第2話「おいでよバウムの森」
そこは、大変に美しい場所でした。
自然環境特有の無秩序さで生え並ぶ木々の隙間を縫い、日光が地上を照らしています。
薄い葉を通した光はやや緑にその色を変化させており、地面を眺めれば、草花とは別に緑のコントラストが視界を盛り上げてくれていました。
吸えば一瞬で理解できうる程に、清く澄んだ空気。その美味を空間全体に行き渡らせる為に吹く、清涼な風。
風に吹かれたことにより、小気味よく踊り始めた木々の振り付けで木漏れ日は変化を見せ、地面に描かれた絵画もまた刻一刻と変化していました。まさに、自然が作り出す芸術と言えましょう。
周囲を見回せば、腰掛けるには手頃な岩が複数並べられ、円を形作っています。その真ん中には、役割を終えた様に色を失った枯れ葉が、魔法陣の形を作っていました。
「ココが、バウムの森……」
その魔法陣の中心にこそ存在するのが、私ことドライアド……
そう、この魔法陣こそ、妖精郷からこの地に降り立つための移動装置だったわけですね。まぁ、一方通行なのですが。
「……うん、良い森です」
季節は春の始めといった所でしょうか。この体になったからこそ理解できる気温の低下を感じます。
既に雪は溶け切っておりますが、空気はまだまだ、といった感じでしょうか。
動物たちもさほど活発な動きを見せていないのは、それが理由といえますね。もう少しすれば温かみが増し、彼らも生命の息吹をこの山に満たしてくれることでしょう。
「さてと、まずはこの森の
そう、この森には守護者がいると、オベロン様は言っていました。
オベロン様とは旧知の仲らしいのですが、詳細は語っていただく前に転送されてしまったので、どんな方かはわかりません。……うぅん、なんで肝心な特徴を教えてくれなかったのでしょう。
「まぁ、考えても仕方ないですね。森の散策をしつつ、お会いしてから考えましょう」
そう考えての、一歩。
踏み出した瞬間の、「ぎゅむっ」という感触。
「っ、ん、ふぅぅぅん……!」
枯れ木の葉という天然のクッションの、なんと心地の良い感触でしょう!
そして、地面! もこもこと足が沈む感触、こそばゆさ!
だめです、思わず笑ってしまいます!
「はふっ、はふぅっ、あ、歩くという事が、こんなにも情報過多だとは思いませんでしたよっ? 心和ちゃんの記憶ではそんな事はないというのにっ」
うぅん、感動的ではあります! 私、ずっと光の玉として浮いていましたので。
でも、これは……あまりにも様々な感覚を味わえ過ぎて、私の処理能力が追いつきません。
まさに、知っている事と体験する事とは別……ってやつですね!
しかし、困りました。
毎回このように、歩く度に悶絶していては、森の散策どころではありません。
仮にそんな状態で守護者の方にお会いした日には、草属性である私の顔面から火が吹き出る程の羞恥に悶えるは必定といえましょう。
「……仕方ない、飛んで移動しますかぁ」
歩くのは今後練習して慣れるとして、今は楽をしてしまいましょう。
体中の魔力を少しだけ意識すれば、それだけで準備はOK。私の体は、ふわりと宙に浮かびます。
草を編んで作った服が、ワンピースタイプというのは少々誤算ですね……なんだか見えてしまいそう。まぁ、見せる相手もいないし今は気にしないでおきましょう。
とにも角煮も佃煮も、これで堂々と森の中をさまよえるというものです!
進みたい方向を意識し、フヨフヨと浮かびながら進んでいきます。
春になりかけと言っていましたが、こうして余裕を持って周囲を眺めてみると……如実にその事実が認識できますね。
「厳しい冬を耐え抜いた、祝福すべき命の芽吹きが……こんなにもたくさん。素晴らしい光景ですねぇ」
例え気温が低くとも、健気に生え伸びる春の枝葉。
落ちた枯れ葉を糧にしつつも持ち上げる……生命力の権化と呼ぶべき草花の数々。
見ているだけで応援したくなってしまう、健気な彼らの姿。そして……
「……どの子も、お茶にしたら美味しそうですねぇ……!」
うぇへへへ……どんな味のお茶になるのでしょう?
苦味マックスでしょうか? 甘みの塊でしょうか? 渋みの極地でしょうか?
あぁ、早くしたいな、お茶栽培。今すぐにでも、飲みたいなぁ!
あ、念のために言っておくと、お茶を飲む=共食いとは違いますからね!?
