第6話

 きっと雨野タカミは、自分が真夜中に出かけていることに気づいているだろう。雨合羽を着て街に出た少年は、そんなことを考えた。


 いくら何もすることがないとはいえ、まだ二十代後半の彼が、毎晩10時に規則正しく就寝するはずがないからだ。入院患者でも消灯と同時には寝ない。

 むしろ眠れない夜を過ごしているはずだった。いつも目の隈がひどかったし、数日に一度、まるで意識を失うように、どこ彼かまわず倒れるように眠りにつくことがあった。きっとあれ以外では眠ることができないのだろう。

 兄は嘘が下手だと、少女からも聞いていた。やましいことがあるときは顔を見ればすぐにわかる、と。

 彼はそういう人だった。


 この雨野市では、一年中降り続く雨のおかげで、市外に比べ疫病の感染率が低く、ほとんどゼロに近い。

 疫病の感染は気にする必要がなく、街を出歩く際に気を付けなければいけないのは暴徒だけだった。


 少年はマンションから5分ほど歩いたところにあるコインロッカーの前で足を止めると、首にかけたネックレスの先についた鍵で、コインロッカーのひとつを開けた。

 中にはサバイバルナイフと拳銃、そのふたつを納められる手製のガンベルトが入っている。少年は雨合羽の下にすばやくそれを装着した。

 護身用などという甘いものではなく、少年は明確な殺意を持って、それを身につけていた。

 雨合羽も、一見武装していることがわからないようにするためであり、雨を避けるためのものではなく、血渋きを避けるためのものだった。


 タカミは少年が真夜中に街で何をしているかまでは知らないだろう。

 だが、薄々勘づいてはいるはずだった。

 夏場に首元の広いタンクトップを着ていた少年が前屈みになったとき、タカミの目の前でコインロッカーの鍵がこぼれ落ちたことがあったからだ。

 あのとき、きっと何かしらには気づいたはずだ。

 街に出かけた際に使用しており、部屋には持ち帰れず、コインロッカーに隠さなければいけないものがあるのだと。


 少年はいつも首に、シルバーのチェーンに少女と買ったペアリングをふたつ引っ掛け、ネックレスにしてかけていた。

 たまに、今夜のように、そのネックレスのチェーンが二重になっていることがある。

 そんな夜は、少年が狩りをする夜だった。


 暴徒は食糧を求めて人間を狩る。


 その暴徒を狩るのが少年だ。


 少年は、人間は大きく二種類に分けられると知っていた。

 金や食糧に困ったときに、他者から奪ってでもそれを手に入れようとする者と、そんな状況下にあっても決してそうはしない者だ。


 少年が愛した少女を生け贄に捧げようとした人々は前者であり、彼らは今暴徒と化している。

 生け贄になるのが、少女から別の対象に移っただけだ。


 少年は、暴徒化するような人間が心から憎かった。

 誰ひとり生かしておこうとはどうしても思えなかった。

 だから、見つけ次第ためらいなく射殺する。あるいは心臓を一突きする、頸動脈を切り裂くと決めていた。


 数日前に街に出たとき、少年は暴徒に襲われそうになっていたひとりの少女を助けた。

 駅前の通りにある、とうに閉店した薬局店のシャッターが無理矢理こじ開けられており、その中に少女と暴徒がいた。


 暴徒に背後から近づき、後頭部に銃口を突きつけると間髪入れず引き金を引いた。

 暴徒には命乞いをさせても無駄だ。その場でもう二度としないと約束をしても、次の日にはまた人を襲う。背後を見せた途端に命を狙ってくる。だから暴徒には一刻の猶予も与える必要はない。

 そんなことよりも、少年が考えなければいけないのは、頭蓋骨を弾が貫通した場合、助けたい相手にその弾が当たらないような場所を瞬時に判断し撃つ、ということだけだった。


 暴徒を殺した後はすぐに銃をしまうこと、自分はあなたを襲うことはない、と警戒心を解くことも忘れてはいけない。

 そうしないと、せっかく助けた相手がその場から逃げ出して別の暴徒に殺されてしまうからだ。少年はそんな風に人も死なせてしまったことが過去に何度かあった。


「あ……ありがとう……ございます……」


 恐怖に体と声を震わせて少年を見上げた少女の顔に、少年は見覚えがあった。

 言葉を失ってしまった少年は、しゃべることができない代わりに、雨合羽のフードに隠れていた顔を少女に見せた。


「あっ……」


 少女もすぐに少年に気づいたらしかった。

 少年の名前を呼ぶと、


「何年振りかな……元気に……は、してないよね……」


 と、少年を気遣うように言葉を紡いだ。


 数年振りに再会したその少女は、山汐リンといい、少年や少年の恋人の中学時代のクラスメイトで、特に少年の恋人とはとても仲が良かった。


「学力テストで毎回学年上位の成績を取る秀才!

 おまけにFカップの巨乳美少女!!

 ただし、見ての通りの超童顔とこんなにちっちゃいせいで、誰が見ても小学生にしか見えない!!!

 何この妖精、全身ぺろぺろしたい!!!!

 誰かランドセルと、ブルマか旧式のスク水持ってきて!!!!!」


 少年の恋人は、リンのことをそんな風に変態的な表現をして絶賛し、「国民の血の繋がらない妹」と呼んでいた。


 自分がタカミの血の繋がらない妹であったことを、その頃の彼女は知らなかったわけだが、血の繋がらないという表現には、性行為が可能という意味が含まれていそうで闇が深かった。

 今考えると少年の恋人は少し、いや、かなりヤバい子だった。


 リンは、少年と同い年だからすでに成人しているはずだが、あの頃と全く見た目が変わっていないように見えた。

 舌足らずの声も相変わらずだ。

 髪型が少し変わったくらいだろうか。

 セーラー服を着ているところしか見たことはなかったが、私服が手に入りづらいからなのか、彼女が着ているのは小学生が着ていそうな、いわゆる女児服というやつだった。

 きっと彼女が生きていたなら、今度こそ全身ぺろぺろされていたことだろう。

 そんなことを思うと、自然に笑みがこぼれた。


「あっ、今、このロリ巨乳、全然見た目変わってないなって思ったでしょ!?」


 頬を膨らませてぷんすかと怒ったふりをするリンに、少年はジェスチャーで、言葉を話せなくなってしまったことを伝えた。


「そっか……やっぱり大変な思いをしたんだね……」


 涙ぐむリンに、ロリ巨乳についてはそっくりそのまま思ったことを伝えた。


「むしろ合法ロリ巨乳に進化しただとーー!!」


 そこまでは思ってない。いや、思った。


 リンは、同じく中学時代の同級生のマヨリと行動を共にしているということだった。

 マヨリという少女も、少年の恋人の友人だった。学級委員をしたり生徒会に入ったり、しっかりした性格で面倒見の良い美人だった。


 マヨリはどこかとジェスチャーで尋ねると、


「あのね、わたしね……」


 リン曰く、何日か前に彼女は野犬にかまれてしまい、マヨリとふたりでこの薬局に消毒薬や鎮痛剤などがないか探しに来たということだった。

 だが、店内には医薬品の類いはどこにもなかったという。

 災厄前にすでに閉店していた店だから、あらかじめなかったか、あるいはすべて持ち出されたかまではわからなかった。


 その後マヨリはひとりでリンのために医薬品を探しに行ったのだが、何日たっても戻って来ないという。


 少年はマヨリはすでに暴徒に殺されてしまっているのだろうと思った。

 しかし、そんなことはリンには伝えられなかった。


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