第18話
一条ソウマは、数年前に最後に会ったときとは髪型や服装が大きく変わっていた。
水が貴重な物資になってしまったからだろう。頭は丸坊主になっており、服も汚れが目立たない黒いTシャツにカーゴパンツという出で立ちで、必要な物はすべてリュックに詰め込んでいた。
警視庁のエリートだった頃の高級なスーツを着ていた彼とはまるで別人のように見えた。
当時の彼は公安部所属で、主にカルト教団や過激派テロ組織によるテロ対策を担当する刑事だった。
タカミがハッカーであった頃、共にいくつものテロ事件を未然に防いだ。
警察組織が崩壊した後、彼は地元である愛知県に戻り、現在は自警団のような活動を無償でしているという。
「お前は信じられるか? あんな荒唐無稽な話」
アリステラの女王の演説について、一条にそう尋ねられたタカミは、返答に困った。
確かに荒唐無稽な話だった。だが、エーテルという万能物質については信じざるを得なかった。それは一条も同じだろう。ここまで車で来ることができたのだから。
小久保ハルミが女王のそばにいたことも信じるに足る材料に思えた。
一条は、「彼は?」と、その場にいないショウゴのことを気にかけた。
「相当ショックが大きかったみたいだよ。今は薬を飲ませて眠ってる」
「そうか」
ショウゴをタカミが匿っていることを知る者は、世界中で彼だけだった。
だから、誰かとショウゴの話をするのは、彼が相手のときだけだ。
「ここしばらくは、それなりに元気にしていたんだけどね。『雨合羽の男』になるくらいには」
雨野市で都市伝説のように語られている「雨合羽の男」がショウゴであるということにタカミは気づいていた。
「雨合羽の男? なんだ、それは?」
口を滑らせたな、とタカミは反省した。
一条がしているという自警団とショウゴがしていることは、同じ暴徒相手でも似ているようでまるで違うだろうからだ。ショウゴが暴徒の命を奪っていると知れば、彼はそれを許しはしないだろう。
法律などもはや何の意味もないものだとしても、彼はそれを頑なに守る。それが一条という男だった。
一条は、タカミの表情を読み取り、それ以上の質問は野暮だと察してくれたのだろう。
「君は、君の方こそ、大丈夫なのか?」
と、タカミの心配もしてくれた。
正直なところ、正気を保っているのが不思議なくらいだった。
ショウゴを楽にしてやろうと、拳銃を手にした。彼に向けてそれを撃つまで、本当に死なせてやるつもりだった。
死んだはずのユワに瓜二つのアリステラの女王の存在は、ユワの恋人だったショウゴにも、兄であったタカミにも、あまりに衝撃的すぎた。
「正直、一条さんが来てくれて助かったってところかな」
タカミは正直な気持ちを吐露していた。
そんな相手ももはや彼しか存在しない。
ユワもハルミも、アリステラの側にいる。この世界を、人類を滅ぼそうとしている。
「でも、一条さんは信じているんだろう?」
エレベーターで最上階に上がる途中、タカミは彼にそう尋ねた。
「ハルミが女王のそばにいたからか?」
一条の言葉にタカミは頷いた。
「あいつはこの世界に裏切られたからな」
彼は悲しそうにそう呟き、
「ぼくは君がまだ人類の側についてくれていることに感謝しているよ」
そして笑った。
そうだった。タカミもショウゴも世界に裏切られた側の人間だった。
「君があちら側についたなら、人類は本当に終わりだ。ハルミに対抗できるのは君だけだからな」
一条の信頼が嬉しかった。
「君のことだ。アリステラがあの放送をどこから流していたのか、すでに調べはついているんだろう?」
エレベーターが最上階に着いた。
「当然だよ」
と、タカミはエレベーターを降りた。
数時間前、一条と連絡を取った際、タカミのスマホのそばには彼のパソコンがあり、エーテルによる影響で起動していた。
タカミは一条と会話をしながら、アリステラによる放送の発信源を突き止めるプログラムを起動させていた。
「君のことだ。アリステラがあの放送をどこから流していたのか、すでに調べはついているんだろう?」
「当然だよ」
タカミと一条のそのやりとりは、かつて共にいくつものテロを未然に防いだときと変わらないものだった。
複数の海外サーバーを経由しているため発信源の特定は困難、そんな言葉が災厄前の刑事ドラマなどではよく飛び交っていた。
だが、あんなものは物語上の都合か、現実でもそういうことがあったのだとしたら、サイバー犯罪課に所属していた技術者の能力が低かったのかのどちらかでしかない。
