6-7 悪魔
「ショコラ?」
沢口家のペット、ミニチュアダックスフンドのショコラが突然吠え出した。
「なんだ?」
もしかしたら、田沼が来たのだろうか。
僕は周囲を見回すも入り口付近に人影はない。あまり吠えることのないショコラが激しく吠えている。一体何を訴えているのだろう。
一瞬嫌な考えが頭を過る、まさかまた佐藤が来たのか⁉
いや、さすがにそれは考え過ぎだろう。井上の話では佐藤はまだ少年院に入っているはずだし、駅から反対方向にあるこの公園を、アイツが知っている可能性は低い。
幸い公園の中には僕と里奈、そしてショコラの姿しかない。ここは高台の先端だし、入り口から誰かが来ればすぐに気が付く。角度的に僕の視界の外から人が来ることは、まずあり得ない。
それでもショコラは構わず吠え、しまいには里奈のズボンの裾を噛み、彼女を引っ張りだした。
「ショコラ! ちょっとやめて」
もしかして、構って欲しくてやっているのかもしれない。遊んでくれない主人にいい加減しびれを切らしたか。
「引っ張らないで。なんなの? いつもはそんなことしないじゃない」
僕は警戒心を解き、里奈とショコラのやり取りを僕はぼーっと見つめる。その光景がなんとも微笑ましくて、思わず笑いがこみあげる。
「ふふふ」
「ちょっと直斗、笑わないでよ」
「だって、なんかおかしくて」
「あとで遊んであげるから、大人しく待っててよ」
依然としてショコラは里奈のズボンの裾を離さない。ショコラがウーッと唸りを上げる。
「なんなのよ、もう」
「構って欲しいんじゃないの?」
「えー、だって家でも遊んでたし、さっきまで大人しくしていたのに……」
そんなとき、ゴゴゴという地響きと共に突然地面が激しく揺れ出した。里奈が立てていた天体望遠鏡がバランスを失い地面に倒れ込む。
「え……地震……⁉」
僕は急いで立ち上がるものの、激しく地面が波打ち、上手くバランスが取れない。勢いあまって地面に転ぶ。地面には水溜りが多くあり、僕は全身泥に塗れた。
「な、直斗!」
「里奈……!」
僕は我が目を疑った。
里奈のカウントダウンが、このタイミングでカウントダウンが再び動き出したのだ。ふざけるな、こんな周囲を巻き込むやり方なんて、どんな運命だ。
点滅状態は解除され、物凄い速度でカウントダウンが進んでいく。
『9:00』……『8:00』……『7:00』……。嘘だろ、こんな終わり方ってあるか!
僕は揺れ動く地面から這い上がり、里奈の元へ駆け寄る。ダメだ、どんなことがあっても里奈を守るんだ。
一方の里奈も立っていられず、木製の手すりにしがみ付いていた。
「くっそ!」
地面を蹴り里奈に近づく。未だに揺れは治まらない。
何度か転びそうになりながらも、里奈の元にようやく辿り着き、彼女を抱きしめる。
「なに、なに、なんなの⁉」
「里奈!」
身体がフワッと浮き上がる感覚に襲われる。地震でこんなことが起きるのか?
ヤバい、これはただ事じゃない。震度四? いや五はあるんじゃないか。
「ワンワン‼」
ショコラの声が周囲に響く。
え、どういうことだ。ショコラは遠く離れてしっかりと大地に足をつけている。揺れてない。それどころか、周囲の木々も揺れている様子はない。
ま、まさか、これは……!