そもそも私達草花は、根さえ無事なら無傷と言って差し支えない生命力を持っているのです。少々葉っぱを頂いたところで痛くも痒くもありません。
だ、だからこれ、私のシマではノーカンです。えぇ、ノーカンですとも……。
と、よくわからない言い訳を考えてる内に、私はいつの間にかどこかの広場に出ていました。
森の中にぽっかりと開いた、丸い空間。
その真ん中には透き通った泉が湧いており、とても幻想的な光景です。
「いいですねぇ、このお水。大変清らかです」
少し指を差し込んでみると、そこからキュキュッと水分補給。
うぅん、美味しい。とても栄養を含んだいいお水じゃないですか。
この水でお茶の一杯でも作ったら、大変美味しいのができそうです。
「当面はここを拠点にするのが良いかもしれませんねぇ~」
周囲を見回せば、木々の隙間からなにやら洞窟らしきものも見えています。
あそこを根城にできれば、管理人活動はできそうです。
「幸先いいですねぇ。あとは守護者さんが見つかれば……」
そこまで言った時でした。
ズンッ! と私の眼の前に、ひとつの影が飛来してきました。
私なんか一飲みにできそうな巨体の、獣の体。
伸びる
全身で「俺、クリーチャーっす」と語るナイスガイが、見事に私の不意を突いて躍り出たのです。
「……ぁ~……こ、こんにちは?」
『ギギギギギギキキキキィィィィィィィィィィィィイイイ!!』
「うひぃぃぃぃぃい!?」
ま、ま、ま、ま、マンティコアぁぁ!?
なん、なんでこんな上位の魔物がこんな所に!
いけ、いけません、これは大いにいけません!
「ひ、ひぇぇぇ! だれかぁぁっ」
私は即座に
マンティコアは、場合によっては町一つ壊滅せしめる程の力を秘めた恐ろしい魔獣! そんなの相手に出来るわけがありません!
『ギィィィ!』
「はへっ」
おぅ、のう……回り込まれてしまった!
おじいちゃんの顔面からは想像もつかないスピードです。というか、狙いは本当に私なんですね。
私、彼になにかしましたっけ……いや、していないはずです。
『…………(にちゃあ)』
ひえっ。
「あ、ぁ……た、たすけ……だれか……」
この体が、完全に人間としての機能を持っていなくて良かったです、
もし排泄機能なんてついてたら、この場で私は洪水警報を発令していたことでしょう。
あぁ、でも……涙は出るんですねぇ、この体。
『ギギャァァァアアア!!』
「わぁぁぁあ!! 誰か助けてぇぇぇ!?」
前足を振り上げるマンティコア。
思わずしゃがんで目を閉じてしまう私。
あぁ、なんてことでしょう……管理者生活1日目、お仕事前にオベロン様の元に逆戻りだなんて……!?
来るべき衝撃に堪える為に、私は全身を強張らせて待ち受けます。
「…………?」
しかし、待てど暮せどその衝撃は訪れません。
試しに薄っすらと目を開けてみます……うん、森の地面です。妖精界ではありません。
どうやら、私の感知できない一瞬で薙ぎ払われたってわけではないようです。
あ、そうそう、仮に私死んでも、オベロン様の前で復活できるんですよ。妖精特権って凄いんです。
まぁ、怖いし痛いのは嫌なので、なるべくなら死にたくなんてないんですが。
『……ゴ、ァ』
頭上から、マンティコアの声がしました。
顔を上げて見てみると……マンティコアの顔面は大いに歪んで凹み、そこから一本の腕が生えていました。
「はぇ……?」
腕……前足? それを辿って、持ち主を視線で追いかけます。
居場所は単純。私の背後。
「…………わぁ、カッコいい」
そこには、まさに守護神がいました。
マンティコアに勝るとも劣らぬ巨体。
凄まじい豪腕。まぁるいお耳。
全体に反して後ろ足は短く、どことなく愛嬌のあるフォルムになってしまっています。
そして何より……銀色の、もっふもふの毛並み。
「……熊だぁ」
今は所々が痛々しく、赤く染まっているけれど。
そのお方は、間違いなく……熊さんでした。
そこまで考えたところで、どうやら、私の中の心和ちゃんが限界を迎えた様子。
「はれ……? は、ふ……」
助かった。彼に、敵意はない。
そう感じ取った瞬間に、緊張の糸がぷつんと切れて。
私はそのまま、意識を手放したのでありました。
……うぅん、人間の精神は脆い、なぁ……。
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