこういうのは向いてないんだよ)


 青年の父親はガングニール軍のエナトス隊にいた。生まれつき運命が決まっていた息子は無事に父の部下となり、今回新しく守り人の調査を任命された。


(第一守り人に関して何の情報も無さすぎるうえにあいつは戦争の時にしか姿を現さない。そんなやつをどうやって探して調べろって言うんだよ……まぁ、情報が無いから調査を命じられたわけだけど、いつも書庫に引き籠ってるボクが外に出たところで何の役に立つって言うんだ……)


 父親曰く、今まで森への侵攻しか考えず実行してきたがそもそも、森の事を何も知らないのはおかしいので息子を現地調査へ向かわせる──というのは建前であり本当はやる気のない息子に、どうにか軍人らしいことをして欲しかったのだ。しかしそうまでしても息子のやる気は出ず、今まさに死の淵に立っているとは想像もしていないだろう。


(さすがに何も計画なしに来るのはまずかったな……だからと言って調査と言われても何をすればいいかも分からないし。とりあえず森の中を一通りに歩いてみたけど、ただ疲れただけだし、もう動けないや)


 森の過酷な環境でも戦えるよう軍特製のコートは動きやすくとても暖かいように作られているが、そんなコートも意味が無いくらいに青年の体温は下がっていた。青年はおもむろに胸のバッジを触った。金色のバッジからして階級は高いようだ。


(ボクは軍人になんてなりたくなかったし、こんな侵略、興味無いのに……こんなバッジ貰ったって嬉しくなんかないよ。ボクはただ本が好きなだけだったのにさ……それに父さんの言ってる事はおかしいよ。森を討伐して死人が蘇るなんて話ありない。ただのおとぎ話だ。……そんなものに縋って息子を危機に追いやるほどショックで忘れられないのか……ふん、まぁボクはもう死ぬしどうだっていいや。ボクが死んだら父さんは悲しむのかな、悲しんで更に森討伐に躍起に……父さんだって本当は──)


 青年はふと目の前の空から雪がひらひらと落ちてくる様(さま)に見惚れ、それまでの思考を放棄した。

 灰色に濁った空からは絶え間なく真っ白な雪が静かに落ち、青年の顔を彩った。空気は澄んでいるが耳が痛くなるほどの静寂のせいで少しまどろっこしさもあり息苦しく感じる。見えている景色はとても綺麗だったが青年はここにいる事を許されていない気がして、もうどこにも居場所はないのだろうと思った。


 落ちてくる雪はきっと自由なんだろう、そう思うと無性にその自由が欲しくて青年は雪を掴もうと手を伸ばしたが、重力に抗うのに思ったよりも疲れてしまい虚無を掴かんだ腕を雪の上に無造作に落とした。だが地面にも雪がある事に気付き、今度はむしゃくしゃした気持ちを込めて雪を握り投げようとしたがそんな力はもう残っていなかった。

 青年は自分の虚ろな目を隠すように目を閉じ、目の前にある暗闇を見つめながらぼんやりと頭の中に言葉を浮かべていた。


(あぁ……死んじゃうんだな……こんな森のことより、もっと知りたいこと沢山あったのに……あんまり寒くないけど凄く眠くなってきた。そうだ、眠って体力を、回復……させ、ない、と……)


 細い糸のように消えかかった青年の意識は、遠くで僅かに聞こえた雪を踏む音で何とか繋がれた。そこで今まで感じていた息苦しさが少し、ほんの少しだけ和らいだ気がした。上手く言葉にできないが『何か』を感じた。

 ただの気のせいかもしれないが先ほどまで白かった闇が漆黒に変わった事もあり、青年がもう一度目を開ける理由になるには十分だった。だがもう一度閉じる気力まで使い果たしてしまったようだ。


「…………」


 青年の目は焦点が合わずぼやけた視界には斜めに映る人影がいた。人影の輪郭は不明瞭できっと人間ではないと感じ、青年はその正体が何なのか薄々気付いていたが思考できるほど頭は動いていなかった。

 そんな青年に対し人影は凛とした声で尋ねた。


「……死ぬの?」


 やけに幼い声だと思ったが今はどうでもいい。青年は僅かな希望を感じそれを離さないよう無い力を振り絞り答えた。青年の口から出るのは白い息ばかりだがその中に微かにある声を人影は聞き取った。


