第20話 巨岩の蚯蚓




 休憩中、コウはヘルメットをかぶり直してジリジリと熱を増す左腕につけられた端末を見ながら、ふと思う。

 気温が上がっているという事は、灼熱の大地に近づいているということ。

 だというのに、まだシップ・スパイダルとの通信が回復していない。

 ホーネットに備え付けられている通信機は未だに、耳障りなノイズだけが返ってくる。

 左腕に装着している個人端末からも救難信号を発信しているが、彼らがコウの存在に気付けたとしてだ。

 惑星ディギングにある機器と交信が可能かどうかは、判らなかった。

 

「あんまり、過度な期待はしない方が良いのかな……千年前だもんな……」


 アンズが言うには、すでにシップが撤退してしまっている可能性の方が高いという。

 そうなれば、コウ達はここで取り残されて地上に戻ったとしても死ぬしかないので、その可能性については考えないようにしているが不安は募る。

 そもそも亀裂に落ちる前にスヤンが見事な撤退を披露してくれている。

 仕方がない事とは分かっていても、胸の奥底でコウは皆いなくなってしまって可笑しくないと考えてしまって居た。

 この場にスヤンが一緒に落ちていても被害者が増えるだけ、というのは間違いないのだが。


「せめてコイツに空を飛べるような能力があればな……」


 コウはホーネットの鋼鉄の足下を叩きながら機体を見上げた。

 操縦席にはアンズがおり、ホーネットのパネルを叩いている。

 システム的に必要ない、掘削で使うような物をシャットダウンしており、電力の節約を行っていた。

 電気系統は殆ど損傷なく、駆動系も機体の左側にエラーがあるだけだ。

 恐らくだが、アンズのホーネットの緩衝材の上にコウの機体が落ちてきたのだろう。

 深い縦穴で無事である理由は、殆どそれしか考えられなかった。

 コウはスラスターが欲しくてたまらなかった。

 宇宙艦外機リペアマシンナリーはロケットエンジンによる姿勢制御機関がついている。

 それさえあれば、宇宙空間のようにとは言わなくても、高い機動力と空中での動きが可能となるのだ。

 無い物ねだりを始めてしばし、コウは顔を上げて思いついたように声をあげた。


「あ! そうか、ホーネットは《リペアマシンナリー》が基になっているんだよな」

「どうしたの?」

「いや、うん……ちょっと、いや、なんでもないっす」


 いきなりあげた大声に、モニターに目を向けていたアンズが首を巡らした。

 コウは手を振ってそう言ったが、一度思いついてしまったら気にせずには居られなかった。

 携帯端末にはプログラムがある。

 データベース、通信、発信、他にも細かい機能を上げればキリがないが、コウの専攻していた《リペアマシンナリー》のコードも中には入力されている。

 宇宙艦外機は誰でも気軽に乗れるような物ではない。

 資格が必要な以上、機体そのものにもセキュリティロックがかかっている。

 コウが乗っていた練習用の物にも、管理下に置かれている以上はロックが掛かっていた。

 実地訓練の度に、専用のキーを用いてセキュリティを外すのだが、その形式は様々だ。

 ハンガーに設置されている艦外機専用の管理室から操作すること。

 或いは専用のカードキーを購入し、搭乗可能な電子データと生体登録を済ませてインプットさせておくこと。

 カードキーの変わりに個人携帯端末が用いられることもある。

 そして、わざわざカードキーを用意する手間を嫌ったコウは、何時も身に着けている携帯端末にデータをインプットしていた。

 このデータはセキュリティのみならず、自分専用にカスタマイズした搭乗プログラムコードも入っている。

 流石に一から構築することは不可能だが、習得する部分で自分に適したプログラムを入力することは、むしろ推奨されていた。

 コウは何度も失敗を繰り返し、その都度に改良を重ねてきた。

 それは自信があるもので、完全に機体と自分の操縦感覚をアジャストさせたものだ。

 これがもし、ホーネットにも必ず搭載されている機体制御プログラムに流用できればどうなるのだろうか。

 動かなくなるのか、それともエラーを吐いて更に動きが鈍くなるのか。

 電力が何時まで持つのか分からない以上、今の遅々としたホーネットの機体では間に合うかどうかわからない。

 乗っていた《リペアマシンナリー》ほどではなくとも、レスポンスが上がれば御の字だ。

