明日へのダイイングメッセージ

月コーヒー

第1話

 港小学校、3年2組。


 給食袋を下げたランドセルを机に引っ掛け、大人用の茶色いコートを着こんだ西山が、


「お名前は?」


 と、鋭い眼光を向け依頼人に尋ねる。


「2年1組の、木村裕一……です……西山探偵……あの、ついこの前に死んでしまった親戚がいて……」


 2人が座っている窓際の西山の席からは、五月晴れの中サッカーをして遊んでいる児童の様子が見えた。放課後の教室には彼らしかいない。


「殺しか……」

「違います、病気です」

「えっ……じゃ何を調べてほしいっていうの?」


 西山は少しがっかりして、袖を何重にも巻いて出した手を顎に当てる。


「……それが、翔也君は、死ぬ間際に、書いたんです」

「ん……?」


 木村君は血の跡がついた学習ノートを床に置いたランドセルから取り出して、


「これなんです」


 ページを開らき、西山に見せる。


「……91.6212.5どっちも×わすれたものわすれない……」


 西山は、書きなぐったような文字を読み上げていった。


 ページの3分の1ほどを使って、はっきりそう書かれている。


「……どういう意味?」

「それなんです西山探偵!」


 木村君は身を乗り出し、


「わからないんです、だから、なんとかこの暗号を解読してください!」


 と西山に深くお辞儀した。


「びっくりした……ようは、ダイイングメッセージ……?」

「そうです……でもおばさんもお母さんも皆、そんなわけないって聞かなくって。でも翔也君が死ぬ間際に、血を吐きながら、書き残したメッセージなんです……何か伝えたかったんですよ……その意味が知りたいんです!」

「うーん……」

「僕じゃ、わからなくて……友達も皆わからなくて……でも名探偵と名高い西山探偵ならわかりますよね!」

「ふんっ当たり前だよ」


 西山は鼻で笑った。


「受けるよ。僕に任せな坊や。それと、その友達についていくらか聞きたいことに答えてくれたまえ」

「はい! よろしくお願いします!」


 その夜……。


 自室にて西山は、木村君から借りた吉田翔也君のノートを1ページ目から読んでみる。


 ノートは日記帳だった。


 内容はほとんど、今日見た映画や読んだ小説、漫画等の感想などだった。


 木村君が遊びに来た事も、もちろん書いてあったが、それ以上にオサム君という人と話をした事が頻繁に書いてある。


 そして翌日……。


 土曜日の朝から西山はコートを着込み、市民病院へと自転車をこいでいく。


 着丈がまったく合ってないコートの裾を引きずりながら歩き、小児病棟のナースステーションから出てきた看護師に声をかけた。


 スッと名刺を渡し、


「こういう者ですが、吉田翔也っていう、死んでしまった男性について知りたいんです」

「えっ? 探、偵……?」


 中年の女性看護師は、西山が渡した手作りの名刺を興味深そうに見る。


 西山がスマホを取り出し、


「この方です。担当していた看護師さんに話を聞きたいのです」


 木村君から貰った、亡くなる3か月前の吉田翔也君の写真を見せる。


「ああ、男性って翔也君の事……」

「ご存じで」

「私が担当だけど……」

「これは運が良いっ、看護師さんがそうだったなんてっ、では詳しく、どんな様子だしたか、症状の経過、診断名、健康状態などを教えてもらいたい」

「えっ? ……あのね僕、私は仕事があるから……」

「手短に教えてくれれば」

「あのね、患者についてあんまり言っちゃいけない決まりがあるのっ、だから僕にも言えないの。じゃね、私もう行かないとっ」


 中年の看護師が小走りに去っていく。


「待って、吉田翔也さんはダイイングメッセージを残しているんですっ話を聞いてくださいっ」


 西山がそう言って追いかけようとすると、


「おい待てよ!」


 通りかかった西山とちょっと年上くらいの、パジャマを着た男の子に引き止められた。


「吉田翔也って、この前死んじゃった子の事か?」

「……ええ、そうですが」

「翔也君が、ダイイングメッセージを残したって?」

「あなたは?」


 西山は、その男の子の病室へ移動した。


 個室で、平田治と名前がプレートに書かれている。


「翔也君の病室は、この窓の真向いの部屋だったんだ」


 治君は窓の外を眺めながら言った。西山も窓辺から見える空っぽの部屋を眺める。


「翔也君は部屋から出れないから、俺が遊びに行ってた」

「あなたも、お体の具合が?」

「うん、でも俺は夏には退院できるけどな。それよりダイイングメッセージってホントなのか?」

「はい、それがこれです」


 西山はスマホを取り出し、撮った「91.6212.5どっちも×わすれたものわすれない」の文字の写真を見せた。


「……どういう意味だ、これ?」

「それを調べてほしいとの依頼です。なにかこの数字などに見覚えなどは?」


 治君は何かを考えるように俯いた。スマホの画面をしばらく見つめ、そして西山に視線を移し、


「ホントにこれを翔也君が書いたのか?」

「依頼人によると、亡くなった時ベッドの傍らに開いて置かれていたようなんです。そして書きなぐったような文字。間違いなく死ぬ間際に書いたと思われます。見当は付きませんか?」

