第百三話 ストレンジピース

 

 参謀本部の中。彼とこれからする、”真面目な話”。

 彼が纏めた報告書。そこにあるのは、表世界で大量に印刷し、わざわざ重世界へ持ち込んだ、資料の山だ。この資料はいったいどういったものかというと、DSが登場してからの、日本の社会情勢、世界情勢の変化についての資料である。大混乱に陥った各国は、今、だんだんと統制を取り戻し始め、動き始めていた。


 国家間規模の、重世界を使用した交通網の開発計画や、重術を利用した新技術、新製品の開発など。プラスの側面のものが多くあるが、マイナスが際立っている。


 重家の峰々のような者たちのいない先進国では、反社会的勢力が国より先に重術を抑え、重世界産のより効力の高い違法薬物や武器等を捌き、それを資金源として力を強めている。裏世界からの侵犯に怯え、国を頼りないと感じる者たちを取り込んで、無視できないほどの勢力となってきた。しかし、こんなものはずっとずっとマシな方だ。


 侵犯を世界規模で激化させ、国防の概念を一変させた裏世界への対応に、裏世界との歴史を持たない国々は、全く追いつけていない。


 裏世界の侵犯をきっかけに、政府が機能不全に陥り、そのまま無政府状態へ突入してしまった国が存在する。今、その国を支援すべきだという呼びかけが世界で行われているが、自国の維持で精一杯の現状では、誰も助けようとしない。荒廃し、そこにいる人々は、死に絶えようとしていた。


 しかしこれはもはや、珍しい話ではない。


 長い間、戦争状態に突入していた国は、降って湧いた妖異という敵を相手にするため、外側からどんな努力をしても、止められなかったその戦争を一度終えた。


 独裁政権を維持し続けていた国で、重術を利用した革命が起き、内戦状態に突入した。


 逆に、民主的であったと言われる国が、重術の登場をきっかけに、国民を弾劾するようになった。


 片倉やアシダファクトリーのザックが、雨宮グループにて諜報部を設立し、集めたという極秘の情報。

 ペラペラとめくっていく資料は、世界のあちこちで起こる悲劇を、無機質に、断片的に伝えてくる。


 ニュースの切り貼りから、学者の論文まで、その方法は多岐に渡っていた。平時であれば大ニュースになるような出来事が、連続して大量に起きてしまうので、IT技術の発展によって身近になり始めたはずの世界が、どんどん、遠い遠いものに感じていく。


 巨大な妖異に追いかけられ、赤ん坊を抱えて市場の道を走る、母親を中心に置いた画像を見た。


 煌びやかな観光地が、防御に特化した伝承種の登場によって、阿鼻叫喚の地獄と化した画像が載っている。火力が足りず防衛ラインを突破され、多くの市民が犠牲になった。

 観光の名所とされた像は飛び散った人間の臓腑に塗れていて、目が虚ろになっている、はらわたを数匹の妖異に食いちぎられた義勇兵が映っている。


 ページをめくって、嘆きを、叫びを見た。


 鮮やかな写真は誰かの悲劇を確かに映し出しているのに、何も心には響かない。


「ひどいな。片倉」


「ええ。私は……娘のために、この居場所を守らなければならないと、そう感じましたよ。これを見て」


 彼の言葉には、確かな決意がある。



 俺も……里葉のために。彼女と、彼女が生きるこの世界を、守りたい。


 ああ。片倉の顔に重なるように、見えるのはまた砂嵐の光景だ。頭をナイフで突き刺してぐちゃぐちゃに掻き混ぜるような痛みが走る。頭の中で、反響するような音が響いていく。


 アナログテレビに映るような砂嵐と表現はしたものの、これが本当に砂嵐なのかも分からない。改めて目を凝らし、耳を澄ましてみて、このノイズは、複数のもので構成されていることに気づいた。数え切れぬほどの種類があるそれらの中で、捉え切れるものを探す。




 他の要素を覆い隠す、砂嵐と形容するに相応しい砂塵。


 暴風。吹き荒ぶ風の音。


 ライトグリーンの、全く見たことのない言語で構成された、縦書きのプログラムコード。


 聞き取れもしない雄叫びを折り重ねた、世界を包む渇望の熱気。


 透き通るような願いを紡いだ金青。


 自らの語彙では形容できない、決して重ならない、濁った色の何か。




 一切関連のないそれぞれがぶつかり合って、折り重なって、黒色の砂塵を形成している。


 その狭間に、支離滅裂な映像が流れていく。ひとつの光景を見ては、その存在を忘れ、またひとつの映像を見ては、訳も分からず世界が過ぎ去っていく。


 ああ。こんな時代、竜となった己を待ち受けているのは、戦場しかないのだと確信した。


 流れ行く、いくつもの景色。その全てが過ぎ去っていった、無音の空間の中で。



 愛おしい、彼女の姿を最奥に見た。



 髪は今よりも長い。背格好は変わらないが、どこか大人びているように見える。それでも彼女は、間違いなく里葉だ。


 横を向いてこちらをじっと見つめる彼女は、腕に小さな誰かを抱えている。



 あれはだれだ?






