○✕□そしてニコッ△

生焼け海鵜

プロローグ「始まる春の一輪に」

0-1

 食卓に赤黒い肉が並んでいた。

「なにこれ」


 家に帰ったら、食べ物とは思えない肉が目に入った。

「鯨の肉らしいけど、貰ったの」

 そう、少し困ったような様子で母が言う。

 私は少し不気味だな、と思いながら自分の座布団に腰を掛ける。あまりにも異様な肉で釘付けな私に、母は醤油を持ってきた。

 隙間風が背中を撫でる。その肉を見ているだけで何故だか背筋が寒くなってしまった。

「これ、もしかして刺し身で食べるの?」

 半信半疑で醤油に映った自分を横目で流し、未だ、ちゃぶ台に料理を乗せる母の背中を見つめる。

「うん。そうらしい」

 

 しばらくの沈黙。


「いただきます」

 箸を持ち、いつもの通りに白米を口に放り込む。

 ふと、母が黒い肉を口に運ぶ様子が視界に入る。そして私に「美味しいから食べてみて」と催促した。


 恐る恐る箸で掴み、醤油につけ口に運ぶ。見た目は馬刺しのようだけど、その色濃い獣臭は比較しかねる。

 馬刺し同様、生肉独特のねちゃりといった食感が襲う。ただ只管に、飲み込んでしまいたい。一方で、味は獣臭さが美味しいといった、感じた事の無い違和感。

 再び白米を口に入れる。それは、口の不快感を消し去り、その甘味で全てを塗りつぶす。いつも以上に煌めく御米が今日は一層美味しく感じた。


「今日も謎は多かったの?」

 母のいつもの問。


「ううん、そこまで。猪が謎化したっぽくて大型が一匹と細々したのが点々といただけ」

「そう。よかったわね」


「うん」


 いつもの夕暮れ。いつもの夜。

 きっと明日も。

 だけど、やけに煌めく白米が頭から離れなかった。私は蛇の頭を撫で眠りにつく。少し嫌な予感を感じながら。

 



 原礼二十五年、四月十一日日没。私は尾張国に向かった。名古屋港を中心に、十三等級1時間で成人男性二人を殺せる性能の謎の群れを確認されたから助けに行こうと思って。集団等級は1時間で複数の町を襲え全滅させる性能超過。私は出来る。占団の皆には悪いけど、団長の私だけでも迅速に対応しないと最悪、潰れる。それどころか、三河国、美濃国、私達の信濃国すらも。


「呪文、流れる水の轟に、押して超えよこの我が心。青蛇」


 妖術は使わない方針だったけれど仕方ない。走りながら、そっとため息をつく。

 そんな様子を見たのか術により現れた周囲に漂った大きな水滴は、笑ったよう月光を反射し、音を立てる。

 私は犬山を目指した。尾張国最北部の犬山に謎が溢れているならば、もう名古屋は全壊と言っていいと思う。でも、実際に遠目で見た犬山は、明るく崩壊しているようには見えない。だから、この名古屋を含み、犬山も統治下に置く占団「雪」は未だに交戦しているのだと思う。


 原礼二十五年、四月十二日未明。犬山についた。一見変わった様子はなく、家屋も家畜の鳥も眠っているようで、不思議な程に、静まっている。一点を除いて。

 空中に妖像妖素や術を物体化させたものが浮かんでいた。海月の形をした半透明のそれは、結界を張るように無数に空を覆っている。

 雨雪。私と同じ年齢で「雪」の中で一番強い娘。今でも戦っているんだと思う。

「なるほど」

 そんな言葉を漏らす。

 犬山の城下町をフラフラと歩いていると、私の気配に気付いたのか、町民が家から出てきた。驚いた顔と不思議そうな顔が混じってる男は声を上げる。

「これは、こんな早朝に美濃国の方が何をしに?」

 私の服装を見たのだろう、そう町民が尋ねる。

「名古屋港に謎が襲ってるって通達来て、助けに」

 目を丸くした町民は、慌て始める。

「名古屋港が? 名古屋港も別に特別変わった事はなかったのですが。もしかしたら、あの捕鯨でしょうか? 最近捕鯨を行ったらしいのですが、煌めく肉妖素を多く含む肉が殆どで食べられなかったと聞きます」

「わかった。ありがと。で一つ訊きたい」

「何でしょう?」


「この空の海月はいつから?」

「九日の夕方からでしょうか詳しいことは分かりませんが」


 もう少し早く来るべきだったかな。


「わかったありがと」


 私は名古屋の方を見て、足を動かす。


「祝詞、尾を噛む蛇の一輪に、繋ぎ切れる縁繋ぎ。妖像」

 と術を使う。その術で発現した妖像の蛇は私の体を這い回りながら周りを確認して服に同化する。

 とりあえず、南を目指し足を動かした。



 名古屋港は地獄絵図だった。占師の亡骸らしき物と、一般人の遺骸。酸の匂い。斬撃で粉々になった人々。ただひたすらに、血肉の上を歩くだけしかできない。粘り気のある肉。踏むたびに糸を引き、助けてと言っているよう。そんな上空、朝日に照らされてもなお、幽かに青白く光る人形ひとがた一つ。