「君に……殺され、なければ……凍、死……する…………ね……」

「家族はいるのだろうか」

「あぁ…………いる、よ……」


 人影はそうか、と呟き青年に手を伸ばした。

 青年は僅かな希望も無くなってしまったのだと悟った。だが不幸な事に目を閉じる力すら残っておらず最後に見る景色は自分の凄惨な姿なのかと絶望した。

 しかし現実は予想していたものとは違い、青年が目にしたのは今まで自分が寝転がっていた雪だった。

 人影が自分を易々と担ぎ、歩き出した事に気付く。青年が驚き僅かに動いたのを感じた人影は安心させるように言った。


「お前の……体調が回復するまで面倒見ようか。……家族を失うのは、きっと悲しいのだろう」


 最後の言葉は聞き取れなかったが、まだ死なないという安心感から青年は必死に繋いでいた意識を自ら手放した。


  ◆◆


「……んん……ぁ」


 青年が再び目を開けると今度は焦点が合い丸太を詰め合わせた天井が見えた。

 あの時もう目覚めることはないと感じていたが、今こうしてまた目覚めたことに少し不思議な感じがした。何とも言えないがとてもふわふわした気分である。死んで生き返ったが地に足が付かないような感覚、だがとても心地がよかった。

 このまま心地よさにもうひと眠りしても構わないがそれはダメな気がして、青年は体を起こそうとした。しかし思ったより体が重かったうえに力が入らず、うまく起き上がれなかった。


(体が重い……ここまで瀕死だったのか、いやまぁそうだろうけど……よく、助かったもんだな)


 青年はしばらくボーっと天井を見つめたが、もう一度起き上がらねばと思い体をよじったりして何とか起き上がった。


「っしょ!!……はぁ」


 本当は死んでいて幽霊になっているかのような感覚だったが、体を起こした時に感じた重みで青年は生きていると実感した。

 周りを見渡すとここは丸太を繋ぎ合わせただけの簡単な小屋のようで、部屋は青年がいるところだけのようで狭くもなく広くもないという感じだった。部屋の中には木の板を繋ぎ合わせただけの棚が数個、そこに木製の食器がいくつか並べられおり、小さなイスが一つ、出入り口と思わしき扉が一つと窓が二つ、そして青年が寝ていたベッドだけだった。誰かが住んでいるような感じはあれ人が生活するには快適とはあまり言えなかった。


 ベッドも決して最高の寝心地とは言えずかけられていた毛布もあまり柔らかくはなかったが、そこに寝転がるだけでとても落ち着いた。青年は自分が着ていたコートを脱がされている事が分からないくらい部屋の中が暖かかったことに起き上がってから気付いた。初めて来た場所だが青年は懐かしく感じこの部屋がとても居心地がいいものに思えた。


 まるでここが本来自分の居場所だと思うくらいには。


 どこか小屋に見覚えもあったがきっと記憶が混濁しているのだろうと思い、青年はもう一度ベッドに身を預けた。ふとベッドの横に自分の荷物が置いてある事に気付き手を伸ばした。

 森へ調査、よりかは街へふらっと買い物に行く時に使う大きさのナップザックで過酷な環境に耐えられないぐらいの荷物の少なさだ。役に立ちそうな物もあまり入っていない。


(うーん、いくらやる気が無かったとは言え準備してる時のボクにもう少し考えようかって言いたいよ)


 青年は中に入っていた一冊の本を取り出し胸の上に置いた。


(はぁ……ここで本を読めたらどんなにいいだろうか……そんな体力、今は無いけど)


 そこで青年はふと、そういえば自分を助けてくれたあの人影はどこにいるのだろうと考えを巡らせた。


(でも驚いた。森にこんな場所があったなんて、ここはあいつ……いや命の恩人に失礼だ。あの子の家だよな……? それにあの子は、もしかしなくてもきっと『守り人』だよね……。でも何でボクを助けたんだろうか。ボクは軍のコートを着ていたし気付かない……のはないよね。あえて助けて尋問、とか? でもボク何も答えられないよ……え、それで殺されたりとかない、よね。あーそれか人質とかかな……)

 

 青年が一人でうんうん唸っていると扉が開き一人の女性──正確に言えば性別は無いのかもしれない──が入って来た。


「あ……ぁ」


 あれやこれやと考えている内に怖くなった青年はとりあえず寝たふりをしようとしたところで失敗してしまい間抜けな声を披露してしまった。それと同時に初めて会った女性の事がどこか懐かしく感じた。仮に自分が思っている通りの存在であるならばどこかで会う事は絶対にあり得ない。もし神のイタズラで会った事があれば、それだけで重要な情報になってしまう。きっと他人の空似だ、と青年は自分を納得した。


