第3話
局地的な大災害が世界各地で立て続けに起き、世界中に未知の疫病が蔓延したのは、2022年の夏のことだった。
あらゆる災厄は、数百年前に滅亡したアリステラ王国によって仕組まれた。
アリステラの王族の血が途絶えることにより、災厄は終わりを告げる。
SNSに拡散されたそんな根も葉もない噂によって、雨野タカミの妹が世界の生け贄に選ばれた。
まるで魔女狩りだった。
中世の時代ならまだわかる。災害や疫病、飢饉を鎮めるために少女を生け贄に捧げることは珍しくなかったからだ。
だが、これだけ科学が発展した21世紀に、法治国家で起きる事とは到底思えなかった。
まだ14歳の少女の命を最初に狙ったのは、ユーチューバーや「無敵の人」と呼ばれるようになった人々だった。
死刑になりたいからという理由で殺人に手を染める、人生や社会に絶望し、自暴自棄になった人々のことだ。
かつては数年にひとり現れる程度だったが、年々増加傾向にあり年に数人現れるようになっていた。
それ以外の人々は、少女と、彼女を連れて逃げる少年の目撃情報を、面白半分にSNSに投稿する程度だった。
少女には早く死んでほしいが、自分の手は染めたくはない、ユーチューバーや無敵の人が少女を殺してくれるなら万々歳、そんな軽い感覚だったのだろう。
だが、ユーチューバーはすぐに、最終的に殺人動画になるようなものは、規約違反により収益化が見込めないことを悟り、収益化可能な動画に切り替えていった。
無敵の人も、簡単には少女を見つけて殺すことはできないと知り、次々と諦めるようになる。手近なところで無差別に殺人を犯し、本来の目的を果たしては逮捕されていった。
すると今度は、昨日まで普通の学生だったり、会社や役所勤めをしていた人や、パート勤めの子どもを持つ主婦のような、それまではSNSでの情報提供にとどまっていた人々が、ひとりまたひとりと少女の命を狙うようになっていった。
この頃には、テレビのワイドショーや字幕スーパーで少女の目撃情報が扱われるようになった。民放各局だけでなく国営放送まで、どんな番組でもリモコンのdボタンを押せば番組とは関係のない目撃情報を知ることができた。
少女も少年も、顔写真をはじめ氏名や生年月日といった個人情報から、家族の個人情報までが、テレビや新聞、ネットに晒された。
ネットでは少女に比べ彼女を連れて逃げる少年について、あまり本名で呼ばれることはなかった。
少年はSNSを中心に「セカイ系主人公」と揶揄され、「リアルシンジくん(破)」「天気の子の主人公」「ポニョのソースケ」とも呼ばれていた。
『こいつ、彼女の命さえ救えれば、マジで世界や自分がどうなってもいいとか考えてそうだよな』
『今は彼女のために頑張る自分に酔ってる感じなんだろ。夜中に書いた手紙みたいなテンションで生きてんだろな。後で死にたくなるパターン。てか今死ね』
『はた迷惑な破滅願望者』
『ポニョ、ソースケきらい!』
『こいつが一番「無敵の人」だろ』
『そろそろ疑似シン化形態になるんじゃね? いい加減やめとけ。人に戻れなくなるぞ』
『最初から人じゃないだろ。まともな人間なら普通真っ先に彼女殺すか見棄ててるだろ』
SNSではそんな呟きが無数に見られた。
人はここまで醜い生き物だったのかと、改めて思い知らされたのをタカミはよく覚えている。
タカミや彼の両親までが命を狙われ始めたのはこの頃からだ。
次に人としてのタガが外れたのは、未知の疫病に対処していた医療従事者たちや、局地的な大災害に対処していた自衛隊員、そして警察官らだった。
彼らは職務を放棄して、少女と少年の命を狙うようになり、患者や被災者たちは見棄てられた。
少女の命を奪うことこそが、患者や被災者の命を真に救うことになる、というのが彼らの主張であり、それに対し政府もまた何の対処も行わなかった。
少年が少女を殺害したという一報が流れたとき、日本国内だけでなく世界中が安堵したという。
だが、少年については、世界に混乱をもたらした罪は非常に重い、という見解を国連が示し、少年の死刑を望む声が世界中から上がった。
タカミが少年を匿うことを決めたのは、少年に対する感謝の気持ちもあったが、このことが何よりも大きかった。
最期まで妹を守ろうとしてくれた少年を、今度は自分が守ろうと決めたのだ。
それに、彼には妹が死んだとて災厄が終わりを迎えるとはどうしても思えなかった。