 そうでなくても自分が弄り倒したプログラム。

 コウに適した操作性に生まれ変わる可能性は、無いとは言い切れない。


「……アンズ」


 携帯端末に目を落とし、考え込んでいたコウの耳朶を轟音が震わしたのはその時だった。

 僅かに振動を伴ったそれは、座っていた地面を震わせ、コウの尻に微かな衝撃を与える。

 どこか遠くで、崩落に似た岩石の打ち付ける音がした。


「なんだ……?」

「コウ……これ……」


 立ち上がって周囲を見回すように首を巡らせても、何も見えない。

 一度聞こえてからは断続的に音は続いて。

 いや、すでに鳴動していると言っても良い。

 立ち上がったコウも、操縦席から両手をついて身を起こしたアンズも、同時に悪い予感を頭の中で巡らしていた。

 《土蚯蚓》

 地中でシップもホーネットも掘削していない中で響く音の正体。

 地殻変動などで無ければ思い当たる節はそれしかない。

 

「や、やばいんじゃないか?」

「コウ、ここから離れないと……うっ」

「アンズ!」


 怪我が痛むのか、腹部を抑えて呻くアンズに駆け寄って、彼女の身を抱きかかえる。

 

「だい、じょうぶ……っ早く、しないと」

「分かってる、でも何処から鳴っているんだ? どこに逃げれば良いのかわからない」


 ホーネットのモニターにも音の反応は拾っているものの方角は分からない。

 端末の方でも同様で、出所は不明だ。

 コウは聞き耳を立てるように操縦席に座りながら、声を潜めて聴覚に意識を集中させるが広大な空洞が邪魔をしている。

 地下空洞を震わせるように響かせる音は、発信源を特定するのが困難だった。

 上か、下か。

 それとも登ってきた空洞なのか、奥からなのか。

 ホーネットだけが照らすライトの光量では、肉眼で推し量る事も無理そうだった。

 ただ一つ、幸運なことが在るとすれば、音の響きと振動からデータが発信源は距離が遠いことを教えてくれている点だ。

 コウやアンズの居る、地下世界のオアシスである此処に向かっているとは限らない。

 しかし、鳴り止まない地響きは、そう。 怖い物だった。


「駄目元だ、やってみるかっ」


 コウは操縦席から降りて、ホーネットの下部を覗き込むように降り立った。

 《土蚯蚓》は地表では時速300kmを越す速度を持っている個体も存在している。

 この地下世界ではどうなのか分からないが、万が一襲われた時にホーネットで逃げ切るのは不可能だ。

 機体の左側、特に駆動系の損傷が激しく殆ど動かせない。

 逃げる途中に転倒すれば、機体に固定されているコウはともかく、アンズは危険だ。

 彼女をホーネットに固定するような道具なども無い。

 怪我をしているアンズではしがみついている事も難しいだろう。

 だが、端末にあるプログラムをコウの物に書き換えられるなら、多少は可能性が上がる。

 反応性が上がるということは急な機体制御も素早く行える事を意味する。

 アンズを抱えている以上、機体性能は上がれば上がるほど良い。


「やるしかないっすね!」

「コウ、どうしたの? 何をしているの?」

「アンズ、プログラムっていうか機体制御の管理を格納しているのは何処についているか知ってるか?」

「何? 機体制御? 何をする気なの、コウ」

「良いから、どうせ今の機体じゃミミズに襲われたら逃げ切れないっす、だったら!」


 アンズはコウが何を考えているのか分からなかった。

 ホーネット乗りとしてシティで受ける訓練に、プログラムを弄る練習など無い。

 そもそも、《祖人》が生み出した技術に肖って、この機体は産まれた物だ。

 彼女はコウがやろうとしている事そのものが不明であったし、意図を理解することも出来なかった。


「これは……違うか? くそっ、見えない!」

「ちょっと、コウ! 何がしたいのよ!」

「自分用にプログラムを書き換えるんだ! 動かなくなるかもしれないけどっ……!」

「ま、待ちなさいよ、そんなの判りっこないわ、痛っ……」


 コウを覗き込もうと身体をねじったアンズが呻く。

 ほとんど取り合わずに、コウはホーネットの尾部。

 ジェネレーターやエンジン部を繋ぐ外骨格の間に、小さなコントロールボックスが存在しているのを見つけた。

 影になっていてほとんど見えなかった場所だった。

 

