二億九千三百万円事件
今井杞憂
二億九千三百万円事件
父が死んだ。
いとも簡単に、そしてあっけなく逝ってしまった。
そのこと自体を悲しむ気はない。いや悲しむ気はあるが、悲しんでばかりもいられないから立ち直るしかない。
というか、もとより寡黙な父であったから、悲しみがそれほど湧いてこなかった、と言ったほうが正しいのかもしれない。
但し、それだけではない。悲しむ暇がなくなってしまった、とも言える。
親が死んだ後、自分にドラマみたいな急展開があるなんて思わない、普通は。
葬儀を済ませた後、遺書を貰った。
家族個人個人に書き残しておいたらしい。文面は本人だけ見るように、とあった。
「
相続遺産 金百万円也
書斎にある机の引き出しにしまっておく」
言われた通り捜すと、確かにあった。
百万円が封筒に入っていた。それも四つの封筒に分かれて。
通帳ではなく現金。元来ケチケチして金の保管にはものすごく注意を払っていた父が、ポンとしまっておくだろうか。
まあ、死ぬ前というのは普段と違う行動をするって聞くしな。それか、相続する人がいるからしまっておくだけでいいと判断したのかもしれない。
封筒四つで百万円にしては、一つ一つがかなりの厚さだ。
思い切って中を覗く。なるほどと納得すると同時に、不安が込み上げてきた。
すべて五百円札だったからだ。
「兄ー、相続するモノは見つかったかー?」
「ああ、うん」
僕は急いで、持ってきていたカバンに封筒四つを押し込んだ。
妹の
「そっちこそ見つかったのか?」
「うん。まったく父さんも手の込んだことするよねぇ。あ、もちろん教えないよ」
「分かってる」
その代わりこっちも教えないし。教えるわけにはいかない。
百万円、だけではなかった。もう一枚紙片があった。
『俺は、あの府中三億円事件に関与した。』
あんなこと書かれて、平気でいられるわけがない。
*
一か月後のとある日、会社を休んだ。
さすがに忌引の後に休むのは気が引けたし、かといってあの問題をいつまでも後回しにするわけにはいかない。
さて、この大量の五百円札と向き合おう。
ネットで軽く調べてみて分かったのが、この紙幣は明らかに盗まれたものであるということ。
警察から公表されている五百円札の番号二千枚分と、ピッタリ一致していた。
おそらく、番号が割れていては万が一にもバレる可能性があるから、長年の間隠したままにしておいたのだろう。
しかしこれで、ますます父が「クロ」である確証が得られてしまった。出来ることなら取り越し苦労で終わりたかったのに。
……テレビでも点けるか。
現実逃避したくなって、僕はテレビをつける。大したテレビ番組はやっていない。チャンネルを切り替えているうちに、一つのワイドショーに目が留まった。
『三億円事件の真相? 週刊誌が突然のリーク!』
おっ、ちょうどいいや。事件の詳しい概要を知られるかもしれない。
――今日は、昭和四十三年に府中市で発生した、現金輸送車強奪事件、通称「三億円事件」の日です。
白バイ隊員を装った男が、銀行の現金輸送車を乗っ取り、走り去った事件。現在、公訴時効が成立しており、捜査は打ち切られています。
しかし、事件発生から五十年以上が経った今年、驚きの証拠が出てきました。
それは、一枚のメモです。
メモ。
僕が手に入れている札束とは、また違った物的証拠というわけか。
――今回、話してくれたのは、都内在住の飯川さん(仮名)。顔と名前は伏せ、声も分からないようにするという条件で、取材に応じました。
インタビューを最後まで見たが、要するに、発煙筒を点火させる方法を書いた紙が見つかった、ということらしかった。確かに「犯人しか知りえない情報」と言われている以上、証拠となっても不思議ではない。
ただ、そこまで見て思った。
この物的証拠は、誰が持っている?
一か月前に見つけた、五百円札二千枚。今日オンエアされた、ワイドショーでの話題。どうも無関係と断ち切るには不自然に見える。
父と同じタイミングで、関わった誰かが死んだ、あるいは罪を告白した……? いや、だが、時効も成立しているのだから、得をする人はあまりいない。せいぜい話題作りのために飛びつくマスコミくらいだろう。
結局この百万円、使うに使えない。
元々は盗まれたものだし、換金するのも面倒だし、かといって誰かに渡すわけにもいかないし……。
考えを巡らせていると、ある思考が頭を巡った。そして、体が赴くまま実行に移していた。
*
入間市にある自宅から西武線で二十分ほどで、東村山市の
乗り換える武蔵野線の駅は少し離れている。屋根のない商店街を
妙な昂りを覚えながら、西国分寺で大半の客が下車すると少しほっとした。次の駅が目的地だ。
駅はこれといって何の変哲もないが、周囲が無機質だ。西側には、東芝の工場が建屋をずらりと並べている。
駅前の歩道を北へ歩くと、府中刑務所の白い塀が見えてきた。ますます無機質だ。
事件発生現場に来てみれば何か分かるかもしれない、などと甘っちょろい考えで赴いては見たが、まあ何も……って、え?