「目覚めていたの」

「目覚めていたの?」

「?」

「あ、いや……」


 驚く青年とは反対に女性は何も気にせずベッドまで来たので青年は慌てて体を起こした。

 女性は額に小さいのが一本と左側頭部から大きく曲がった角が一本生えており、左側頭部の角は髪を巻き込みながら成長しているようにも見えた。そして何かを意味しているようにも感じられる服、というよりは赤い布を纏っているような着衣に黒い蔦のようなものが巻き付いている。


 そして胸とへその下に付いている──埋め込まれているようにも見える──きらきらと光る宝石は神聖な血を凝縮したように深紅だった。左目を隠すように包帯を巻いており残った右目には白目が無く、真っ黒で見ているだけで闇に吸い込まれそうである。


 空気中の光を乱反射させる金属の装飾品を身に着けた女性の手には、木製のお椀がありそこから湯気が見える事から中には温かい何かが入っていることが分かる。もしかしたら毒などが入っており、それを無理やり飲まされ何かされてしまうのでは、と青年は考えたがすぐにそんな事はないだろうと察した。女性はお椀と少し歪な木製のスプーンを青年に渡し、ベッドの横にイスを持って来ると静かに腰かけた。


 そこで初めて近距離で女性を見た青年は所々異質だが自分達人間とあまり変わらないなと感じた。他の人が見たら違うのかもしれないが……。

 そう感じると青年は思いがけない言葉を呟いていた。


「……綺麗だね」


 慌てて青年は「いや、あの……」と弁解しようとしたが女性は首を傾げるだけで何も聞いていないかのように逸れた事を口にした。


「何も食べないよりかはマシだな。体も温かくなるはずだろう」

「あ、あぁうん、ありがとう……」


 少し気まずさを残し青年はお椀を受け取った。中に入っていたのはスープだったが、具は大雑把に切られていて一口大よりかは少々大きい……。だが慣れない事をしてくれたのかもしれないと思うと少なからず情が湧いた。


しかし青年は中身をジッと見つめたまま食べようとしなかった。もし女性が青年の思っている通りであるならばなぜ人間を助けようとしているのか。そしてスープの中に入っている肉らしき物はきっと森で捕れたものと推測できる。

 そしてこの森は絶えず人間と戦争している……この先を考えるのをやめようとした時、女性が話しかけた。


「食べられないか」

「あっいや、そういうわけじゃなくて……」

「何が気になるのか」


 言っていいものか迷ったが青年は口から言葉が滑り出るのを止められなかった。


「えっと間違ってたらごめんね……その、君は守り人、だよね……? あとこれに入ってる、その……」


 青年は表情が変わらない女性に気圧され段々と声が小さくなり、更にジッと見られているので言葉が途切れてしまい、何も言わなければよかったと少し後悔した。

 眉一つ動かない女性に青年は殺されてしまわないかと少し、怖くなったが女性は特に意に介した様子もなく答えた。


「……。その通り私は守り人だ。そしてそこに入っているのはお前達が下らない争いで殺した動物達だな」

「っ!」


 青年はハッとして守り人の顔を見たがその顔には感情が無いように見えた。自分が直接手を下したわけではないが人間が罪なき命を奪っている事に胸が締め付けられた。そうきっと自分にも責任はある。しかしこの世界でこの事を気にする人はきっと限りなくゼロに近いのだろう。


 戦争は嫌いだが自分は戦地には赴かない、行っても安全圏にいるから関係ないと、目を背けて何もしようとしなかった自分の愚かさを、少し大げさであったが青年は感じた。


 そして青年は、もう一度お椀の中身を見てから手を合わせて、


「そうか……頂きます」


 と言った声は苦しそうであった。今までは形式的に「いただきます」と言っていたが初めて命を殺して頂くという実感が湧いき、気持ちを込めて心からの「いただきます」を言えた気がした。


 スープは美味しいとも不味いとも言えないがとても温かく体の芯まで染み込み、凍った気持ちを溶かしてくれる感じがして、青年は守り人にジッと見られている事が気にならないくらいに夢中で食べた。

