第18話 諦めない係
―――白い世界。
意識を失っていたコウが眼を覚ました時、暗闇を照らすライトの光に映し出された視界の中は白かった。
どうして真っ暗なはずの地下世界の中で、白い光景を見ているのだ。
もしかして死んでしまったのだろうか。
だが、本当に死んでいるのならば、眼を開けて息を吐いている自分は何だというのか。
音が鳴った。
まだ崩落は続いているようで、岩同士がぶつかり合う音が時折遠くから響いてくる。
振動と轟音は続いている物の、コウの周辺は特に何かが起きている訳では無かった。
ようやくそこで顔を上げて上半身を起こす。
生きている。
どの位の時間、気を失っていたのか。
ギュイっと耳障りな機械音が間近で鳴って、尻の辺りを突き上げるように震えたジェネレーター音からホーネットがまだ無事に稼働している事を彼は知る。
機体のモニターに表示された時間から、意識が無かったのはホンの10分前後だった。
機体から白い風船のようなものが外骨格から飛び出していた。
その仕組みはともかくとして、この白い物が緩衝材となってパイロットの身を、コウを守ってくれたのだろう。
周囲を見回したが、暗い。
ホーネットの肩部に取り付けられたライトが正常に作動していなければ、真っ暗だ。
左側の方は故障したのか、点灯していなかった。
頭上を見上げれば落下してきた穴だろうか。
粉塵に交じり、土や砂がザラザラと音を立てて、機体の外骨格を叩いている。
同時、ホーネットの左腕の動きが随分と重く感じる。
暗くて良く分からないが、機体の損傷は左側に集中したのだろう。
「動けるだけマシっすね……それより、これからどうすれば……あ、そうだっ!」
ぼんやりとバイザー越しに見上げていた視線が周囲を巡る。
一緒に落ちてきたアンズが居るはずだった。
どれだけ深い場所まで落ちてしまったのか、まったく分からないけれど、それでも自分は生きている。
左腕にだけは少し痛みが走っているが、ほとんど五体満足だ。 幸運だった。
同じように落ちたアンズもきっと無事に違いない。
緊急マニュアルに書いてあったことを思い出して、電子パネルを叩きシップへの連絡と、ホーネット同士での通信を試みる。
―――確か、近くに居れば交信は可能なはずだ。
肩に取り付けられたライトを器用に動かしながら、コウはアンズを呼んだ。
返事はない。
時折、地面をライトで照らしながら足下を確認しつつ、コウにとっては鈍すぎる動きでアンズを探し始める。
砂や土が落ちてくる音と、ホーネットの機械音だけが耳朶を打つ。
「アンズ、どこだよ」
動きの重いホーネットを制御しながら、だんだんと嫌な予感が鎌首を擡げてくる。
自分よりも先に落ちたアンズは、土砂の下敷きになってしまったのではないか。
いや、それ以前に鋼鉄が拉げるような音とアンズの叫び声が聞こえたような。
まさか、もしかして。
そんな焦燥を抱き始めたコウが、遠くない場所に彼女の機体を捉えたのはその時だった。
「アンズ!」
照らし出された彼女のホーネットの機体は、変形しているのが一目で判った。
右側面が岩に挟まれて完全に潰れており、蜂の象徴足る特徴的な姿は無くなってジェネレーターが外骨格から切り離されている。
声を荒げてコウはアンズのホーネットに近づいていく。
コウの機体から出てきた白い緩衝材の様な物も、中途半端に出ているが、半ばまで土砂で埋もれており黄土色に染まっていた。
ジェネレーターやエンジンが潰れて地面に転がっているのも判る。
コウの視界からは背面を向けているホーネットの前に、息を呑みながら近づいていく。
むき出しの外骨格は、今や立派なクズ鉄だった。
岩盤に潰されて挟まれ、中央部の座席部と僅かな機器が露出しているだけ。
そんなクズ鉄に手をかけて、コウはそこで喉を鳴らした。
見るのが怖い。
死んでいるかもしれない。