「昭美?」
「あれ、兄?」
妹だ。八王子に住んでいるはずなのに、なぜここに?
「兄も来たか、やっぱり」
「やっぱり……?」
ってことは、まさか。
「今日は十二月十日だ。父が耄碌してたか、あるいは罪を犯してたかどうかを知る術はもう無いが……」
言葉を続けながら、ごそごそとカバンから取り出し、
「ここに当時の計画を知る術はある」
数枚の紙とライターを見せてきた。取引か。
「わぁったよ」
僕も五百円札をチラ見せした。取引成立だ。
「なるほどな」
数十分後。
駅近くのファミレスで、昭美に遺されたメモを全て見た僕は、納得とも後悔ともつかない返事をしていた。周囲に客は少ないが、大した問題ではない。たとえバレたところで時効なのだ。
「つまり、いつの間にか加担させられていた、と」
「まあそうだね。父さん、手先は器用だったし。うってつけだったんじゃないの」
うってつけ、とは何事かと思う。利用されていたことを確信できるものが出てきた以上、他に言い様はないが。
*
父は手先が器用で、日曜大工はお手の物だった。
ここまでは、僕も昭美も知っている。知らなかったのは、そこから先のことだ。
友人に頼まれて、お遊びのために白バイっぽく塗装してほしいと言われたという。
友人が言うには「友人からの頼み」らしかったが、そこまでは分からなくもない。公道を走るのはさすがに危険だが、趣味の一環として、仲間内で見せびらかす程度なら問題ないと父も踏んだのだろう。
当時は小金井市に住んでいたらしく、住所までしっかり書いてあった。白バイの写真を見て、改造。クッキー缶の改造だの、ペンキの塗り方だのというのも記されていたが、それは飛ばす。
父自身も楽しんでいたらしく、報酬は求めていなかったという。
しかし、引き渡してから数週間後、友人の友人という人はそのバイクをえらく気に入ったようで、友人経由で報酬を渡してきた。
五百円札を二千枚、額にして百万円。
最初はいらないと言ったそうだが、ぜひと押し切られた。
その二千枚が、警察から公開された番号の紙幣だったのだから、さぞかし父は仰天しただろう。
*
父がクロではなくグレーくらいの立場にいたことは、事実なようだ。
「どうする? その百万円」
「……どうしような」
このメモに書かれたことが本当なら、三億円事件の一端は掴んだことになる。
しかし現実問題、この事件は既に時効だ。わざわざ名乗り出たところで、僕たち兄妹二人にメリットはない。かといって、このまま墓場まで持っていくのも惜しい気がする。
「あ、そういえばテレビの取材って」
「あー気づいてしまったか。そう、私が受けたんだよ」
やっぱりか。
「ま、白バイ偽装を頼まれた経緯は明かさなかったけどね。明かしたのはこっちの紙の内容だけ」
昭美はもう一枚、紙片を見せてきた。発煙筒を確実に点火させるための手法が載っている。
こっちのほうが、明かしたらダメなヤツじゃね?
「もう大丈夫だよ。強盗事件だから、時効がなくなったわけでもないし」
「計画は知らされてたってことか?」
「さあね。でもコレは、間違いなく父さんの字じゃないよ」
ということは、他の誰かが。
「……もう、よそう」
「え?」
こんなことに頭を使いたくはない、と思った。興味本位で首を突っ込んだから自業自得だが、今はできるだけ早く、事件のことを忘れたくなった。
「親父が何を思ってこんなのを遺したかは分からないけどさ。あの世にすら持っていきたくなかったんじゃないか、多分」
「……それもそうかもね」
そうだ。きっと。
「出よか」
「うん」
昭和四十三年十二月十日。犯人は、負傷者も出さず、日本社会に不利益をもたらさずに、総額二億九千四百三十万七千五百円を盗み去った。そのことから、金額との語呂合わせで「
だが蓋を開けてみれば、なんのことはない。
真犯人たちは、立派に父からの憎しみを買っていたのだ。
学園通りに架かる府中刑務所近くの歩道橋には、屋根がついている。中を覗かれないようにするためだろう。
その歩道橋で、僕は昭美に大量の札束を見せた。当分は保存しておく旨を告げると「兄は真面目だなぁ」と少し笑った。
突如、轟音が聞こえた。
何事かと階段を降りて道路を見やると、一台の自家用車が猛スピードで走り去っていくのが見える。
少し遅れて、パトカーのサイレン。
『そこの黒い車、停まりなさい!』
刑務所角の交差点を右折した自家用車は、府中街道へ消えた。
二億九千三百万円余りは、どこへ消えたのだろうか。
真犯人はまだ、生きているのだろうか。
二億九千三百万円事件 今井杞憂 @one-writer
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