5-1 初老の刑事

 あの日の後悔は今でも心に残っている。

 どうして里奈に僕の事を打ち明けたのか、それは今でもわからない。僕は嬉しかった。里奈が僕の能力に気づいたと思った。それで舞い上がっていたのだろう。

 田沼の出会ったアルバートでさえ家族に打ち明けて悩み、そのために自ら命を絶ったと言うのに。僕はアルバートのようになりたいのか。

 いや違う。僕には理解者が居る。田沼と千夏いうよき理解者が。里奈もその一人になって欲しかったんだ。これから何度も説明していこう。そうすればいつか里奈も信じてくれるだろう。

 しかし現実はそう甘くなかった。次の日の朝、僕はいつものように里奈を迎えに行き、玄関前で待つ。五分ほど待ったが里奈が家から出てくる様子はない。彼女は真面目な性格で時間を守らないような人ではない。それに待っている間はどうしてもカウントダウンの事が気になってしまう。しびれを切らした僕はインターフォンを鳴らした。

 出て来たのは里奈の母親。その里奈の母親からとんでもない事実を伝えられた。『里奈は先に学校に行きました』と。

 僕は頭から冷水を浴びせられたかのような衝撃を受けた。僕は里奈の母親に礼を言い、急いで学校へ向かう。もしカウントダウンが再び動き出していたら、いや今思うのはそっちではない。嫌われたのか僕は。


 学校に辿り着くなり僕は二年生のクラスへと向かう。教室のドアを開け中の生徒を確認する。まだ朝が早いため生徒も疎らだったし、そこに里奈の姿は無かった。

 僕は里奈のクラスの生徒を捕まえて彼女が来ているかどうかを聞き出す。しかし答えはノー。彼女はまだ来ていない。一体どこに居るんだ。

 僕は焦りスマートフォンを取り出す。里奈にLINEで『いまどこ?』と送った。しかし既読は付かない。昨日の夜から何度かLINEや通話をしているが彼女からの返信は無い。

 まさか里奈の身に何か起こったのかと不安が過る。


 そんな時、一人の女子生徒が僕に声をかけてきた。


「あ、沢口の彼氏じゃん」


 以前、里奈のクラスに突撃したとき、彼女を呼んでくれたギャル風の生徒だ。相変わらずメイクはバッチリ決めており口紅までしている。そんな事をしなければならないほど元が悪いのかと思わせる。


「すいません、沢口先輩知りませんか?」

「え、沢口……あ、鞄あるじゃん」


 ギャル風の生徒が窓際の席に視線を送る。そうか、確かにあそこは里奈の席。席の上には鞄が置いてある。僕はどうしてその可能性に気づかなかったのだろう。愚かな自分に嫌気がさした。鞄があるということは無事に登校してきたと言う事だ。僕は最悪の結果だけは免れたとホッと胸を撫で下ろした。


「そーいや、あの子天文部の副部長になったんだよねー。もしかして朝から打ち合わせとかあるんかな」


 なるほど、そういう事だったのか。

 僕は礼も言わずその場を去る。後ろから『ちょま』とギャル子が話しかけてきているような気がしたが、無視した。

 僕が今いるのは教室棟、生徒会室は教員棟にある。僕は昨日と同じく教員棟に歩みを進める。生徒会室に居るに違いない。早朝と言う事もあり先生も少ない。これなら教室のドアを少し開けてカウントダウンをみることが出来るかもしれない。


 生徒会室の前にたどり着くと僕は周囲を警戒し、教室内を窺う。話し声が聞こえる、どうやら生徒らしき人は数人居るようだ。僕は教室のドアに手をかけそっと扉を開く。指が一本入るぐらいの隙間を作り、教室内を覗き込む。

 居た、里奈だ。

 生徒会室の中には四人の生徒が座っており、一人は里奈、もう一人は天文部の部長真壁さん、もう二人は生徒会の誰かだろうか、上級生らしき雰囲気があった。

 僕は里奈の頭上をジッと見つめる。カウントダウンは点滅している。良かった、動き出してはいないようだ。

 よし、里奈の無事だけは確認した。僕は再び教室のドアを閉じ自分のクラスに戻った。


 それから里奈は僕を避け続けた。いや彼女本意じゃないにしろ、僕にはそうとしか感じられない。天文部の副部長であること、文化祭の実行委員であること、それらが僕を遠ざけた。

 しかし僕も黙ってみていたわけでは無い、来る日も来る日も里奈の後をつけカウントダウンを確認する。部活動がある日は唯一里奈と一緒の空間に居られた。幸いなことにカウントダウンは点滅したままで動いた形跡はない。