「アンズ! ライトをこっちに!」

「……わ、判ったわ」


 パネルを叩いて肩部のライトが僅かに突き出る。

 可動部はそれほど大きくないが、ライトの向きを弄るくらいの遊びは出来た。

 態勢的に右腕しか入らないので、コウは艦外作業服を出来る限り捲って腕を伸ばす。

 泥だらけになっているそのボックスは、しっかりと固定されているようだった。

 指先にかかったボックスに力を入れても、ビクとも動かない。


「ダメか! くっっそ、指はかかるんだけど……ぅんっぬぅぅぅう!」


 ただ、それでも地下900メートル以上を落下した衝撃は殺し切れなかったのだろう。

 僅かに歪んだフレーム部分に指が取っかかっる。 これ以上ないくらいに力んで引っ張ると、僅かにボックスは広がった。


「待って! コウ、こっちで動かせるかも。 確か制御系の項目に……」


 アンズの声に、指をかけたままコウは声に出さずに頷いた。

 ほどなくして電子音とともに、ボックスの中のキー音が外れるような音が響いた。

 物理的にもシャットアウトされているボックスだったが、どういう構造なのかは分からないがまた少し、隙間が広くなった。

 指全体が入るほど広がったボックス内に手を入れて、コウが再び力を入れると音を立ててどんどんと開いていくのが脳に伝わる。

 同時に一際大きな振動が大地を揺らし、ホーネットに捕まっているアンズも、尾部に手を突っ込んでいたコウも機体から転がる様にして大地に尻もちをついた。

 濛々とあがる砂埃の中で、音が近かった。

 

「コウっ……時間がないわ」

「待って、今落ちたおかげで、コントロールボックスが開いたんだ。 もう少し待ってくれ!」


 今の振動は彼にとってはある意味で感謝できる物だった。

 どういう物理法則が従ったはこの際、どうでもいい。

 コントロールボックスが開いた、という一点が重要だった。


「ここか? これに端末を合わせて―――っっ、くそ、届かない!」


 端末は左腕に装着されている。

 コウの端末には端子を繋ぐためのコードが内臓されているが、左腕を伸ばさなければ届きそうになかった。

 ホーネットを動かしても、この場所は容易に態勢を変えての作業は難しい。

 ジェネレーターやエンジンの間の外骨格の隙間にあるコントロールボックスは非常に狭く、どうしても届きそうにない。

 

「コウ、こっち。 支える、からっ!」

「アンズ! 無理すんな! 怪我が酷くなる!」

 