そう思えるだけの光景が目の前に広がっているから。
機体は鉄でも、操縦者は艦外作業服に身を包み、ヘルメットを被っているだけの生身なのだ。
それでも、確認をしないわけにはいかない。
「……」
意を決して、というには些か頼りない動きではあったが、ホーネットは耳障りな機械音を立てながら、ゆっくりと拉げた機体の前方へと身を滑らせた。
「……っ、はぁっ!」
無意識に息を止めていたコウは、パイロットの姿が無い事にたまらず息を吐き出した。
それは確かに安堵も含まれたものだったが、同時に焦燥も生み出した。
落下の最中に期待から投げ出されれば、緩衝材の恩恵にも肖れず、酷い怪我をしているかもしれない。
いや、楽観するのは難しい。 生身で投げ出されれば死んでいる事だろう。
この場所に落ちてから投げ出されたとしても、酷暑の問題が残されている。
発見までの時間が掛かればかかるほど、命が危ない。
コウの決断は早かった。
「アンズっ! 何処にいるんだッ!」
通信が使えないことが分かれば簡単だ。
肉声で呼びかけるしかない。
コウはヘルメットのバイザーを開けて、溜め込んだ肺の中の空気を一気に放出した。
その時に感じたのは熱風でもなく、口の中に飛び込んでくる粉塵でもない。
思ったよりも熱風もなく暑くない―――そんな感想だった。
そんなコウの大声に反応したのか、そうでないのかは分からないが、コウの視界の端では今ではもう見慣れた艦外作業服が蠢いたのを捉える。
暗闇でも僅かな光でも判るよう、艦外作業服には蛍光反射材が使われている事を初めてコウは知った。
「ぅ……」
「アンズっ!」
機体の鈍い動きに耐え切れず、コウは冷風コードを外すと放り投げ、機体を飛び出した。
ホーネットが僅かに揺れ、白い水蒸気を噴出して脚をついて立ち止まる。
もちろん、ライトは彼女に焦点を当てていた。
思いのほか足場が悪く、おうとつのあつ岩肌に脚を捕られながら、コウは近づいてアンズの背に手を伸ばす。
アンズの作業服はところどころ裂傷の跡が残されていて、バイザーに若干の赤みが走っていた。
「アンズ! 大丈夫か!? 怪我は!?」
「ぁ……はっ、ぁつい……」
「そ、そうか、待ってろ。 すぐ冷やすからっ! がんばれ、なっ!」
苦しげに呻く声に、今度こそコウは安堵した。
若干、怪我はしているようだが命に別状はなさそうだ。
あるとすれば、それは彼女が言ったように熱が原因だろう。
思ったよりも、と言っても機体から冷風が供給されなければ体の水分はそう遠くない未来に、吸い尽くされてしまう。
「そうだ、少し動かすから、ちょっと我慢してて!」
機体を持って来るよりは、アンズを抱えてホーネットのもとに走った方が速い。
そう考えた彼は、両ひざの間に手を通り、首元を抱え、いわゆる御姫様抱っこのような形でアンズを掬い上げた。
「うわっ、おもっ!」
脱力する人間とはそれがどれだけ小柄な人であっても、重い物だ。
まして艦外作業服そのものも、決してい軽い物ではない。
コウ自身は平均的な筋力を持つ青年だったが、重い物は重い。
失敗した、と思った物の、今更アンズを地面に降ろすのは逆に危険な気がした。
躊躇いもそこそこに、彼は奮起して勾配の付いた坂を歩き出す。
ホーネットまでは距離にして、僅かに数十メートル。 しかし、この距離でも顔に全身の熱が集まったかのように、汗が噴き出してきた。
確かに、地上よりは数倍もマシなのだろう。
それでも、このディギングという惑星が灼熱の星だというのを実感するに足りた。
深い息を吐き出しながら、コウはようやくホーネットまで辿り着くと、アンズを抱えたまま操縦席へ乗り込み、ヘルメットのバイザーを閉めてコードを丁寧に装着する。
途端、送られた先から吐き出された冷風が、彼の顔や身体に噴射され目の前をわずかに白く染めた。
