第59話 久しぶりの

 駅周辺を散策したいと言っていた有亜と百華はいなくなってしまい、僕と千紗乃は取り残され目的もなく散策をしていた。


「やっぱり観光地だけあって人が多いのね」

「観光地って人を観るための場所だっけか……」


 一歩、また一歩と踏み出すたびに次々とやってくる大勢の観光客。

 人混みが得意ではない僕は気分が悪くなりそうになっていた。


「……せっかく温泉街に来たんだし、温泉まんじゅうでも食べる?」

「そうだな。甘い物食べれば気分が変わるかもしれないし」


 目的もなくただ歩いているだけだったので、『温泉まんじゅうを食べる』という目的が設定されただけでも気分が少し楽になった。


 温泉街だけあって温泉まんじゅうのお店は何店舗もあり、歩いて一分程の場所にあったお店で温泉まんじゅうを買うことにした。


「疲れたでしょ。私、注文してくるから外でゆっくりしてて」

「すまん、助かる」


 そう言って僕を店頭に残し、千紗乃は温泉まんじゅうを買いに行ってくれた。


 千紗のはただやることがないから温泉まんじゅうを食べようと提案してきたのではなく、人混みに酔っていた僕を見て休憩が必要だと考え温泉まんじゅうを食べようと提案してくれたのだろう。


 そして僕を休憩させるために温泉まんじゅうを買いに行ってくれている。


 あー……。


 千紗乃が本当に僕の奥さんになったらどれだけ幸せな生活が送れるんだろうなぁ。


「あぁ……好きだなぁ」

「好きって何が?」

「ち、千紗乃⁉︎」


 疲労のせいか、僕は無意識に千紗乃に対する想いを呟いていた。

 そのタイミングで千紗乃が戻ってきてしまったが、どうやら大事な部分だけは聞こえていなかったらしい。


「どうしたの? そんなに驚いて」

「い、いやぁ……。戻ってくるの早いなと思って」

「注文してから作るってわけでもなさそうだしね。それで、何が好きなの?」

「お、温泉まんじゅうの匂いだよ。ほら、湯気に乗って香りがしてくるだろ?」

「……まぁ確かに、美味しそうな匂いではあるわよね」


 危なかった。もう少しで僕が千紗乃のことを好きだと言ったことがバレてしまうところだった。


「ほ、ほら、早く食べようぜ」

「二個ずつ買ってきたから。はい」


 そうして千紗乃から手渡された温泉まんじゅうを受け取る。

 買ってきてもらった温泉まんじゅうを受け取るというこの行為もまた本物のカップルっぽいな。


 なんとなくもったいないような気もしたが、僕は温泉まんじゅうを口に運んだ。


「うんまっ……。なんだこれ」

「疲れてる時に食べる甘いものってやっぱり最高ね」


 温泉まんじゅうの美味しさに頬を落としている千紗乃の姿に思わず見惚れながら食べ進める。


 こんなに美人で優しくて、男子から人気の高い千紗乃が今、僕とこんなに近い距離にいるんだよな……。


 もし結婚して夫婦にでもなったら、こうやって定期的に千紗乃と旅行に来て、しかもその時は二人っきりで。

 まだ飲んだこともないけど一緒にお酒を飲んで酔っ払ったり……。


 そんな将来やってくるはずもないのに、淡い期待を抱いてしまっている自分がいた。


「ちょっと、何ジロジロ見てるのよ」

「す、すまん」

「あ、分かった。二個じゃ足りなかったんでしょ」

「べ、別にそういうわけじゃ……」

「食べかけでもいいならこれ、あげる」


 そう言って千紗乃は僕の前に一口かじった温泉まんじゅうを提示してきた。


 しかも、めちゃくちゃ可愛い笑顔で。


「え、で、でも……」

「別にいいわよ。私そこまでお腹空いてないしっ」

「ちょっ、モムゥッ‼︎」


 僕は千紗乃から食べかけの温泉まんじゅうを無理やり口に突っ込まれた。


 千紗乃から温泉まんじゅうをもらうのを拒否しようとしていたのは、申し訳ないからでもお腹が空いていないからでもない。


 千紗のが一口かじった温泉まんじゅうだったからだ。


 僕がその温泉まんじゅうを口にしてしまえば、それ即ち間接キスということになる。

 間接とはいえ、キスをするとなると遊園地デートの日以来のことだ。


「元気出たでしょ?」


 そう言ってニヒっと笑う千紗乃な表情を見て、僕はもう、嘘の恋人では満足できないと、そんなことを考えていた。

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