171.あたたかなお茶、そして氷柱


 冬休み。

 それは1年に3度ある長休みの中で最もイベントに恵まれた時期である。

 2学期の終わり……それはつまり年の終わり。この時期は色々なものがある。クリスマスがあるし正月もある。そしてなにより資金調達があるという点において、大半の日をイベントの活気ある中で楽しむことが出来る最高の休みだ。

 確かにイベントの数で言えば夏休みが最も多いと言えるだろう。花火にお祭り、プールにキャンプにお盆など、休みの数も考慮すればそのイベントの多さに暇がない。しかし密度で考えればやはり冬休みの方に軍配が上がると考える。更に夏は主体的に動かなければイベントを楽しむことができないのに対して、冬は動く必要なく向こうからやってきてくれるからだ。

 そもそも出不精な俺。夏のイベントと言えばゲームのイベント程度で外に出ることがなかったから余計にそう感じる。

 クリスマスにプレゼントをもらい、正月にお年玉をもらう。なんと最高の休みではないか。もう毎日クリスマスと正月を繰り返して欲しい。つまり1年を365日ではなく2日にすれば完璧だ。なんて完璧な考えなのだろう。ノーベル賞くらい貰えないだろうか。


 この時期の学校は殆ど消化試合のようなものだ。

 テストも終わり、休みに入るまでのほんの数日間。授業自体はあるのだが先生も生徒も来る休みに向けて浮足立っており、授業なんててんで耳に入ってこない。この学校にはそれを理解している先生も多く、殆どの授業で本筋には関係ないちょっと喋って終わりというものばかりだ。

 つまりボーナスタイム。学校なのに学校らしくない最高の時間。フワフワとした授業を幾つか繰り返し24日になれば終業式だ。

 24日の終業式……クリスマスイブにまで早起きして学校に来なきゃならないのはいささか不満だが、午前で終わるから仕方ない。むしろその後スムーズに友人と遊びに行けるからいいまである。


 今日はそんな最高の終業式の一歩手前、23日のイブイブ。

 殆どの学校ではまだ授業をしているところが多いかもしれないが、この学校はまたちょっと特殊で文化祭もどき……正確には『文化部フェスティバル』という謎イベントがある。

 文化祭のように出店はなく、本当に文化部が出し物をするだけのシンプルなイベント。この日は授業もなく生徒たちも学校を散策し、文化部が主導する色々な出し物を楽しむという日だ。

 一般には家族とはいえ外部から人も呼ぶから表向きは行儀よく、しかし空き教室など人が来ないところで暇な生徒たちは雑談して時間を潰すと聞いている。それでいて午後イチ解散とか最高か。


 その話を図書委員長から聞き、もちろん俺も適当な教室に隠れて1日を無為に寝て過ごそうと思っていた。だから家族にもこのイベントの事を言う気なんてサラサラなかった。

 そう思っていた……が、人生俺の思い通りに万事全てが上手くいくなんてことはなく、雪にバレてチケットを手渡してしまった。しかし勝手に雪が来るのなら勝手に回ってもらってしまえばいい。俺は一切関与しない。そのつもりだったのだが……




「――――どうぞ」


 ふと目の前に1つの大きな器が差し出される。

 それは丼よりかはちいさいものの、こぶし大くらいは入るであろう大きな器。

 中には緑色の液体が注がれていて細かな気泡が幾つも浮かび、表面に注がれていた緑色が淡く映されている。

 俺達の前に出された1つの器。それを受け取った隣の少女は「お先に失礼いたします」と一礼して一息に器を傾ける。

 両手で器を包み込み背筋をピンと張りながら傾けるという完璧な所作。残されたのは空っぽの器。中身を飲みきった少女は「ありがとうございました」と言葉とともに元の場所へ戻していく。


 まさに理想と言えるような完璧な立ち居振る舞い。

 迷うこと無く成されるその行動と真剣な横顔をボーっと見ていると、続いて俺の前にも器が差し出された。


「どうぞ」

「えっ、あっ……」


 不意に掛けられる先輩の声。

 完全に意識は隣の少女に行っており、突如として戻される現実に戸惑ってしまう。


 ここは厳かな場。障子に畳、敷居を踏むことすら許されないこの空間はいくら生徒しかいない場といえど下手な失敗は許されない。

 周りにはお茶を点ててくれた先輩と、一人ひとり嗜んでいた生徒が俺の番の終わりを待っている。協調性を重視する日本人、いくら言葉に出していないとはいえ今か今かと自分の番を待ちわびマナーに反することは許されないことくらい俺にも感じ取っていた。同調圧力にも似た感覚がやろうとしていた行動をすっぽりと抜け落ちてしまう。


 え~っと、なにしようと思ったんだっけ?あれ?


 今日ここに来るにあたってマナーなどについては一通り予習しておいた。

 けれどいざ目の前にするとその工程をすっかり抜け落ちてしまった。たしか器を手に持って回転……どっち方向に?どれくらい?

