第九十五話 サニーガールミーツクラウディーボーイ

 

 横浜。古くは横浜港の開港より、人々が集まり、今では国内有数の都市となったその中心部。夏休みで友達と町に出かける学生や、家族連れの姿が目立つ繁華街にて。


「……本当に渦がありません。”ヒーローデータベース”にも記録が残っていませんし……他の重家でも刈ったなんて話は聞かないよね。探索者さんかな」


「おそらくはそうでしょう。しかしながら、裏世界側が侵攻を注力するこのような都市で、そのほとんどを刈り取り続けるなんてことは可能なのでしょうか」


「……爺様だったら、できるでしょ。だったら、できるってことだよ。きっと」


「……大老のような方が何人もいるとは思えませんが……しかし、渦がないからと言って、警戒を怠ってはなりません。行きましょう。初維様」


 夏を意識した、狩衣のエッセンスを加えた涼しげなセーラー服を着た佐伯初維は、佐伯家の面々の先頭に立ち、軽やかな足取りで進む。彼女の後ろを追従する佐伯家の妖異殺したちも、彼女と同じような和洋折衷の軍服を着て、歩いていた。


 いかんせん、戦後西欧文化を受け入れた日本のファッションにおいて、重家の者たちが身に纏うゴリゴリの和服は異常なまでに目立つ。現在は『ダンジョンシーカーズ』の登場により、妖異殺しと現代社会の距離はぐっと縮まった。しかしながら未だ、決して表側を受け入れないという重家も多く、和服で少しだけ肩身を狭そうにして、侵犯妖異の討伐をしているものたちもいるらしい。


 佐伯家はどちらかというと柔軟な思考の重家のため、和洋折衷の衣服に身を包み、彼らの伝統の在り方は残しつつも、表側に歩み寄る姿勢を見せている。彼らの服装に、彼らの重家としての姿勢が現れ出ていた。


 しかし……そんな裏事情は露ほど知らず、ただなんか可愛いという理由で率先して和風セーラー服を着た初維は、ただ今ご機嫌である。


「いや~地方のド田舎とは違って、横浜県は発展してますよみなのしゅー」

「初維様……神奈川県です」

「本体は横浜ですよ、横浜」


 ひょこひょこと歩く初維は、危なっかしい娘として扱われ、佐伯家の面々は保護者のような立ち位置にいた。あちこちへ勝手にふらふらと移動しては、そのまま帰ってこないのだから、常にお目付役として二人の人員が配置されている。


「そふとくりーむ食べたいです」

「ダメです初維様。今は巡回任務中です」

「……けち」


 またわがままを言い出した彼女を見て、彼女の面倒を見る女性の妖異殺しが、はあと大きくため息をつく。もう十六にもなるというのに、彼女には落ち着きがない。


 しかし、戦闘となれば話は別だ。


 その時。出店の上につけられたソフトクリームの写真をじっと見つめていた初維が、突如として、表情から笑みを消して勢いよく振り返る。彼女が、世界から漏れ出る魔力反応に気づいた。



 彼女の視線の先には、ひび割れていく世界が━━━━



 きゅっとした顔つきをした初維が、対抗するように芝桜しばざくらの魔力を展開する!


 目の前に現れた『ひび』だけではない。この町を標的に、相当数の妖異が送り込まれている。果たして、今自分が率いている妖異殺しの数だけで足りるか━━━━


 彼女の目に映るのは、平和を謳歌し笑みを浮かべる人々。瞬間。彼女の頭に真っ先に浮かぶのは、妖異殺しの誇り。


「全員、散開! 各地に襲撃が来ます! お巡りさんや消防士のお兄さんに連絡をして、今すぐ避難誘導をして!!」

「っ! 了解です! 初維様はどうされますか!?」

 

 花柄の文様が夏空に浮かび、威容を放った。


「私はさーちあんどですとろいします! みんなは私の討ち漏らしを!」

「つまりいつも通りということで!」


 ニッと笑みを浮かべた佐伯家の男が、魔力の輝きを放つ。

 それを確認した後、歩道を蹴って飛び出した初維の軌跡に、花柄の残像が残った。





 初維は走る。窓ガラスを割って飛び入ってきたかのように、この世界を侵してきた妖異から人々を守るため。


 二足歩行の魚人型の妖異が、数体、群れとなって、びちびちと陸では役に立たないヒレを動かしながら初維の方を見ていた。

 

 侵犯妖異の周辺にいる人々は、その醜怪な姿に恐れおののいて逃げ惑っている。しかし、すでにある程度距離を取れている人々は、それぞれ迅速に、まるで地震が起きたときかのようにして、慣れた様子で避難に移っていた。こういった侵犯妖異が出現した時のためのマニュアルは、政府を通して広く交付され、妖異が討伐されるまでの間は、周辺施設に避難することが義務づけられている。


 娘を抱え服屋に駆け込んだお父さんが、娘を抱きしめながらウィンドウの外を見ている。真剣そうな彼とは反対に、店の中にはカメラで撮影をしている野次馬の人間もいるようだった。


 怪我人や直接襲われている人がいないことを確認した初維は、そっと、人差し指でポニーテールの髪を摘まむ。

 

 彼女は、髪の毛を一本だけゆっくりと引き抜いて。

 口を少しすぼめた初維が、魔力を込めた吐息をそれにかけた。


「……『身外身』!」


 佐伯家の固有術式である、身外身の術式を初維は発動した。すると、引き抜かれた髪の毛がみるみるうちに形を変え、ナイフとなる。さらに数本の髪の毛を、同じようにナイフに変化させた初維がそれを迷いなく投擲した。


