第13話 レッド・デーモン①
――――時計の秒針が進んでいく。
腕時計の秒針も壁にかけられた電光掲示板の秒針も等しく同じ。世界中が平等なルールで回っていく。異議を唱えることはできず、すべては過ぎ去っていく。今の私にできることはきっと諦めるか悪あがきするかくらいしかなくて、悪あがきの結果だってすでに目に見えている状況。
「………」
膝の上に置いたノートパソコンは閉じたまま、窓から今まさに飛び立っていく飛行機を見つめた。自分が搭乗予定の便がまだ飛び立てないことはさっきのアナウンスで分かってる。でも私はどうしても、時間通りに飛びたくて。
「………あっ」
息をついて視線を膝に落とし――――正確には膝の上のノートパソコンを認識して小さくつぶやいた。もし、厳密に平等なルールがあるのなら、そのルールの裏をつくやり方だって平等に存在するんじゃないの?
※
「明日は街に行く日だからちゃんとパックしとけよ!」
「へぶっ」
顔面に衝撃を感じてソファから飛び起きると、リビングの真ん中に仁王立ちでこちらに向かって個包装のフェイスパックを投げつけてるレイがいた。
「なになになにどういうこと!?どうしてパックが無料配布されてるの!?」
「あ、巻奈おはよ~。お昼寝気持ちかった?」
「おはようミア………じゃなくてどういう状況なのこれは!?」
レイから射出されるパックを器用に片手で掴んだミアが私の顔を覗き込んでへらへら笑う。ちょっとソファで寝落ちしてる間にどうしてこんなことに?
「明日街に行くからコンディションを整えなよって話だよ」
「街に………?四人で?」
「うん、四人で。どこだっけ、六本木だよね?」
「そうそう。夕方出発だから朝はゆっくり寝てるんだぞ~」
パックを配り終えたレイが「ユウリはどこ行った?」と独り言にしては大きい声で呟きながらのしのしとリビングから出て行った。一方のリビングに残ったミアは私の質問に丁寧に答えてはくれているんだけど、まったく要領がつかめない。お出かけの予定なんてあったっけ?
「………ん?巻奈、もしかして知らない?」
「ごめん、本当になんの話?」
「あ、もしかして先週の日曜日の映画会って巻奈いなかったっけ?」
「覚えてないけど………もしかしたら眠くて早く寝たのかも」
「そっかそっか」
ミアが片手にパックを持ったままテレビの下の小物入れに移動して、どこから四枚の紙を取り出してこちらに突き出してきた。
「なんと試写会があたったんです!」
「え、え~!?」
机の上に置きっぱなしにしていたメガネを慌ててかけて確認すると、そこには確かに「ナインオクトパスロボシャーク2試写会招待券」の文字が!って、ちょっと待ってほしい。
「………『ナインオクトパスロボシャーク2』って何?」
「先々週の映画会で見た映画じゃん」
「あ、あー………それは私もいたね、覚えてるよ」
あまりにも荒唐無稽なストーリーラインと頭が痛くなりそうな特殊効果をひっさげたとんでもないB級映画だったことは覚えてる。ポップコーンを抱えたレイとミアがブランデー片手にげらげら笑いながら見ていた作品だ。まさか続編が出るなんて………続編が出るほど大衆受けした映画っていうのもなかなか衝撃なんだけど………。
「覚えてるけど、なんで続編の試写会チケット?」
「申し込んだら当たったんだよね、超ラッキー」
ひらひらとチケットを振りながら得意げに仁王立ちするミア。その反応とやる気から考えるに、試写会に申し込んだのはレイかミア、もしくは二人とものような気がする。「誰も応募する人がいないから当たったんじゃないの?」という野暮な突っ込みは大人の女性としてこっそり喉の奥に落とし込んだ。
「………うん、分かった。つまりこのB級サメ映画の」
「『ナインオクトパスロボシャーク2』の」
「………『ナインオクトパスロボシャーク2』の試写会に行くからコンディションを整えて夕方に出発なんだね、レイトショーなのかな?」
「そういうこと!」
ぱちんと鳴らされたミアの人差し指がこちらを向く。満面の笑顔を浮かべる彼女には悪いけれど、私はこのB級映画の試写会に耐えられるんだろうか?ホームシアターで見るからぎりぎり許せるクオリティーの映画を大スクリーンで最後まで見れるか心配だ。
「上映時間ってどれくらいなの?」
「三時間半」
「タイタニックじゃん!サメ映画だよね!?っていうかこの前サメ倒したじゃん!」
こともなげに答えるミアについ大声で突っ込んでしまった。それがどうしたの?という顔で首を傾げられても困ってしまう、おかしいのは私の方なの?