 こういう場はマナーとか確かに大事だが、それよりも個々人がそれぞれ楽しむこともまた重視される。それは重々承知しているが、彼女が隣にいる以上、下手なところを見せたくないというのもまた事実。

 言う慣ればただの見栄だ。しかし見栄以前にすっかり忘れてしまった事実に軽くパニクってしまい固まっていると、突然器を持つ俺の手に重なるよう小さな手が伸びてきてそっと包まれる。


「……先輩?」

「大丈夫です。落ち着いてください。お茶を飲む時はこう、時計回りに90度程度回してゆっくり口をつけるのです。………そう、いい感じ」


 優しい先輩の言葉に従って誘導されるがままに手を動かすと、口の中に広がるは苦く、そして深い抹茶の香り。

 それはパニックになりかけた俺を落ち着かせる魔法の言葉。優しく、心配ないと信じられる彼女の心地よい声色に俺も逸り立っていた意識がスッと落ち着いて眼の前の器に意識を集中させる。


「それから先程お食べになったお菓子、その懐紙で吸い口を……そうです。お上手ですね」


 そう文字通り手取り足取り教えてくれるのはさっきまでお茶を点ててくれていた正面の女性、この部屋の長である部長さん。

 誰にでも優しく分け隔てなく接するかつ才色兼備という、優しいことで有名な先輩。そんな彼女の心遣いに俺も助けられ、無事隣の少女に前で恥をかくこと無くこの場は成功を収め――――――ヒィ!?


 無事隣の彼女の前で失敗せずに済んだ。そんな安堵とともに張り詰めていた緊張をと切らせた瞬間、突如として突き刺さるは絶対零度の視線。

 突き刺す氷柱のように鋭く、そして冷たい氷の視線。

 抹茶の暖かさなんて一瞬のうちに冷たく感じるようなその視線は、全員のお茶が飲み終わるまで、この部屋から解放されるまでの間中ずっと、痛いくらい突き刺さるのであった。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「おまたせ麻由加さん! ゴメン!ちょっと先生の話が止まらなくって」

「いえ、大して待っていませんからお気になさらず。むしろ陽紀くんこそお疲れ様です」


 時は少し遡り、朝のホームルーム後。

 今日というボーナスデーだというのに限って先生の話が長引いた俺は、解放されると同時に廊下へと飛び出した。

 少し走った先の階段で待ってくれていたのは茶色の髪と赤い眼鏡がトレードマークの少女、麻由加さん。彼女は寒い廊下で5分以上待ったにも関わらずそれをおくびに出すこともなく笑顔で俺を迎え入れてくれる。


「廊下から少し見えましたが随分と先生もお話に熱が入ってましたね。何を話されていたのですか?」

「たいしたことないよ。いくら身内のみとはいえ来客……特に文化部の親とかが多く来るからみっともない行動するなだってさ」

「ふふっ、先生らしいですね。例えば以前部長が仰ってた空き教室にたむろするとかですか?」

「かもね。あーあ、俺も何もなかったら真っ先にどこか隠れて時間潰そうと思ってたのに」


 先生の言わんとすることも理解できる。しかしやはり文化部の出し物といっても興味ない人にとってはあっという間に退屈になるものだ。だから空き教室という選択肢が生まれるのだがそれを前もって釘刺したのかもしれない。もしくはバレないように上手くやれ、か。


「いいじゃないですか。今日は一日、私とデートしてくださるのですよね?」

「えっ……」

「違うのですか……?」

「っ!ううん、違わない!デートだね!」


 一気に不安げな顔に変わる彼女に俺は慌てて同意する。


 そうだ。今日は彼女とデートだ。

 昨日彼女を駅まで送る際、彼女はおもむろにこんな提案をしてきた。『よかったら明日の出し物、一緒に回らないか』と。

 それはもともと空き教室でサボろうと思っていた俺に巡ってきた絶好のチャンス。二つ返事でオーケーした俺は文化祭に引き続き再び彼女とデートと相成った。

 しかし学校でそれを明言することは少し恥ずかしさも感じる。顔見知りの多い校内、流石に学外での感覚とは少し異なる。

 けれど麻由加さんは違うようで隣に寄り添ってくれる彼女に俺は顔を赤くしながらもそれを受け入れる。


「ありがとうございます。それでは早速どちらに行きましょう。色々な出し物があるみたいですが……」


 パンフレットを広げて見るは学内で行われる様々な出し物。

 書道部や美術部などの教室を使った展示を始め、演劇部や吹奏楽部といった体育館で行われるイベント。ゲーム部や文芸部、キノコ部などの出し物系…………いやキノコ部ってなんだ!?キノコの試食会!?

 ……などと俺も知らぬ部活の様々なイベントがあちこちで企画されている。

 しかし俺は脳内である程度シミュレーションしてきたのだ。今日という日を迎えるにあたって昨日ベッドの上で。


「まずは茶道部なんてどう?廊下で待たせちゃったし、温かいものでも飲んでから始めるってのは?」

「いいですね!私も実はちょっとだけ寒いかなって思ってました。茶道部でお抹茶を頂いて少し暖まりましょう」


 お、そこまで乗り気だと俺も嬉しくなる。

 こういうのは最初が肝心だ。みんながまとまって軽く雑談してから動く前に、最初に動かないと並ぶ羽目になってしまう。

 早速俺も階下の茶道部に向かうため脚を動かそうとするも、即座に服を引っ張られる感覚がして振り返った。


「麻由加さん?」

「デートなのに手は……手は繋いでくれないんですか?}


 それは俺の服をちょこんとつまんだ彼女のささやかなお願い。

 差し出されるは小さな手。いくらデートでもここは学校だ。周りの目もあるしそれはちょっと………。そんな思いも頭をよぎったが、彼女の不安げな目を見て俺は考えを改めた。

 今日は彼女のお願いで始まったデートだ。なら俺もとことん彼女を楽しませて楽しまないと。消極的だった心を奥底へ押し込めてその手を優しく握りしめる。


「じゃあ、行こうか麻由加さん」

「はい。陽紀くん」


 そうして握った彼女の手は柔らかく、優しく、そして何より外で長いこと待たせていたから感じる冷たさが、逆に心の暖かさを感じ取る。

 この時はもちろん、その茶道部で氷柱のように冷ややかな目を向けられることになるなんて夢にも思っていなかった――――

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