線上のホタル

ラビットリップ

第1話   「あの通りは行ったらいかん。」

 「父さん、三島克之さんって人、来てるよ。」

 母の初七日法要を終え、弔問客を見送り、奥座敷で足を伸ばしていた時、娘の希美が声をかけてきた。

 三島克之、と聞いて思い当たることがなく、母の知り合いかなんかかな、と思い、玄関先に出ると、誠は心臓が跳ね上がる感触を覚えた。

「かっちゃん・・・・・かっちゃんやないか。」

「やぁ。」

「かっちゃんちゃん、どうしたんや。元気やったかいな。」

「あぁ。ワシ、昔のこと考えたら顔出したらいかん、って分かっとったけど、どうしても会いたくてな。今日、普門院へ母さんの骨壺を取りに行ったら、中村さんのところが初七日法要をしていると聞いて。遠慮しようかと思ったんやけど、せっかく来たしと思って図々しく顔を出すことにしたんや。まこっちゃんの今の住まいは、住職に聞いた。アポも取らんと突然来てすまん。ごめん。ほんとに。」

 克之は、何度も深く頭を下げ、香典袋をカバンから取り出した。

「かっちゃん、こんなことしてくれんでいいんや。会えてうれしい。かっちゃんの顔が見れただけで。はよ、上がってや。」

「すまんなぁ。ありがとう。ありがとう。」

 克之は何度も頭を下げた後、靴を揃えて脱ぎ、きょろきょろせわしなく視線を動かしながら誠の後ろをゆっくりついてきた。

「もう、ほかの弔問客はみんな帰っとるから、そんなに気にしんでいいよ。」

「そうか。ほな、まずはゆっくりと手を合わさせてもらうわ。」

ようやく克之の顔に笑みが浮かんだ。その顔は十歳の頃と何ら変わらぬ、屈託のないものだった。それでもまだ克之は周囲を気にしているそぶりを見せるので、誠は台所を覗き、

「ちょっと、昔からの大事な友達が来たから、二人でゆっくり喋りたいし、しばらく誰も奥座敷に来んといてくれ。」

と克之にわざと聞かせるように、声を張り上げたほどだった。

                  ○

 克之と誠の育った金浦商店街は、世間から、

「あの通りは行ったらいかん。」

と言われた商店街だった。

 戦前から船運を活用した問屋街として栄えていた金浦商店街は、終戦後は高架下にバラック小屋の住居が集まり、次第に特殊飲食店に変わっていった。

 この商店街の入り口付近で、戦前より「鮨金」という寿司屋を営んでいた誠の祖父、信吉は、昭和十九年に親戚の紹介で出会った千恵と息子、信三の婚姻をまとめると、店の切り盛りの大半を信三に任せ、自身は裏に引っ込むようになっていった。そして翌年、誠が誕生した。

 誠がこの商店街の異様さにぶつかったのは、小学校に上がって二年ほどたった秋の遠足での出来事だった。

 この日は家からお弁当を持参しなければならず、誠は昨夜の店の残り物が詰められた弁当を持参した。

 終戦から八年くらいは経っていたとはいえ、まだまだ貧しかった時代だ。お弁当を持って来ることができない子どもも、クラスの中にはまだちらほら存在していた。

そんな中、誠の持っていたお弁当は店の残り物とはいえ、鮮やかな代物に見えたのであろう。たちまちクラスの羨望の的となった。

「まこっちゃん、一つくれや。」

「なぁ、卵焼き、うまそうやな。」

 握り飯一つ持って来ることができない、クラスメイトが誠を取り囲む中、クラスの中で一番はしこい(賢い)と言われていた茂夫が強烈な一言を放った。

その言葉を、今も忘れることができない。

「やめや。そいつの飯、触んなや。汚れとるっちゃ。」

「なんやて。」

「そんな良いもん、弁当の中に入れられるん、昨日、泊まりの客とか掴んで、二千円ぐらい儲かったからや。」

「うちは寿司屋や。旅館やない。ここに入っとるん昨夜の残りもんや。」

「ほんとかいや。本当におまえんとこ、寿司屋なんかいや。お前の母ちゃん、夜は何を握っとるか分からんもんなぁ。父ちゃんと母ちゃん、よお言うとる。遊びに行ったらいかん、あそこ通ったらいかんてな。誰もお前んとこの鮨、注文せんがいや。」

「いい加減にせえま。おまえ、まこっちゃんのお弁当が羨ましいからって、言って良いことと悪いことがあるっちゃ。謝れま!」

 誠を味方してくれたのは、同じ商店街に住む、克之だった。

「お前も、同じやもんな。いや、お前んところの方が、汚れとるわ。不潔や。」

 確かに、誠の親しい友達は同じ商店街に住む、克之しかいなかった。

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