 コウの態勢を伸ばす為に、アンズが彼の脚を支えるようにして腕で抱えていた。


「だから、早くっ……うぅぅ」

「わ、判ったっす! すぐ終わらせるから!」


 僅かに浮き上がった身体。 アンズの肩を踏むようにして、コウは身体を出来る限りに伸ばした。

 左腕を無茶な体制で奥に突き入れるたびに、痛みが走るが歯を食いしばって左腕をとにかく伸ばす。

 挿し込み口を探し続けていたコウの指先に突端が触れた。

 冷却のためにホーネットが白煙を上げると同時、ガチリと何かが嵌った音が聞こえて、即座にコウはアンズから飛び降りた。


「うぁっ!」

「ごめん! でも……よし! 繋がってる! やっぱ端子は同じ規格だった!」


 言いながら転んだまま立ち上がれないで居たアンズに駆け寄り、コウは身体を支えながら左手の携帯端末を操作する。


「あっ! きゃあ!」


 アンズの悲鳴と同時に、今度は明確に聞こえる音。

 思わずコウとアンズは同時に明後日の方向へ首を向けた。

 相変わらずに暗闇が広がるだけの空間だったが、一か所だけ変化が生じていた。

 目の前の水面が波立っている。

 時間がない。


「アンズ、力が入らないかも知れないけど、掴まってて!」

「う、うん……」


 切迫した状況は理解している。

 コウがホーネットにどんな細工を施したのかは謎だが、もはや彼に全てを託すしか無かった。

 アンズを引きずってホーネットに乗り込み、自身の作り上げたプログラムコードのデータベースを引っ張り出す。

 ホーネットの電子モニターにアンズが開いてくれた制御プログラムの部分も同時に立ち上がって。


「っ、これは!」


 走っているプログラムの全容はコウでも流石に理解ができない。

 しかし見覚えのある部分は数多に見て取れた。

 《祖人》そして《リペアマシンナリー》の制作技術者がホーネットを作り上げたのは間違いないだろう。

 ほとんど賭けに等しいが、コウは確認もせずに携帯端末からのデータの上書きを命じた。

 直後に岩の塊が頭上から落ちてきた。

 コウもアンズも、大声を上げるが轟音にかき消されて。

 ほぼ直近、僅か数メートル先に巨大な岩石が滑り落ちてきたのである。

 眼前に広がる湖水の中二突っ込んで、盛大な粉塵と水しぶきを上げた。

 そして、その岩の塊が右に、左にと無軌道に動き出す。

 まるで、何かを貪っているような獰猛な反応だった。

 生存本能がけたたましい警鐘を脳裏で響かせ、ホーネットに乗り込んだコウは自然と体を動かそうとした。

 が。


「う、動かないっ! なんで!?」

「コウ、はやく!」

「動かないんだっ! ちくしょう!」


 機体のエネルギーはまだ残っていることを、モニターは示唆している。

 目前で暴れまわり、水の中で動き回るバケモノが、泥水を跳ね上げコウとアンズのヘルメットのバイザーに叩きつけられる。

 豪雨が降って来たかのように、全身に水を浴び、外骨格と作業服を濡らしていった。


「くそっ! なんでだ! 動いてくれ……あっ!」

 