「ミアとレイに何言っても無駄だよ、二人ともセンスが普通と違うんだから」
「えー、そんなひどいこと言うなよ~」
足音が近付いてきたと思ったら、廊下からレイを背中にぶら下げたユウリが現れた。その両手には大量の布………と、鞄?
「明日用に服見繕ってるからみんな試着してみて。巻奈はこれでミアはこれ」
「うわ、めっちゃかわいい~!」
ユウリに手渡されたそれはミアが歓声を上げるのも分かるくらい素敵なドレスだった。ウエストをぎゅっとしぼったシルエットに一目で上等なものだと分かるワインレッドの生地が目を引く、けど。
「いやB級サメ映画にそこまでのおしゃれをしていく必要あるわけ?」
「日の目を見てない服がたくさんあって勿体ないからさ」
ひょい、と肩をすくめて服の山の中から似合う服を探そうとするユウリ。どう考えても私たちの今の給料じゃ買えないくらいの高級品の数々にちょっと眩暈がしそうになる。
「私が楊妃連翼隊にいた時の服、返しそびれてそのままなんだよね。このままだと着る機会ないし、せっかくなら試写会で着ようかなって」
「あぁ………なるほど………」
そういえばユウリはそのちょっと物騒な特技を生かして選りすぐりの暗殺者だけを構成した組織にいたんだっけ?確かにその仕事の特性上、華やかな服はどれだけあっても困らないだろう。返し忘れて借りパクしてるのもユウリらしい。
「うーん、レイとミアは身長が高いからこのへんかな………巻奈も早く着替えてみて」
「あ、うん、分かった!」
渡されたワインレッドのドレスを持っていそいそと脱衣所に向かう。別にリビングで着替えたっていいんだけど、なんとなく鏡があるところで着替えたかったので。部屋着として使い古しているユニクロのスウェットをとりあえず全部脱いで、肌触りがいいドレスに慎重に腕を通した。
「わ、わぁ~………化粧したいなぁ………」
どう考えても化粧もしてない昼寝から起きたばかりの女が日本家屋で試着する服ではない。明らかに服に着られているというか、首から下と首から上があまりにもアンバランスだ。
「でもめっちゃかわいい~」
私は働いていた時も後方支援が主な仕事だったので、こんな豪華なドレスを着たことはない。普通の女の子としてこんな素敵なものを着れるならテンションも上がる。B級サメ映画のために化粧をしたりパックをしたりするのは意味不明だけど、このドレスが似合う自分になるためなら頑張ってもいいかな、という気分にはなった。
「巻奈ー!ドレスが着れるならこのパンプスも履いてみて!」
「はーい!今行く!」
考えて見れば私は街に出るのも久しぶりだし、それはそれで楽しみだ。ペタペタと足音を鳴らしてリビングに戻りながら、あんなに文句を言ったのにわくわくしている自分の現金さにこっそり笑ってしまったりして、慌てて表情筋を引き締める。さて、みんなはどんなドレスを着たんだろう?
「どうよユウリ、私のドレスは!」
「ミアはそれチェンジ、レイはこっちの鞄持って」
「え、着替えるの!?これ脱ぐのめっちゃ難しいドレスなんだけど!?」
「ねぇこれ背中全部見えるんだけど」
「そうゆう服だよ、いまいちピンとこないからこっちも着てみて」
――――リビングの中央でテキパキと指示を出すユウリと着せ替え人形になってる二人の姿を見て、今日はもしかして徹夜なのかな、とこっそり覚悟を決めたのだ。
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