 電流がバチっと奔るように、目の前の景色を見た。

 片倉が、コーヒーを飲んでいる。

 きっとまだ、時間としては5秒も経っていない。そんな短さの中で紡がれた景色だった。しかしもうそのほとんどを忘れてしまっていて、今同じ光景を見ようとしても、見ることは出来ない。


 机の上にある資料の山からは、付箋が飛び出ていて、その中の一つを摘まんで確認した片倉が、俺に手渡した。彼は、俺の身に起きた出来事に何も気づいていない。


「この論文、最近よく引用されて、注目を浴びているものなんですが……ご覧になられましたか」


「いや、まだ見ていない」


 一度、切り替えよう。


 彼からその紙を受け取って、じっくりと読んでいく。俺は大学に通っていないし、専門的な用語も多いから、論文に付属していた、専門家がかみ砕いて説明した文の方が分かりやすかった。


 この論文が主張しているのは、今の、世界情勢について。

 曰く、裏世界という新たな敵を抱えた俺たちの世界は、歴史上類を見ないほどに、国家間の争い事や戦争を減らしたという。しかし、戦争や他国への示威行為をやめた国ほど、裏世界への対応に苦慮しており、内部で不安定な状態にあるという因果関係が見出されたそうな。


 戦争が一度なくなって平和になったはずなのに、国は荒れ、安全は保障されない。


 この状態を、この論文では……奇妙な平和ストレンジピースと呼び、新たな時代の転換期となるのではないだろうか、と締めくくっていた。


 もっとも、この論文自体に批判もあるし、全てが全てあっている、というわけではないが、少なくとも、今この資料たちを見比べてみて得た、体感とは合う。なんとなく、あ、そうなんだな、と静かに思った。


「……情報収集は必須だ。こんな情勢、どこからとんでもない爆弾が出てくるか分からない。このまま諜報部を頼んだ。予算を大幅に増やしてもいい」


「そうですね。出来ることならば、他国の”魔術師”たちの方にまで網を広げたいですが……手ごわいですし、彼らはそもそも妖異殺しのような組織だった者たちではないと聞いています」


「向こうも、こちらの動きは探ってきているだろう。しかし、この”ストレンジピース”って言葉があるように、重家は重家で、魔術師は魔術師で、それぞれ別の国でよろしくやるという形に落ち着きそうだが……」


「技術の流出を強く嫌い、姿を隠して戦うことを美徳とする者たち。そしてもう片方は、研究に精を出すことにしか興味のない連中、と、交流しようにも絶望的ですね。個人間では起き得るかもしれませんが、組織規模では……」


「最初から可能性を切り捨てて、動かないというのはダメだ。少しでも情報を集めて、俺たちの世代で土台を作るくらいの気持ちでいいから、諦めないで行こう。この件に関しては、政府の協力を求めた方がいいかもしれないな……クソ、頭を悩ませることが多すぎる。手も足りない」


「……やはり、雨宮グループを拡大させる方針で行くべきですね。この世界の、主導権を握りたい」


「同意見だ。しかし、強くなりすぎても良くない。その気を見せたから、佐伯に動かれてしまった。慎重に行くべきだ……」


 進めなければいけない案件、考えなければいけないこと。それぞれが山積みになって、頭がパンクしそうになる。


「…………しかし今は、大規模侵犯の話が先だ。その準備を急ごう」


「この分でしたら、雨宮の重世界整備は数日後に終わると思います」


「雨竜隊に用意しようとしている、制式装備はどうなった? 質の高いものを大人数に用意しようとしているから、時間がかかっているが」


「そちらはあと少し、と聞いていますが」


「出来るだけ急いでくれ。なんだか、嫌な予感がする。他の国々では先ほど見た写真のような出来事がこんなにも起きているのに、ここは平和すぎる」


 すぅと息を吸う。


「それに、俺と里葉が、幹の渦を切り倒してしまった。相手からしたら、これほどまでに屈辱なことはない。この前、横浜に伝承種が現れたというし……史上類を見ないレベルの侵犯が起きる可能性があるぞ。守りのために使うべき戦力を、使い捨ての攻撃に使っているんだからな。気を引き締めろ。片倉」

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