たとえ世界中のサーバーを無数に何重も経由していようが、発信源を特定することはあみだくじをゴールからスタートへと遡るのと同じだ。その迷路が単純か複雑かの違いしかないからだ。
「とはいえ、敵は10万年前の超古代文明か……」
一条は遠い目をすると、一筋縄じゃいかないな、と苦笑した。
「この国だけじゃなく世界中の軍隊が壊滅状態だ。俺たちにできるのは君のハッキングくらいか」
「ハッキングでどうにかなる相手ならいいけどね。アリステラ人が全員電脳化してくれてるとか」
「攻殻機動隊か。懐かしいな。
まぁ、軍隊が残っていたところで、現代の軍隊じゃ到底相手にならないだろうな」
「そうだね、敵は災害や疫病を自在に起こせる」
それも、この4年間で世界中から法治国家がすべて機能しなくなるほどのレベルで、だった。
「アリステラとこっちとでは、そもそも軍事力というもののとらえ方が違うんだ。
奴らは軍や兵器といったものを必要としていない。エーテルという万能物質と、それを扱えるアリステラ人さえいればいいんだ」
10万年前はどうだったかまではわからない。
英雄アンフィスが13人のネアンデルタール人の弟子と軍を従えて、と言っていたから、アリステラの言葉でエーテライズというらしい魔法のようなものを主流とした戦いをしていたのだろうとは思う。
だが、敵は今、そういう戦争をしかけてきている。
「野蛮なホモサピエンスに出来ることは、エーテルの使い手を始末することくらいだろうね」
それはもしかしなくとも、ユワに瓜二つのあの女王を殺す、ということだった。
そんなことはタカミには出来るはずもなかった。ショウゴはもちろん一条にも、誰にもさせたくはなかった。
タカミは一条を自室に案内した。
パソコンのモニターは3面あり、そのひとつには、すでにアリステラによる放送の発信源が示されていた。
別のモニターでは、生前のユワや時の人として扱われていた時代の小久保ハルミの写真や映像と、アリステラの放送のふたりが同一人物であるかどうかの解析結果が出ていた。
同一人物である可能性は、どちらも99.14159265359%と表示されていた。
「やはり同一人物か」
今はそう信じざるを得なかった。
「発信源はヤルダバの首都アルコンだな」
ヤルダバは中東にある小さな国だが、ノーベル賞受賞者を数多く排出し、産業革命以後現代に至るまで、常に科学で世界を牽引し続けてきた国だった。
その領土は決して広くはなく、それに比例し人口も多くはないものの、鉱物資源に非常に恵まれた土地であり、かつては鉄やアルミ、銅などのベースメタルの世界一の産出国であり、現代になると希少なレアメタルやレアアースの世界一の産出国となっていた。
この四年でヤルダバがどうなっているのかは情報がないからわからないが、災厄前は世界で最も文明が進んでいるとされていた国のひとつだ。
「確か近親婚が多いから、天才が生まれやすいと言われている国だったな」
一条の言う通りだったが、近親婚が多くの国で禁止される原因である、死産や遺伝性疾患の罹患率の上昇が、この国では全く見られないという。
そのことから、宗教的観点から「近親婚が唯一許された現人神の住まう国」と呼ばれることもあれば、科学的、あるいは都市伝説的観点から「太古から遺伝子操作技術を持つ禁忌の国」と呼ばれることもある謎の多い国でもあった。
「核分裂反応を最初に発見したのも、確かこの国の三人の化学者だったな」
「ラーガル・アザトスにレオナルド・スカニヤ、それからブライ・グノシス。
核兵器と原子力発電の始祖、ヤルダバの三賢人だよ」
化学者たちの名前を口にして、タカミは違和感を覚えた。
それは一条も同じだったようだ。
「ブライ? あの女王もその名前を口にしていなかったか?」
アリステラの父、ブライ。確か女王はそう言っていた。
女王が手にしていた古文書のひとつもまたブライ聖典というものだった。
名前の一致などよくあることだ。ただの偶然だと片付けることもできるだろう。
だが、アリステラと何の関係もない場所からあの放送が発信されていたとも思えなかった。
「10万年前にアリステラが国ごと異世界から転移してきたのが、ヤルダバの地だったのかもしれないね」
「異世界の土地が含まれていたから、鉱物資源に富み、科学で世界を牽引することができたというわけか」
その可能性は十分にあった。
「それに、ヤルダバは、一年前にユワの遺体を輸送中だった飛行機がその消息を絶ったところだよ」
間違いなかった。
ユワとハルミは今、ヤルダバにいる。
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