「……まったく……見当がつかないな……」

「いつも翔也さんはどんな様子でしたか、何か変わった事とか」

「いんや、俺と話す以外はずっと、パソコンでアニメとか見て……お母さんの借りてきた漫画とか本とかの話もしてきたな……」

「そうですか、では症状の経過、診断名などはご存じで?」

「知らないよ、そんな事……でも……急死だったみたいだよ」

「え?」

「ここから見えたんだ。夜、翔也君の部屋に先生達がやってきて、一生懸命、血を吐いてた翔也君を直そうと……して……たんだっ……」


 治君の目には涙がたまる。必死で流さぬように食いしばっていた。


 西山はハンカチを手渡しながら、


「……翔也さんは……そんな中にこれを書いたんです。きっと何かあると思われます」

「……なぁ、死ぬ時にさ、言葉を残すって事はさ、もう覚悟してたんだろうか……」

「えっ……?」

「俺もな、死にかけたことがあるんだっ。でも、その時俺は、痛いっ助けてって……それだけ思ってて、言葉を残すなんて思いもつかなかった……」


 その言葉に、西山は沈黙してしまった。何か引っかかった。


「……。……これ、見てくれよ」


 治君は、鼻を啜りながら窓辺の棚に置いてあった紙ヒコーキを取って、開いていった。


「俺が退院できるって伝えたら、ずるいって怒ってきてさ……それきり、会わなくなってたんだけど……」


 西山が、治君が差し出すヒコーキだった紙を見ると、


『ぜったい、ぼくもげんきになるから、がっこうで、いっしょにサッカーしよう』


 そう書かれていた。


「死んじゃう、前の日に……これを窓から飛ばしてきたんだ……翔也君は、大きな声が……あまり出せなかった……からっ……」

「……そうでしたか……」

「死を……覚悟したのかな……翔也君はっ、あんなに生きたがってたのにっ……。なぁ、僕にも、意味が分かったら教えてくれ」

「もちろん」


 西山は病院を後にする。


 自転車に乗らず、トボトボ帰路につく西山の頭の中で、


――死にかけたことがあるんだっ。でも、その時俺は、痛いっ助けてって……ずっと思っててっ、何も言葉を残すなんて思いもつかなかったんだ……。


 治君の、この言葉が繰り返されていた。


(そうだよなぁ。人が死ぬ間際に……漫画とかのように、殺されたとしても犯人の手がかりとか、そんなものを残さないよな……。

 ……死の寸前、犯人を思って証拠を残すか、家族を思ってメッセージを書くか……。

 ホントに人それぞれだとおもうけど……刺し殺される人が最後に飼い猫の心配をして死んだ、とか、現実はそんな事を思って死んだのばかりなんじゃないのかな……。

 ……僕なら、これから死ぬなんて覚悟できないから、僕は死なない大丈夫だと思ったまま、気づいたら死んでしまってた、とかがありえそうなんだよなぁ……。

 急死かぁ……きっと翔也君も今から死ぬと思ってなかったよな……。

 ……91.6212.5どっちも×わすれたものわすれない……。

 ……そんな中、血を吐きながら、これを書いたんだ……。

 ……翔也さんは、一体どんな気持ちで、書いたんだろう……。

 ……。

 ……くそっ。

 ……ぜんぜん、わからない……。

 一体、何の数字だ!

 何が×なんだ!

 わすれたものってなんなんだ!

 だいたい死ぬ間際に言葉を残す時に、なんでわざわざ暗号にするんだよ。誰もわからないじゃないか!

 ……えっ?

 ……待てよ……)


 西山はハッとした。


(待て待てっ、なぜ暗号なんだ!?)


 五月晴れの空から、太陽が雲から顔を出して、熱いくらいの日差しを西山に降り注ぐ。


(ダイイングメッセージを暗号で残すとかありえないっ。そんなものありえないっ、する意味がないっ……。

 ……でも……こうして実際あった……?

 ……違う、そうじゃない。

 ……だとしたら……考えられるのはひとつしかない。

 これは暗号じゃない)


 西山は自転車を持ったまま脇に行き、立ち止まって、ぎゅっと目を瞑る。


(整理しよう。まず翔也君は急死した)


 瞑りながら独り言のようにつぶやいていく。


(……覚悟して死ねる人なんてまずいない、死ぬなんて本人にはわからない。

 つまり、まわりも本人も、まだ生きられると思ってたんだよ……。

 そうだよ、そうだとしたらっ……。

 ……自分に向けて書いた……?

 ……とりあえず、これと仮定しよう……。

 ……となると……あの暗号は、そのまんまの意味という事になる……。

 自分に向けてなら、あの意味不明な文字列は翔也君の生活習慣の中にきっと、そのままある、そう推理する)


 西山が目を開いた。


(今から翔也の見た映画、漫画、本をチェックするぞ!)


 自転車にまたがり、


(とりあえず91.6212.5の数字を血眼になって探す!)