 機体そのものは稼働状態であるのに動かない。

 そんな焦燥の中で携帯端末の画面に視線がいったのは、偶然だった。

 プログラムの書き換えを示すメーターが、遅々としながら進んでいる画面だった。


「まさか! 嘘だろっ!」


 コウが乗っていた《リペアマシンナリー》は、書き換えが非常に速かったのが誤算だった。

 それこそ一秒に満たない速度だ。

 電子音が一つなって、それで書き換えは完了していた。

 だというのに、ホーネットときたらどうだ。

 プログラムの書き換え完了を示す時間はそもそも表示されず、端末の方ではまだ半分しか動いていない。

 何故か目の前の水場で暴れるだけのミミズのおかげで、今のところ命は助かっているが、それも何時まで持つのか。

 《土蚯蚓》は生物だという。

 今、この瞬間に気紛れで、身動きの取れないホーネットに向かってこられたら一貫の終わりだ。


「早く、早くしてくれ……っ!」

「あいつ……なんなの、アイツ……っ!」

「アンズ? なに?」

「水が……水が減っているわ!」


 暗くて良く分からなかったし、暴れている中で確信は持てなかったが、確かに言われれば水位が低くなっているように思えた。

 《土蚯蚓》の習性は、惑星ディギングに人類が住み着いてから、その生体は多くが謎に包まれている。

 深い谷底、渓谷や高山を避けて移動すること。

 目に見えて気が付く習性というのは、その位だった。

 なぜ、それだけ情報量が少ないかと言えば、観察することが命に直結するからに他ならない。

 地表にでて命を失った《土蚯蚓》は恒星に焼かれて燃えてしまい、残骸が消えるから死後も調査ができない。

 ならば地中はどうかと言うと、人が地下に潜るのはどれだけ周到に用意しても危険すぎるからだ。

 近づけば死ぬ。 ぶつかれば死ぬ。 惑星ディギングにおいて唯一にして生物の頂点。

 災害と呼ばれるにふさわしい、人類の猛威に違いないからであった。


「もしかして、水を飲んでる……?」

「ありえるわよ、このクソミミズだって、生物なんだから……っ」

「待てよ、じゃあもしかして、水を求めて地下を徘徊してるっていうことか、コイツ等!?」


 なら、それは、つまり。

 コウはこの時、途轍もなく危険ではあるものの、地表へ脱出することが出来るかもしれない妙案が脳裏をよぎった。

 ただ、可能かどうか、その案を思考する暇もなく状況は動く。

 ミミズは、目の前に振ってきた湖水を荒らす一匹だけだと思っていた。

 少なくとも音の鳴動は目の前のミミズの起こす轟音に遮られていたし、岩そのものが暴れまわっている眼前の光景に意識が向かなかった。

 それは地下、土中から湧きだした。

 目撃できたのは、動けないホーネットのライトが偶然、そこに焦点を当てていたからである。

 地下から噴出し、盛大な土ぼこりを上げて湖水を差し挟む形で薄闇の中に現れたのだ。

 まるで海から顔を出した鯨のように、巨大で、壁の様にそそり立って一瞬の停滞。

 次の瞬間にはゼロだったはずの運動が時速数百キロという速度で加速する。

 水を求める。

 つい先ほど、それなりの説得力を持って弾き出した蚯蚓の習性は、コウの目の前にある水に目掛けて突っ込み始めた《土蚯蚓》によって証明された。

 巨大な岩壁そのものに等しい物体が、眼前に広がって。

 アンズは目を瞑り、コウは叫んだ。


「うわああぁぁぁぁああっ!」

《―――Rewrite!!》


 電子音声がプログラムの書き換えを完了したことを告げるのと、コウの機体が高速で迫りくる《土蚯蚓》と衝突したのは同時だった。

 ホーネットの機体の左方を駆け抜けたバケモノに、外骨格の左腕が完全に粉砕される。

 錐揉みしながらコウは、アンズを必死に支えて機体のバランスを制御した。

 視界は何も見えず、上下左右に滅茶苦茶に揺られてアンズは自分がどこに居て何をしているのか全く分からなくなってしまった。

 空間識失調と呼ばれる、めまいに似た平衡感覚の喪失状態に陥ったのである。

 だが、コウはこの空間を十全に把握していた。

 彼が艦外作業機リペアマシンナリーで最終的に卓越した操作技術を得るに支えられたのが、群を抜いて空間識別能力に長けた才能が在ったからであった。

 電子音が聞こえた訳では無い。

 認識としては未だに動かないはずのホーネットだったが、それでも制御を試みたのは咄嗟の判断、悪足掻きだった。

 視界が360度、不規則に回転している中で流動する黄土の塊に、機体の右腕を伸ばす。

 コウは覚えていた。 

 右腕に持っている、掘削作業を行う道具。

 インパクトハンマーをホーネットは右手で持っている事を。

 右腕を引き、動く壁に向かってインパクトハンマーが唸りを上げて、杭を打ち込む。

 一際、大きな岩を穿つような音―――いや、それは《土蚯蚓》の体表を抉り取る音であった。

 コウの動きに機敏に反応し、ハンマーを打ち込んだその体表にホーネットはしがみつくようにして鋼鉄の脚を着地させる。

 少なくない衝撃がホーネットを揺らして、また急激な運動力を受けてエンジンが異音をがなり立てる。

 周囲は水蒸気を盛大に吹き嵐、白の噴煙を巻き上げた。

 アンズを抱えていた左腕が悲鳴を上げ、空間識失調により平衡感覚を失ったアンズが滑り落ちて行く。


「あぁぁぁあぁっ!」


 怪我をしている左腕しか、ホーネットを操縦しているコウは使えない。

 必死に彼女の作業服を掴んでいるが、ミミズの不規則な動きに揺られてアンズがどんどん外に放り出されそうになってしまう。


「うううぅぅぅぅっっ、く、くそぉぉぉぉっ!」


 猛烈な慣性を受けて、コウとアンズはホーネットごと前のめりになっていた。

 腰の辺りまでずり下がったアンズは、コウに必死にしがみついている。

 動き続けるミミズはどれほどの速度が出ているのか分からないが、高速で流れて引っ張られていく暗闇の中で、ホーネットのライトが照らした前方に、巨大な岩の塊が突如として現れた。

 間違いなく、壁から突き出た岩石だった。

 《土蚯蚓》の背の上。

 体感速度200キロを越える高速移動の中。

 ライトの光量だけで捉えた岩石。 地下空洞。

 瞬間的な判断が求められる中、コウが選んだのは障害物を避けることではなく排除だった。

 機体を回避するように動かせば、アンズが落ちてしまうという直感に従ったのだ。

 ホーネットの右上腕部だけを動かし、インパクトハンマーを迫りくる岩石に向けて迷わず、引き金を引いた。

 接触、そして穿ち打つ。

 鋼鉄の拉げる音が耳朶を震わせ、岩の飛礫が身体全身を打った。

 

「ガァッ!!」


 それは生物の本能による避け得ぬ条件反射だった。

 全身を打つ細やかな石が身体に叩きつけられ、アンズを引っ張っていた左手が無意識に彼女を離してしまっていた。

 インパクトハンマーによる衝撃、高速で走る《土蚯蚓》の慣性、飛礫による痛み。

 これらの要素が折り重なり、アンズの身体はコウにしがみつく事も出来ず、ついに暗闇の地下空洞に投げ出された。

 

「ッ……っ!」


 アンズが何かを叫んでいたが、コウには聞き取れなかった。

 中空に浮かんだ身体の輪郭を、視線で追って。

 闇に吸い込まれるかのように回転しながら身体が舞っているのを、コウは目撃していた。

 