「祝詞、空の猛威の雹攻ひょうこうに。妖像」


 大量の青い魚の群れが、地上に降ってきた。硝子のように固く輝くそれは、未だ点在する謎を貫き貫通、消滅させる。

 正直、凄いな。と思った。その妖像の精度も、追尾能力も私が見てきたそれより群を抜いて精密で美しいと感じる。でも、私より下だけど。

 あらかたの謎を殺し円状に泳ぐ妖像は、その中心から大量の謎を吐き出した。

 青色。それは言うなれば、世界を操る力。多分、他の地域に出現した謎をこの場所に集め対処しているのだと思う。


 蠢く謎の玉。地面についたら突如として波みたいに広がった。目と鼻の先。狙いは私。妖素の濃い私。一斉に近づいてくる。


「呪文、断絶」

 謎の世界との繋がりを切ったから動きを止めた。いや、彼らは私や世界を知れなくなった。

「呪文、接続」

 再び謎は動き出す。良かった、力、まだ使えるんだ。


「呪文、見える世界の理に、繋ぎ切れる縁の紐。接続、死」

 謎は死んだ。私が彼らに「死ぬ」を結び付けたから。


「呪文、見える世界の理に、繋ぎ切れる縁の紐。接続、謎の場所」

 私の視界に、謎の居場所が浮き上がって見える。三河の一部にまで進行しているようで謎の塊がそこに居た。

「祝詞、尾を噛む蛇の一輪に、見える此処と見えた此処。移動」

 そういった刹那、謎の塊は私の眼の前にいた。でも、塊だと思った謎は一匹で凄く大きい。それは自然に敵わないと感じるほど。だって鯨だから。

 謎は耳に聞こえない咆哮を上げた。地面に散らばる肉塊が、意思を持つように動き出して私に襲いかかる。男の腕が。子供の頭が。


 鯨は体の一部が切り取られたように変形し、謎化した生物特有の黒い腕が無数に蠢いている。妖素を振り撒き、死体すらも謎化させ動かしているようだった。


 震える拳を握り直し足場を固め、飛んできた謎を腕で薙ぎ払い叫ぶ。


「祝詞、妖像!」


 未だ、雨雪は上空で浮いている。というより、空の空間に地面を作っているのだと思う。どちらにせよ、少しは助けてほしい。


 そう、彼女を視界に入れた。


 視界に入れてから数瞬。いや、一瞬。または一瞬も経たず。言い表せない時間で、雨雪が上空30間=1.82m、そこから落ちてくる。


 私の衣服から飛び出した妖像は、謎化した人間を食い散らかしている。だから雨雪に向かわせる事は出来ない。


「あのバカ何やってるの?!」


 完全に地に落ちるまで、数瞬ある。


 何も出来ない。鯨は私を襲おうと、周囲を謎化させながら近づいてくる。

 

「呪文、接続、死」

 とりあえず、周囲の謎を殺す。流石に18間のある鯨に概念を結びつけ出来ない。でも半分にできればなんとか。


「妖像、雨雪をお願い」

 蛇は、一際赤く染まった煌めく場所から雨雪の場所に移動した。体を大きく膨らませる蛇に雨雪は埋もれるように落下する。細かく震えて冷や汗を流す雨雪は、蛇に埋もれたまま、動かない。とりあえずは大丈夫そうと見える。

「ただ、あの鯨どうしよ。あまりにもデカすぎる」


 腐敗した匂い、限りなく大きい謎。等級など考えても無駄だとわかる。ただ私の目には赤い海を漂う肉塊と写った。ただ只管に、健気な程に私に向かって歩み寄ってくる。遺骸の折れる音。潰れる音。弾ける音。血の匂い。酸の匂い。武器等無い。遺骨ならある。


 鯨の爛れたただれた皮膚。膿の見える口。


 ふと、肩から力が抜けていると気づく。きっと体は諦めている。ただ立ち尽くすことしかできない。雨雪が泳がした理由が分かった気がする。


 雨雪に起きる様子などない。


 蛇が何かを言った。聞き取れはしない。ただ何か言っている。

「◯✕▢△◯✕▢△◯✕▢△◯✕▢△◯✕▢△」

 そんな声。初めて聞こえた。鈍い、重たい声。寂しそうな声。


「◯✕▢△◯✕▢△◯✕▢△、空間断絶」

 蛇は青色に輝く。空の青色。雨雪の色。


◯✕▢△◯✕▢△◯✕▢△尾を噛む蛇の一輪に。廻り廻る縁繋ぎ、破損」

 色は緑の変わりそんなふうにも聞こえた。


 次の瞬間、クジラが粉々に砕け散った。寒天のあぶくのように鯨の体が複数の球体で歪む。その後蒸発したように散り撒いた。


 そうして、一番の謎が死んだ。


 最大の謎が居なくなったからなのか、周囲の謎の気配が一気に消えた。強化した視界では認識できない程、数を減らしたようだった。

 登り切った朝日の差し込む平野は惨事の事後にも関わらず、春の陽気を感じられる。


 あたたか。だけど、体の様子がおかしい。


 手足の痺れ。咳が出る。咄嗟に抑えた手に赤く煌めいた血がついた。鉄の苦い味が舌に広がる。


「あぁ...あぁ...」

 情けない声が溢れ出る。肺が押しつぶされるような感覚。視界から色が消える。赤色を残して。

 立っていられない。体が熱い。それしかわからない。ただ只管に、何かが壊れていく。ただ只管に、生きている心地がしない。ただ、只管に、永遠に続くようだった。


 それは呆れるほど、笑えるほど。

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