第79話:新作を考える




 マティアスの熱意に押され、あれよあれよと言う間に新作を書く事が決まった。

 途中でマティアスが「そんなに稼いで城でも買うんですか?」と言って、ローゼンに「まぁ、面白くない冗談ね!」と、かなり本気で背中を叩かれていた。


「いや、冗談では」

 マティアスが焦って言う言葉をさえぎり、ローゼンが目の前にケーキを置く。

「うちの自慢のパティシエが作りましたの」

 フローレスからは見えなかったが、のちにマティアスはこの時のローゼンを、『魔王の手下』と表現していた。



「現実では幸せに暮らしているだろうから、本の中でくらい仕返ししたいわ」

 フローレスがそう言って自作の主人公に選んだのは、兄のホープだった。

「仕返し、ですか?」

 マティアスが難色を示す。

 大衆が求めているのは恋愛小説で、残酷な復讐物語では無い。


「あら、話の内容は隣国の王女との恋愛よ。ただ、家を捨てて隣国へ婿入りしちゃうのよ」

 うふふふ、とフローレスは楽しそうに笑う。

「お兄様が読むとは思えないけど、本の中とはいえ、侯爵家の当主の地位を捨てて恋に走る愚かな男になるのよ、屈辱でしょ?」

 ホープは利己主義の塊のような男だ。

 間違っても恋だの愛だのに溺れて、自分の立場を捨てる事は無い。


 既に侯爵ではなく伯爵だが、そこは問題では無い。

 先祖代々続いた由緒正しいオッペンハイマー家を捨てさせるのが、フローレスの仕返しなのだ。

 物語の中でだが。



「では、その方向で草案を書いてみてください」

 マティアスが言うと、フローレスは首を傾げる。

「そうあん?」

 不思議そうに聞いてくるフローレスを見て、あぁそうか、とマティアスは勝手に納得する。


 今までフローレスは、完成された原稿を出版社に持ち込んでいたのだ。

 担当との打ち合わせなど、した事も無いのだろう。

 それであの魅力的な物語を書けていたのだから、その才能は素晴らしい物だと言える。


「いえ、いつも通り書いてくだされば大丈夫です」

 執筆方法を変えて、潰れてしまった作家をマティアスは知っていた。

 担当の言う通りに書き直しているうちに、何が書きたかったのか本人が判らなくなってしまったのだ。


「何か話の展開や問題が思い付いたら、ぜひ連絡してください」

 執筆後の修正ではなく、執筆前の案を一緒に話し合う方向で、マティアスはフローレスの役に立とうと決めた。




 マティアスが帰った後、フローレスは上機嫌だった。

 本の中とはいえホープに仕返し出来る事が嬉しいのか、話を書く事自体が楽しいのか、本人にも判断出来ていない。

 とにかく、何となくワクワクしていた。


「名前を決めないとよね。前作の兄って書いちゃっても良いかしら?」

 自慢のパティシエが作ったケーキを食べながら、フローレスは新しい作品の事を話す。

 余談だが、このケーキをマティアスは3つも食べて帰った。


「相手の王女様のモデルをオルティス帝国の彼女にしたら、さすがに駄目よね」

 宝飾店で会った、人外かと思う程の美姫をフローレスは頭に思い浮かべる。

「お嬢様の作品の読者だと言っていたので、喜びそうな気がしますけどね」

 ローゼンが返事をしたのを、フローレスは「そうかなぁ」と半分聞き流した。

 無理だと思っていたからだ。


 数日後、教授経由で許可が取れたとローゼンから手紙を受け取った時、フローレスは自分の侍女の優秀さに思わず「何者なの?貴女」と問い掛けてしまった。

「お嬢様の侍女です」

 にこやかに返答するローゼンは、とても幸せそうだった。




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