 青年は食べ終わるとふぅと一息ついた。


「ごちそうさま。……その、あまり見られてると恥ずかしいな……」

「お前変わっているのな」

「変わっているのな」

「……」

「あっ君から見てもそう思う? よく言われるよ、変わってるって」


 青年はおどけてみせたが、守り人は返事をするわけでもなく青年を見ているだけだったので居たたまれなくなった青年は勝手に話し始めた。


「まぁそうだよね。ボクらは一応争ってるし、いくら守り人に助けられたとはいえ手渡された食べ物を疑わずに食べるなんて……待ってボク守り人に助けられたんだよね……? えっ、これって凄いことだよね!!」


 突然目を丸くして驚いた青年に守り人は冷静に答えた。


「そうなるのかもしれないかもな」


 今までそんな事を体験した人はきっといないだろう。もし青年が初めてならこれはきっと快挙だ。いや、他の人が聞いたところで信じないか嫌がるだけだが、青年にとっては喜ばしかった。

 しかしなぜ守り人が敵である人間を助けたのかという疑問が出てくる。守り人が直接手を下さなくとも放っておけばあの時、勝手に死んだ上に今も拷問など何かしら別の目的はないように見える。であればわざわざ理由もなく敵対する人間を助ける道理も義理もないはずである。


「どうしてボクを助けたの? 君にとってボク達は何て言うか敵でしょ?」


 答えてくれなくとも青年はこの疑問を聞かずにはいられなかった。目の前にいる人物から敵意は感じないが、得体のしれない恐怖に苛まれるのは気持ちが悪く、その真意を確かめておきたかった。

 守り人はゆっくり瞬きを一回してから答えた。


「私に人間を殺す趣味などない」

「えっでも、戦争……してるよね……?」


 思いがけない言葉に青年は戸惑ったが次に聞いた言葉でハッとした。


「人間が森を攻撃しているから、こちらも応戦しているだけ」


 少し考えれば分かる答えだった。いつも争いが始まるきっかけは人間側からで森から攻撃される事は一度もなかった。なぜそれに気付けなかったのだろうと考え込もうとした青年の耳に「それに……」という守り人の言葉が届く。


「それに?」

「……昔助けられたから、その真似をした、の」


 そう言った時、守り人の雰囲気が少し誰かを想っているようなものに変わり、だけどその誰かはいないのだろうという事は分かった。しかし上手く言葉にできないが青年は、彼女からは全部〝他人事〟みたいに感じた。そしてそれが形を捉えられない棘──もしかしたらそんなもの無かったのかもしれないが──のように胸に引っかかった。


「昔助けられた……?」


 〝真似〟と〝助けられた〟という二つの単語から様々な可能性が推測できるようになるのと同時に青年の頭の中に幾つもの疑問が湧き水のように溢れた。


 彼女の他に誰かがこの森にいる、または彼女が森の外にいた事がある可能性。青年達が知らないだけで森の中に一つの社会が形成されているのかもしれない。そうなると守り人は人間に分類されるのだろうか、確かに見た目は似ているけど種族的には違うのだろうか。もしかしたら途中で変わったという事もあり得ない話ではない。少なくとも長い間森にいる事からして、人間達と生活形態が違うのは当たり前であり……まずどこの前提から違うのか。


 青年は一つ疑問が浮かぶとまた一つ、と次々に新しいものが際限なく溢れてしまう。そして、それについてしばらく気が済むまで熟考してから、どうしても解決したくなってしまう悪い癖がある。

 今回も癖で全部解決しようとしたが、その前に守り人は何も言っていない、というような態度で立ち上がった。


「人間一人、助けたところで私の脅威になるわけない。お前が回復するまで面倒見ると言った、壊さないのであればここを自由に使えばよい。起きたばかりだ、横になればいい」


 呆気に取られている青年の手からお椀とスプーンを取ると守り人は扉に向かった。


「君はどこに行くの?」

「別にどこ、というわけでもないが私がいては邪魔だろうから」

「そんなことはないけど……あぁ待って!」


 守り人が自分を“邪魔”だと思っている事に寂しい気もして否定したが届いていないようで、無視して出て行こうとする守り人を青年は慌てて呼び止めた。今度は気付いてくれたようでホッとした。


「まだ名乗ってなかったよね。ボクはガバド、ガバド・アングール。助けてくれてありがとう! 君の名前は?」

「名は……無い」

「……そっか、君も変わってるんだね。助けてくれてありがとう」


 名前がないのが本当なのか、はたまた教えたくないだけかは分からなかったが、名前が無いというのは青年にとって少し羨ましかった。別に自分の名前が嫌いなわけではないが、やはりどこか煩わしさを覚える時がある。