肌から噴き出した蒸気がバイザーを染める。
「っ、早くしないとっ」
体感した事の無い経験に戸惑ってはいられなかった。
アンズは機体から投げ出されてから、ずっとこの環境下に生身で居た事になる。
人を手で運んでいた、という労働を差し引いても、時間が無いのは理解していた。
コウは自分の機体の脇の辺りから、新しい冷風コードを引っ張り出すと、アンズの腰のあたりに手を回して浮かせる。
これは何かしらのトラブルに備え、ホーネットに最初から装着されている予備のコードだ。
冷風が無ければ艦外での活動は不可能であるため、当然ながら予備は用意されている。
コウは手探りで彼女の背や腰の辺り、コードの接合部を探して手を擦り、悪態をついた。
どこにあるのか分からない。
どれだけ眼が慣れようと、僅かな光源から薄くぼんやりと見えるだけだ。
艦外作業服に一本のコードを挿入することが、こんなにも難しい。
そもそも、自分の服に差し込むこともまだ慣れているとは言い難い。
「っ、これかっ!」
やや腰より上、背中に近い辺りに指先に違和感。
持っていたコードを引き寄せ、アンズの態勢を動かしてゆっくりと挿入しようとしていた手が止まった。
冷風を送り込むための端子は脆い。
少し強引に挿し込むだけでも拉げて壊してしまう。
実際、彼は一度壊している。
「っ、迷ってなんかいられるか!」
最悪、自分に繋がっているコードを交互に押し込むことで解決を図ればいい。
瞬時と言って良いほどの即断で、コウは突端の端子を手に持って艦外作業服に捻じ込んだ。
接着時特有の機械が嵌った高い音は聞こえなかったが、背後にそびえる鋼鉄の外骨格が僅かに震えて接触の成功をコウに伝えてくれた。
「うぅ……」
短く呻くアンズの声に、コウは顔を寄せた。
「アンズ、すぐ涼しくなる、大丈夫だ」
彼の声はほとんど聞こえていないのか。
荒く息を吐き出しながら呻くだけのアンズに、コウは眉根を顰めた。
意識はありそうだが、混濁している。
コウはスヤンやアンズから叩き込まれた知識の中から引っ張り出し、彼女の容態に目星をつけた。
外環境下における人体の代謝異常、すなわち熱中症だ。
深刻なレベルに達すると意識の混濁他、身体感覚の異常・麻痺や言語の混乱が見られる。 そう教わった。
覗き込んだバイザー越しに見えるアンズの顔は苦し気だった。
呼吸も荒く、コウの抱えている腕へと痙攣するかのように体も震えている。
「こういう時は涼しくて水を……っでも、水なんて!」
周囲を見渡しても真っ暗な闇が広がるだけだ。
ホーネットに照らされた場所は、無機質な意思と岩だけが存在を主張し、黄土色の壁が聳え立つ。
この場所が、この空洞がどれだけ広くて、どういう構造になっているのかさえ分からない。
「……水たまり何て……それに、こんな場所じゃ……」
仮に、そう。
地下水の様な物がたまたま流れていたとしても、人が飲める水であるかどうかは謎だ。
身体が冷やされて、僅かに呼吸の乱れが収まった気がするアンズを横にしたまま、コウは立ち上がって改めて周囲を見回し、短く呻く。
気にしないようにしていたが、左腕がじくじくと痛みを訴えている。
機体の損傷が左側に集中していた事もあって、おそらくだが打撲や打ち身などの軽傷を負っているのだろう。
自分の状態を確認しようと、ホーネットによってライトを当ててみれば、艦外作業服が何かに引っかかって引き裂かれたような跡が残っていた。
この分厚い、頑丈な素材で作られた宇宙服にも似た作業服が自分を守ってくれたのだと、その時になって初めて気づく。
「うわ、すっげぇ引き摺り後……びりびりだ、ん?」
コウの声が上ずって止まった。
それは怪我そのもので感じる痛みよりも、作業服の損傷が酷いものであったのもそうだが。
服が裂けていたことで露わになった、自分の左腕に装着している現状を打開しうる、光明になる物を見つけたからだ。