疫病は、もしかしたら人為的に作られたウィルスが原因だったかもしれない。それがあらかじめ用意していたワクチンでは効果がないほどに、人の手に終えないほどの急速に進化した可能性は十分に考えられる。
だが、数百年前に滅亡した、ウィルスの存在すら知らなかったであろう国家が、そんなものをどうやって作り出すことができたのか、どうやって2022年に起きる災害に合わせてウィルスを撒き散らすことができたのか、誰も説明できないだろう。
災害はさらに説明が不可能だ。
現代の科学でも、地震については数十年以内に巨大地震が南海トラフ沖で起きるだろう、といった予測しかできないのだ。
「日本沈没」のように、一年以内に巨大地震が起き日本列島が沈没すると科学者が予測し、本当にその通りになるような精密な観測を行う技術は現代にはない。
雨野市が位置する東海地方では、数十年前から数十年以内に巨大地震が起きると言われ続けているが、いまだ起きてはいない。数十年以内という期間だけが更新され続けている。その間に予測すらされていなかった関西や東北で巨大地震が起きてしまっていた。
数百年前に滅亡した国家に一体どれだけの科学力があれば、巨大地震に毎日40度を超える気温や記録的な雨量の大雨とそれによる洪水が重なることを予測できたのか。
なぜ疫病や災害が、アリステラの王族の末裔の命を絶つことで終わるのか。
映画やドラマなどに登場する、悪役の心臓が止まると爆発するようになっている爆弾のように、災害発生装置のようなものがあり、死亡によってそれが止まるとでも言うのだろうか。ウィルスの生死が決まるのだろうか。
何もかも説明がつかない以上、近い将来、紙幣価値がなくなるほどの事態が待っているのではないか。
そう考えたタカミは、紙幣価値があるうちに全財産を使い果たすことにした。
金はあった。
元々それなりに収入はあったが滅多に使うことがなかった上に、殺された両親の生命保険が相当な額振り込まれていたからだ。
耐震性が高く、ソーラーパネルによる自家発電や雨水をろ過する装置と貯水タンクがあり、大雨や洪水の影響を比較的受けにくいだろう高層マンションの最上階を、少年を匿う場所に選んだ。
残った金で非常食を買い込んだ。
その選択が間違いではなかったことは、数ヶ月後には証明された。
少女が死んでも災厄が収まらないどころか、ますます加速し肥大化の一途を辿り、世界的な飢饉と世界大恐慌が起きた。
世界中の誰も、70億の命を守るためにひとりの少女を生け贄に捧げる選択をしたことが誤りだったとは認めなかった。 きっと認めたくなかったのだろう。
その代わりに持ち出されたのがタイムリミット説だった。
少年が少女をその手にかけたのが、2023年になってからの、寒い冬空の下でのことであったため、2022年12月31日23時59分59秒が、災厄を終わらせるタイムリミットだったのではないか、という説が突如として浮上した。
そして、何の根拠もないその説をまたもや誰も疑うことなく信じ、少年の死刑を望む声はますます大きくなっていった。
タカミが世界を見限ったのは、その頃になる。
もう妹も、不仲であったとはいえ両親もこの世界にはいない。
この世界が存在する意味があるとすれば、妹のために世界を敵に回す覚悟をしたひとりの少年が、まだ生きている、生きていてくれている、ただそれだけだ。
彼はそう考えるようになった。
タカミはこの数年間、睡眠をまともに取ったことがなかった。
眠れば必ず悪夢を見て目を覚ます。
夢の中で何度妹を殺したかわからない。
少年を殺す夢を見ることもあった。
なぜ守れなかったのか。もっと出来ることがあったのではないか。
そんな後悔から、悪夢から目を覚ますたびに自己嫌悪に陥る。
だから彼は自発的に眠ることをやめた。
彼が眠るのは、肉体や脳が限界を迎え、意識を失うときだけだった。
少年を心配させないよう、夜になれば「おやすみ」と言って、少年より先に自室に行くようにしていた。
ベッドに寝転がるわけでもなく、かといって何かをするわけでもない。
何もしない、何も考えない、が彼の理想であったが、なかなかそうも行かず、数年前に調べたアリステラ王国についての資料を何度も読み漁っていた。
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