「ガバド……ふん……」


 守り人は小さく呟き出て行った。静かに扉が閉じられるのを見てからガバドは重力に任せるようにベッドに倒れこんだ。


「変わってるか……」


 この言葉を噛みしめながらガバドは守り人の使う言葉や発音が気になった。もちろん自分達と違う存在であるから人間と何かしら相違がある事は当たり前である。

 だが、ガバドは何故かこの事が引っかかった。


 ガバドは直接〝森〟と戦った事は無いが父──上司に連れられ遠くで戦いを見ていた時に遠目からではあるが守り人も見た事はある。しかしその時とは別人のように雰囲気が違うように感じられた。

 あの時は人の形をした自分達とは違う怪物のように見えたが今は人間らしい、というわけではないが自分と似たような雰囲気、親しみやすさがあった。


(守り人に親近感って父さんが聞いたらいよいよ頭がおかしくなったって思われそう。でもうまく表せないけど温かかったんだよな)


 ガバドは守り人のことが気になって仕方がなかった。それがどういった気持ちから来るものかは分からないが少なくとも敵意ではなく純粋な興味であることは確かだ。


(何となく、何となくだけど……守り人、彼女とは変わり者同士仲良くできると思うんだ)


 この先も考えようとしたがガバドは睡魔に襲われてしまい深呼吸をしてから思考を放棄した。睡魔に反抗することもできたが今はこの心地いいまどろみに包まれていたいと思った。


  ◇◇


 そうだ、ボクは父さんに言われるがまま調査に来た森で死にかけて彼女に助けられたんだ。

 でも本当にあの時は驚いたよ。目を閉じて無限に広がる暗闇にボクは漠然と死を感じながら沈むように意識を預けたんだ。だけど〝何か〟を感じてもう一度目を開けた。


 相変わらずぼやけた視界では、はっきりと彼女の姿を捉える事はできなかった。でも多分、守り人である事は分かってたと思う。でもその人影に希望を見出したのは確かだ。

 死にかけてたからあんまり覚えてないけど、彼女が手を伸ばした時に交わした言葉がいけなくて失敗したかと思ったけど違った事にボクは安心して眠った気がする。


 次に目を開けた時にあったのが濁った空じゃなくて小屋の天井でよかったよ。あの状態から自分が生きている事や森に小屋があった事にも驚いた。

 彼女がボクのためにスープを持って来た事にも驚いた。最初は疑いもしたけど、普段料理などしない彼女が頑張って作ってくれたのかもしれないと思うと可愛く見えてくる。……まぁ、少しだけボクの好みだったっていうのもあるかもしれない。これは内緒だけど。だから思わず綺麗って言葉が出たんだと思う。


 人間の身勝手な行為で罪なき命を奪う。


 こんな事を気にする人はこの世界できっと限りなくゼロに近い。そうでなきゃこんなおかしい戦争いつまでも続けられるはずがないからね。


 スープを食べ終わった後、彼女に「変わってる」と言われた。国にいた時にもよく言われた言葉だ。

 ……やっぱりボクって変わってるんだ、自覚はないけど。まぁ傍から見たらそうなのかもね。

 でもなぜ彼女がボクを助けたのか疑問だったけど理由は単純だった。そこでボクは改めて気付かされたんだ。

 人間が一方的に森を攻撃してるだけで森は二百年前のあの出来事以来、攻撃を仕掛けた事はない。そもそもあれは、ただのきっかけだったしそれが起きたのだって元は人間が悪かったからだ。


 そうだ、全部人間が悪い。


 それより、お互いの名前を知らない事の方が大変だ! 彼女に名前がない理由がどうであれ余計なしがらみが一つ無い事はとても羨ましいよ。


 誰かの真似をして死にかけのボクをわざわざ拾って面倒見ようとする彼女も相当〝変わってる〟

 そんな彼女に親近感を覚え仲良くなりたいと思っているボクもやはり変わっているのかもしれない。それでも変わり者同士きっと仲良くできるなんて、父さんが聞いたら腰を抜かしちゃうな。

 どうやって彼女と仲良くなろうとか色々考えたい事はあれ、ふわふわした気持ちが心地よくてボクはそのまま眠りに落ちたんだ。

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