 今も変わらず『99:99』のデジタル表示のままだ。


 そして数日が経過し、文化祭が間近に迫った日の下校時間。部活には里奈が顔を出していたのでカウントダウンの確認は出来た。里奈は生徒会室に籠り何かの作業をしていた。彼女の無事さえ確認出来れば会話など無くても構わない。たとえ彼女に煙たがられても。


 一緒に帰るまでは関係は修復出来たが、あれからずっと会話らしい会話は出来ていない。LINEの返信はあるものの、家に帰って数回ある程度。最近は既読スルーも多くなった。

 今は良い、カウントダウンさえ止まってしまえばいくらでも時間はある。

 僕は今日も変わらず彼女の帰りを待つ。正門で待つのも慣れて来た。秋も深まりいよいよ風の冷たさが身に染みてくるようになっていた。

 学校に植えられている木々が風によって靡く。その度枯れ葉が舞う。制服の中にセーターを着こみ寒さ対策はバッチリだ。日が落ちる時間も早くなっており、僕が部室を出る頃には辺りはすっかり暗くなっており、それがより一層寒さを感じさせた。

 僕は校舎を眺め、こんな日まで遅くまで作業にあたる文化祭実行員は大変だ、そんな事を考えていたその時、僕に声をかけてくる人物が居た。


「織部直斗君」


 僕は後ろを振り返る。そこには電信柱と小さな街灯。その電信柱の後ろに二人の人影が見えた。人影はゆっくりと僕に近づいて来る。街灯の灯りがその二人を顕わにした。


「こんばんは、覚えているかい。千葉県警の井上です」

「木村です」


 二人は警察手帳を取り出し僕に見せた。


「千葉県警……?」


 僕はそう呟いた。そうか、佐藤が逮捕された日に会った初老の刑事だ。かすかにだが見覚えがある。確かもう一人の刑事もあの場所に居た気がする。

 しかし僕に一体何の用事だ、まさか里奈を待っていることがダメだというつもりか。


「何の用事ですか?」

「いや用事なんてないさ。ただこの近くを通りかかったので元気にしているかなと顔を出してみただけさ。そうしたら君の姿をみつけてね」

「そうなんですか?」

「うん、あれから元気にしているかい?」

「ええ、傷も治りましたし」


 何だこの刑事は。


「そうかそうか、それ良かった」

「用事がないのなら話しかけないで頂けますか。佐藤は少年院行きになったと聞きましたし、里奈も無事です」

「うんうん、無事で何よりだ」


 何が言いたい、何か聞きたいならさっさと話せばいい。このような回りくどい会話は嫌いだ。それよりも僕は大人が大嫌いだ。


「田沼さんは元気かい?」

「さあ? 最近会っていません」


 半分嘘だ。結局『点滅』に関しては何の情報も得られず、今は経過観察と定期的な連絡のみを取っている。田沼は佐藤にやられた傷が原因で入院し今は自宅療養中だった。今は病院を休業し、何かの研究をしていると聞く。自分が集めたアルバートの資料を読み漁っているらしい。今も変わらず僕の力になってくれている。本当に尊敬できる唯一の大人だ。


「結局、あの日聞けずじまいだったけど、君と田沼さんが親戚だという話」


 それが聞きたいがためにわざわざここまで来たと言うのか。刑事という職業は存外暇らしい。


「嘘ですよ、田沼さんは僕の親戚ではありません」

「ええ⁉ 嘘だったの?」


 白々しい。そんな事調べればすぐわかると言っていたのはこの井上ではないか。


「だったらどうやって知り合ったんだい。しかも何故二人であそこに居たんだい」

「僕は精神病だったんです」

「ほう?」

「田沼さんは僕の主治医です。そこで知り合いました」

「おお、なるほど。それでか、やっと君たちの接点がわかったよ」


 井上がうんうんと頷く。木村も頷き何かメモを取り出した。


「そうかそうか、ありがとう。それで何の病気なんだい?」

「そこまで言う必要ありますか?」

「これは失敬。君は今『精神病だった』と言っていたからね。治っているものだから、つい聞いてしまったよ」


 井上はそういうと深々と頭を下げた。


「それこそ調べればわかるんじゃないですか。僕の病気のこと」

「幻覚がみえるそうだね」


 僕はギロリと井上をみた。知っているではないか。僕の力を。いや正しくは病名を。

 違う、僕は病気じゃない。これは神が与えた特殊な能力だ。


「あ、そうだ。田沼さんと言えば、実は有名な精神科医らしいじゃないか」

「え……」


 井上はそう言うと肩に下げていた鞄から一冊の本を取り出した。それは田沼の著書『みえるひと』の本だった。


「この本面白いね。他人の寿命がみえる人の話」

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