僕はある事を悟り、一瞬だけ里奈を強く抱きしめる。
『6:00』……『5:00』……『4:00』……。
彼女の寿命がすり減っていく。
「里奈、大好きだよ。僕が君の運命を変えてみせる」
僕は彼女の耳元で小さく囁いた。伝えたかった、ずっと大好きだということを、いままでもこれからも君を愛しているということを。
そう伝え終わり僕は里奈の顔を見つめニコリと笑う、そして次の瞬間、思い切り両手で彼女を突き飛ばした。
「え……」
里奈は僕に突き飛ばされて、地面に突っ伏し、慌てて起き上がる。そして振り返り僕に手を伸ばす。
「来るな! ここから離れろ!」
僕はありったけの力を振り絞り、大きな声をあげた。僕の言葉に驚いたのか、彼女が身を縮み込ませた。
これは地震なんかじゃない。これは――。
「直斗‼」
「僕から離れろぉぉぉぉ‼」
――秋の長雨による土砂崩れだ。
新興住宅地の中にポツンとある高台、コンクリートで補強はされているとはいえ、十日間以上長く降り続いた上が雨の影響により地盤は緩み、いつ崩れてもおかしくない状況だったのだ。それをショコラは僕らがわからないほどの地盤の歪みを察知し、主人の里奈に危険が迫っていることを必死に教えてくれたのだろう。
僕は彼女の運命を呪った。
ここに僕が現れようが現れまいが関係なかったのだ。
長雨に差し込んだ、一夜限りの晴れ間。神はこれを狙っていたんだ。彼女の運命を終わらせるために。
周囲の動きがスローモーションのようにゆっくりと動き出す。
僕の足元は徐々に崩れていき、僕の身体は完全に宙に投げ出された。
そうか、そういうことだったのか。
今更ながら、僕はある事に気づく。
アルバートもそうだったのかもしれない、僕の祖父健一郎も同じことをしたんじゃないか。誰かの運命を変えたくて、悩んで、もがいて、足掻いて、それでも運命は変えられないことを知った。
けれども、愛する人のカウントダウンが迫ったそのとき、僕と同じように――。
――その身を差し出した。
愛する人を守るために、その命を差し出したんじゃないのか。
祖父が言っていた言葉『運命の強制力には逆らうな』
知っていたんだ祖父は。
運命に逆らう方法を。でもそれを試すには、誰かの運命を犠牲にしなければならない。それが無理なら自分の命を差し出さなければならない。
祖父もそうだったんじゃないのか。
強盗団が家に侵入してきたとき、きっと祖母のカウントダウンがスタートしたんだ。急激に進むカウントダウンを止めるために、祖父は代わりに自分の命を差し出したんだ。
祖母があの日、僕が初めて『みえるひと』になったあの日。少し驚いたような顔をしていたことを思い出す。
そうだ、きっと祖母も知っていたんだ。祖父が自分を助けるために命を差し出したことを。それで『お祖父さんが来てくれた』と言ったんだ。だからあんなに嬉しそうだったんだ。やっと祖父の元に行けるから。
アルバートもそうだったんじゃないのか。
彼は自ら命を絶った。
僕はずっと彼は『みえるひと』であることから逃げて来たと思っていた。けれど、違うんじゃないか。彼はずっと戦っていたんだ、ひとりで。妻に信じてもらえなくても、諦めずに。
けれど、目の前で死んでいく人を見て、助けられなくて悟ったんだ。誰かの運命を差し出す以外に助ける方法はないと。だから妻のカウントダウンがみえたとき、自らの命を差し出したんだ。愛する人を守るために。
とはいっても、今更これを確かめる術はない。田沼の言葉を借りるなら、これは仮説だ。二人は当の昔に亡くなっているし、祖母も居ない。残っているのはアルバートの奥さんだけだ。彼女は今でもアルバートが自殺したと思っているのだろうか。もし叶うなら違うだと伝えたい。
「きっとあなたを救うために、自らの命を差し出したんです」と伝えたい。
けれど、もうそれは遅い。
でも大丈夫、田沼ならいつか気づいてくれるだろう。気づいてアルバートの奥さんに伝えてくれるだろう。田沼は僕が認めた、僕が信じた大人なのだから。それに井上も居る。千夏も居る。だから大丈夫だ。
神様、アンタはどうしても里奈の命が欲しいみたいだな。
けれど、ざまあみろ。
絶対に里奈の命はやらない。
代わりに僕の命をくれてやる。それでプラスマイナスゼロだ。これで十分だろ。
ゆっくりと動く世界に僕はほくそ笑んだ。
このくだらない世界に、このくだらない運命に。どうだ、逆らってやったぞ。これでも里奈の命が欲しいと言うなら、お前は神なんかじゃない。悪魔だ。
この悪魔め、僕の命で十分だろ。
「直斗ぉぉぉぉぉ‼」
里奈、彼女の声が聞こえる。
大丈夫だよ、もう終わったんだ。これで君のカウントダウンはきっと止まる。これでもう僕が君の後をつける事も無い。
今まで本当に申し訳ない、ストーカーまがいのことを何度もしてしまった。許してもらえるとは思っていない。でももう大丈夫。これで終わりだ。
ゴゴゴという地響きと共に住宅地にポツン立つ高台は崩れ去った。僕という命を埋めて。
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