 百発百中。その全てが魚人型の妖異の頭蓋に突き刺さり、彼らは即死して灰塵となる。カランカランと音を鳴らしながら、ナイフが地に落ちた。時間が少し経った後、ナイフは髪の毛に形を戻して、風に乗り消えていく。


 花柄の文様を放つ芝桜の魔力を発露させた初維の姿は、その鮮やかな殺しの手口とは似合わぬほどに、可憐だった。美しい、というよりは可愛らしい顔立ちをした初維の表情は、いたって真剣である。


「次は……あっちか!」


 彼女は突き進む。歩道を駆け抜け、ビルの壁面を走り跳躍した。


 宙を浮かび、身動きが取れない彼女目がけて、ビルの陰から蝙蝠とヤモリを足して割ったような見た目の妖異が、飛び込んでくる!


 敵の姿を目で捉えた初維が、再び髪の毛を数本手に取り、自身と寸分違わぬ姿をした分身を、上に一人、下に二人囮として飛ばした。


 目を白黒させた妖異を見据えながら、初維は手にした最後の髪の毛を太刀に変える。

 まだ、妖異と初維の距離は遠い。羽を持つ妖異が相手であれば、簡単に回避されてしまう。


 しかし、彼女にそれを許すつもりはなかった。


 (━━『爛漫の乙女』)


 彼女が、特異術式の発動を念じた瞬間。

 妖異と彼女の間にあった距離が、一気に縮んだ。それはまるで、移動の過程そのものを飛ばしてしまったかのようで━━━━


 彼女はその勢いのままに、妖異を袈裟斬りにする。

 灰を被りながら、両足で道路に着地した初維が、道の角を曲がった。


 彼女は横浜のビル群を突き進む。距離を切り取るその特異術式を何度も発動しては、四方八方へ飛んで、髪の毛を触媒にありとあらゆる武装を、自らの分身を、彼女が持つ豊かな想像力を羽ばたかせ生み出し、空を舞った。


 曰く、佐伯家の固有術式は初維の手によって完成されたという。それは、彼女が髪の毛を触媒に、ありとあらゆるものを生み出せるために他ならない。本来であれば人の分身ほど複雑で精巧なものを、伝承級妖異の一撃をも防げる頑強な剣を、盾を、作り出すことはできない。そこまでの質を持たせることが出来るのは、初維だけなのだ。


 (まだまだ行く!)







 返り血を浴び、ボニーテールを揺らして、彼女は夏空の下駆け抜ける。


 何十体もの妖異を討ち取り、人々を救った彼女は、更に進撃した。他の佐伯家の妖異殺しは、初維のフォローに徹し、指示通り彼女の討ち漏らしを狩って、警察や消防とともに市民の保護に努めている。


「……っ! この場所はまだ一体も狩れてない! はやくしないと……!」


 あまりにも広すぎる範囲を一人でカバーする初維が、焦り始める。同時多発的な侵犯が発生してから、すでにかなりの時間が経っていた。この場所には相当数の妖異が出現していたのにもかかわらず、ヒーローや妖異殺しも到着していないようであるし、こうなっては死傷者が発生していてもおかしくない。


 しかし、広域的に魔力を展開した初維が感じ取れたのは、たった一つの魔力反応だけだった。花の残滓を残しながら、初維はその魔力反応へ突き進む。


 ビルの壁を蹴り、塀を前宙しながら飛び越えて。


 到着した彼女が見たのは、血をダラダラと流し、地に倒れ伏している女性と。


 その目の前に座り込む、形容しがたい量の魔力を放つ男の姿だった。


 夏空を、紅迅の魔力が埋め尽くしている。その姿がほんの一瞬だけ、彼女が遭遇したことのある”あの竜”と重なった。


 目の前に立ち、初めて認識して、彼女が感じたのは本能的な恐怖。


「やっ!」


 ほぼ反射的に距離を詰めた初維は、その男性の背目がけてナイフを振るった。その一撃には十分な量の魔力が込められていたのにもかかわらず、紅迅の魔力障壁が、それを途中で防ぐ。


 ゆっくりと振り向いた男が、初維の方をじっと見つめた。明確に剣が振るわれたのにもかかわらず、彼に反撃の意思はない。


 懐から煙草を一本取り出した彼は、ライターでそれに火をつけ、一服をする。


 一息ついた後、低い声で彼は聞いた。


「……誰だ」

「えっ……その、あの、えっと、ご、ごめんなさい……」


 上着を使い、女性の止血を行っている彼の姿を見て、初維がしぼんでいくような声を出す。


 状況証拠的にも、彼が彼女の応急手当をしているのは明白だった。それに周囲を見渡してみれば、灰の山が積み上がっていることが分かる。その中の一つは、小山と形容して差し支えなく、巨大な伝承級妖異のものであることを伺わせている。


「…………『物語には終幕を』」

「?」


 初維には理解できない、外国語で放たれた言葉を彼が唱えたのに合わせて、手練れの妖異殺しである初維が恐れたほどの魔力は、蝋燭の炎がふっと消えたかのようにして霧散した。


 紫煙がゆらゆらと空を泳ぐ。

 きょとんとした顔の初維をじっと見つめながら、立ち上がった彼は彼女より背が高い。


「……俺は、城戸雄大っていう。君の名前は、なんて言うんだい?」


 見るからに年下の彼女を相手に、できるだけの優しい笑みを浮かべた彼が、彼女の名を聞いた。

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