 西山は帰路から離れ道路を左折していく。


 その日の夕方……。


 西山はその数字を発見した。


 同時に、どっちも×の意味も判明する。あとは、わすれたもの、だけが分からず残った。


(しかし、これを判明させるのは簡単だ)


 と、西山は木村君の家に電話を掛ける。


「木村君、ダイイングメッセージの意味が分かったよ。明日、翔也君の家まで案内してほしい。そこで全てを判明させる」


(……ただ……翔也君のお母さんが、わすれたものわすれてないか、それだけが心配だな……)


 翌日……。


 日曜日の午後2時、西山は木村君と共に、吉田翔也君の家にお邪魔する。


 リビングの3人掛けのソファに西山はバッグを持って座って、その向かいに、テーブルを挟んで木村君が座った。


 西山はスマホを取り出し、治君につなげる


「治君、ダイイングメッセージの意味がわかりました、一緒に僕の推理を聞いてくれたまえ」

「分かったのか!?」

「はい」


 驚いたオサム君が映るスマホを木村君の横に置いた。


 その隣では翔也君のお母さんが、さっきから何事かとキョロキョロして座っている。


「あの、ごめんなさい、ダイイングメッセージって、裕君の言ってたあれの事?」

「そうだよ、おばさん。僕が西山探偵に解読を頼んだんだよ」

「え、探偵?」


 お母さんは目の前の西山を訝しんで見る。


 西山はノートを広げ、


『91.6212.5どっちも×わすれたものわすれない』


 の書かれたページを開けて、皆に見せた。


「そんな……ダイイングメッセージだなんて、そんなわけ……」

「いえお母さん。これは翔也さんが残したダイイングメッセージです」

「ええっ?」

「西山探偵、翔也君は一体何を言いたかったんですか? 早く教えてよっ」


 木村君が身を乗り出して尋ねる。


「木村君。何も言ってなかったよ」

「え?」


 木村君と治君が驚き、西山を見つめた。お母さんはただこの状況に困惑していた。


「翔也さんは誰にも何も言ってない」

「何言ってんだ? さっきダイイングメッセージって言ったばかりじゃないか」


 治君が画面越しに訊いた。


「結果的にダイイングメッセージになってしまっただけ、そういう事なんです」

「……どういうことだ?」

「翔也さんは、治さんと話したりするとき以外は、ずっとひとりきりの日々を病室で過ごしていた。その時暇つぶしになったのが、映画、漫画、小説などだった……」

「……ああ、俺も、そんなは行けないしな……」

「翔也さんはお母さんから、見たい映画や本を借りてもらっていた。そうですね」

「……ええ、そうだけど……それがなんなの……?」

「その行先の1つが……図書館でした」


 おもむろに、西山はバッグから図書館から借りてきた本を取り出し、そして、


「こっちが「91.6/メ」の番号の本で、こっちが「212.5/メ」の本です」


 名作ミステリー本と、サッカーのドリブルテクニックの本を皆に見せる。


「……本の、番号……?」


 画面越しで驚く治君に代わりに、木村君が本を手に取り背表紙の数字を凝視した。


「そう、ダイイングメッセージの数字は図書館の管理番号。書きなぐってたから勘違いしたけれど、×はメでした。そしてこの本は翔也さんは借りてない」

「えっ?」


 3人が西山の顔を見る。


「そこでお母さん、聞きたいことがあります。翔也さんの遺品に返却期限が迫った本などはありましたか?」


 西山の質問に、お母さんはしばらくしてから、


「ええ……たしかにあったわ。翌日に返却期限の本が。私が、返しに行ったの……」

「それは良かった、では、わすれたものわすれない、は忘れずに済んでるわけだ」


 西山はホッとして微笑んだ。


「ちょっと待てよ! じゃあ何か。翔也君は自分が死ぬ時にそんなものを書いたってのか!?」


 治君が驚き尋ねる。


「おそらく翔也さんは今度借りる本を図書館のサイトで借りる本を探してた最中に急死した。でも本人は、今から自分が死ぬなんてそんなことわからない。翔也さんは血を吐きながらも、とりあえず借りる本の番号をメモしたんだ。返すのを忘れてた本も忘れないようにと、明日の自分のために注意も入れてね……」

「……そういう事だったのか……」


 治君が呟いた。


「これはいわば、明日も生きているはずの自分に向けての、ダイイングメッセージだったんだ……」

「うっうぅ……」

「どうしたのおばさん?」


 お母さんは急に涙を流しだした。木村君が心配そうに尋ねる。


「いえ、翔也がまだ生きたかったんだって、そう、思ったらっ……うぅっ……うぅ……あああっ」


 大粒の涙を流し始めた。西山は静かにハンカチを手渡す。


「ありがとうっ、ありがとうね、探偵さん……裕君も……治君も……」


 あ母さんはハンカチを目に当てながら、


「ありがとう……皆、翔也のために……ありがとう……ありがとうっ……うっうぅ……ありがとうっ……」


 何度もお礼を言い続けた。

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