「うあああああぁぁぁぁっっ!」


 獣のような叫びをあげて、コウはホーネットを跳躍させた。

 無理な姿勢での跳躍に、白い噴煙が一気に視界を染めて行く。

 粉塵が蒸気に濡れそぼり、バイザーを茶色に染め上げて。

 見えない。

 この瞬間、コウの視界には何も見えなくなり記憶に頼るしかなくなったが、コウには見えている。

 手を広げて滑稽にも思える姿勢で中空に投げ出されたアンズの姿が、視界ではなく空間で把握できていた。

 すでに使い物にならなくなっただろう、インパクトハンマーを投げ捨ててホーネットの右腕の外骨格を伸ばし、確かにつかみ上げる。

 衝撃、痛み、そんなものは考慮する余裕も時間も無かった。

 左手でバイザーを拭い、肩口のライトを地面に合わせ、動かない地面に片足で突っ込んでいく。

 尾部に付けられたエンジンとジェネレーターから異音が大音量で発せられ、着地時に擦りつけた大地が捲れ上がった。

 何かに機体がぶつかったのか、それとも限界を迎えたか。

 だが、今はアンズが無事なのかどうかだけが思考を染めていた。


「アンズっ! アンズ!」


 誰かが見ていたら称賛していた事だろう。

 噴煙と土煙に染まり機体が滅茶苦茶な軌道を描く中で、しっかりと大地に着地したのだから。

 コウはホーネットを止めると操縦席から飛び降りてアンズに駆け寄った。

 鋼鉄の手の中で、ぐったりとして動かない彼女を覗き込む。

 手の力は、無意識に力を込めていたかもしれない。

 まさか、握り潰していたのではないか。


「アンズ! アンズ!」

「……」

 

 呼びかける声に応答は無いが、微かに胸が上下に揺れていた。

 息をしている。

 アンズのヘルメットのバイザーが外部との気温差で、僅かに白く曇っていたのがその証拠だった。

 とにかく、生きている。

 それだけ判れば、後はいい。

 振動は未だに止まず。

 ミミズ達は近くに居るが、どこに居るのかはもう不明だ。

 アンズを抱え、操縦席に戻ったコウはノイズの走るホーネットのモニターから、来た道を戻された事が確認できた。

 モニターのライトに照らされ、アンズの背中からコードが不自然に垂れているのに気付く。

 

「……? な、なんだよ! これ!」


 新たな問題だった。

 アンズとホーネットを繋いでいた冷風コードが途中で千切れ飛び、何処かにすっ飛んでいってしまったのだ。

 冷風が、アンズには届いていない。

 コウはコードを手に持ったまま焦りながら周囲を見回した。


「そんなっ! くそっ! ど、どうすりゃ良いんだ! ちくしょう! どうすりゃ良いんだよっ!」


 コウは言いながら必死に思い出す。

 予備のコードは一本しか無い。

 スヤンに直接教えられたことだから、これは間違いがないのだ。

 コードを作るなんてことは不可能だし、何かで転用することも無理だ。

 自分の繋がっている冷風コードしか稼働していない。

 下唇を噛んて、千切れたコードを握りしめていたコウの耳に、ホーネットからの警告音が響いた。

 機体の損傷。 

 エンジンの出力の低下。  

 そして、電力の喪失による充電を促す警告だった。

 左腕の携帯端末には気温が103℃。

 地表に向かえば向かうほど、この温度は高熱になり最終的には400℃を越す。


「……生きて戻るんだ……二人で、生きて戻るんだ……そう言ったんだっ!」


 連続する緊張、止まらずに続く困難に、荒い呼気を繰り返すコウは、自分に言い聞かせるように繰り返した。

 生きて戻る、と何度も何度も言葉にして。

 絶対にあきらめないのだ。

 目が覚めたばかりで、こんな地下空洞で、自分を掘り起こしてくれたアンズと一緒に死ぬなんて、そんなのはダメだ。

 どんなに絶望的な状況でも、諦めないでいる限り、生きて帰れる可能性があるはずだ。

 もはや自己暗示に近いほど心中で何度も同じ言葉を繰り返し、コウは自分に繋がる冷風コードを引っこ抜いた。

 たかが外気温が少し高いだけである。

 地表に戻れさえすれば、きっとシップが待っていてくれている。


「ううぅぅぅぅう……っ」


 ジリジリと一気に熱気が入り込んでくるのを、コウは唸って耐え凌ぐ。

 生きて帰る。

 地表に戻る、と。

 そう繰り返しながら、アンズの艦外作業服に、冷風コードを突っ込んだ。

 


 

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