依頼

 返事はないが、所在を確かめる手立てはそれだけではない。扉の隙間から漏れてくる部屋の灯りを舐めるように凝視し、耳を当ててやれば人けは往々にして感受できる。ただ、傍目に見るとそれはストーカーの姿と大差なく、不意に声を掛けられたならば、飛び上がって清廉潔白さを訴える事になりそうだ。


「……」


 廊下の薄暗さがなければ、これほど堂々と扉に張り付いていられないだろう。その甲斐あって、正味十秒も掛からない間に部屋の中にマイヤーが居ない事を察する。が、足元に漏れる灯りを扉に近付いた事で把捉した。川面に手を伸ばすように、身体を屈めて灯りの案配に心を傾けようとした直後、扉の下から伸び縮みする影を見た。刹那と例えて問題ない速さの出入りであった為、脳が気まぐれに見せた存在しない影だと言えなくもないが、俺は目を離せずにいた。


「何をやってるんだ。カイル」


 不足の事態を予期して年がら年中、折り畳み傘を携帯していたはずの用心深さが今や肩なしだ。この身持ちの悪さをどう扱うべきか。


「いやその、さっき無下にあしらってしまったから、謝ろうと思って」


 扉の前で不恰好な姿勢を晒した疚しさは隠しきれず、オドオドと言葉を取り繕った。


「あー。構わないよ。君もいっぱいいっぱいなんでしょう」


 俺は何て小賢しい男なのだろうか。愚にも付かない言い訳を取り立てもしないマイヤーの度量を前に、頭が下がる思いでいっぱいだ。


「で、僕に何か用があったんじゃないの?」


 この気の回し方は天才的である。


「ガスラードを知っているかい?」


 マイヤーを博識人であるかのように扱う事への抵抗がまるでないのは、卵から孵った雛鳥が初めて目にしたものを親と思うような感覚に近く、水先案内人としての信頼が先立ち、疑問に思った事は全て訊いてしまおうという気概が出来上がっていた。


「何でそんな物に興味があるの?」


 当然の疑問だが、言葉の由来を授けてもらう意図しか、今の俺にはない。


「いや、単純に気になったんだよ。ガスラードという名前が」


「……」


 マイヤーは顎に手をやり、思索らしき動作を取った。事の真偽を峻別するかのような鋭敏な雰囲気を感じ取る。


「ガスラードは万病に効くとされている、漢方薬だね。昔は王室でよく使用されていたとも言われていたけど、今は名前を聞く事すらあまりない」


「つまり、伝来でのみ確認されている漢方薬という事か」


 如何にも苦い顔をして、その存在を夢想するマイヤーを見て分かる通り、「ガスラード」の採取を試みるなど現実離れした行動だと思い知らされる。あの男が得意げに採取を掲げて俺に宣言するあたり、何か手掛かりでもあるのか。それよりも、何故「ガスラード」を手に入れると妹が俺の元へ来なくなるのだ。多くの疑問は、俺の出自を明らかにして周囲の人間に協力を仰ぐ以外に解決しそうにない。


「おっ、丁度いい。二人とも」


 割って入る声が右手より聞こえてきて、マイヤーがその方向に向き直って軽く会釈する。


「シュミさん、依頼ですか?」


「そうなんだよ。荷車の護衛なんだが、三人の頭数が必要でさ」


 確かに丁度いい。俺とマイヤーを合わせれば、あと一人で事足りる。シュミという男は、寄せられた仕事の依頼を捌く立場にあるようで、廊下で油を売っていたと見られた俺達は、荷車の護衛に選ばれたという訳だ。

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