自信の左手に装着された携帯端末。
千年の時を越えて、ただ一つだけコウに残された、かつての文明利器。
もともと、宇宙艦外機である《リペアマシンナリー》に乗り込むに当たって、コウ自身が選んだ端末である。
当然、この携帯端末には艦外機のパイロットにとって不足の無い物として選んだ性能がてんこ盛りだ。
遭難時の救難信号を発信する能力を持つ機種を選ぶように、と先輩から口を酸っぱくして忠告された事を思い出した。
シップ・スパイダルが気付いてくれるかもしれない。
この惑星では失われてしまった信号でも、それを捉えることが出来る高性能な受信機を持っている存在を、コウは知っていた。
そう、いつもクウルの傍に控えている、あのポンコツと評したガイノイドのメルが居る。
千切れた左腕の服の中に右手を突っ込んで、じくじくと痛む左腕のを無視し、携帯端末に指先を伸ばす。
厚みのある作業服に手間取って、コウは舌打ちを一つ。
どうせ殆ど破れているのだ。
もう少しくらい破いても、問題ない。
強引に破れた服を、歯を食いしばって引きちぎり、僅かに肌と端末が露出した。
コウは手馴れた様子で携帯端末を起動させる。
同時、何も無い空間に浮き上がって動物たちがお辞儀をするが、その行程を飛ばすと一瞬にしてモニターに周辺状況を報せるアラート音が鳴り響いた。
現在の気温や湿度を表わすウィンドウが虚空に浮かび上がり、外気温が99℃、湿度が16%であることが判った。
湿度が低ければ低いほど、体感温度は上がるし体の中の水分は大気に吸い取られるように消えてしまう。
この場所が湿度10%以上もあるのは幸運だった。
コウの知らぬ事ではあるが、この端末の機能は惑星ディギングにおいて最高峰の性能を誇っている。
資源を得るために大地の海を渡るシップも、シティの中枢にある重要施設でさえ、コウの持つ端末の一部技術が流用されている事を考えれば推して知るべしだろう。
コウは虚空に左手を伸ばし、救難信号を送り始める。
同時に機体の真下で横になっていたアンズに動きがあった。
「アンズ、起きたのか!」
「っ……こ、コウ……?」
「ああ、ああっ!」
機体から飛び降りて、コウは両手をついて身を起そうとするアンズの背を支えた。
真っ暗な地下空洞で、自分以外の誰かの声が確かな意識を持って語りかけてくることに、無意識化で深い安心を覚えていた。
「コウっ……なんで、逃げなかったのさ……」
「なんでって、しょうがないだろ。 もう言うなよ……それより、大丈夫なのか?」
「っ、こ、このくらい……っ、だ、だめかも」
普段の十倍くらいは勢いのない様子で息を上げて、最終的には弱音を吐くアンズは小声でコウに漏らした。
脇腹か、その辺り。
冷風を送り出す、生命線でもある艦外作業服を脱ぐわけには行かないので確認は不可能だが、痛いのだと自己申告を受ける。
身体に力が入らない、脱力症状もあって酷く気怠いと。
額から出た出血は止まっているようだが、頭を打った可能性もあるし、血を失ったのも関係していそうだった。
アンズ自身も機体から放り出されてからは何が起こっているのか分からなかったようで、怪我をしているのにも今気づいたような様子だ。
「でも……っ、コウ、コウの機体が無事なのは、はっ……っ、良かった……」
「ああ、救難信号も送った! ホーネットからもそうだし、俺の端末からも! きっとすぐに皆が助けに来てくれるよ!」
顔を地面に俯かせたまま、アンズはコウの言葉を力なく首を振って否定した。
朦朧とする意識の中でも、限りなく救出される可能性は低い事を理解していからだ。
アンズはソナー員だ。
だから《土蚯蚓》が掘ったであろうこの空洞が、どれだけ大規模な物かを知っている。
地下空洞は、浅い場所でも500メートルを越える縦深だった。
加えて自分の乗っていたホーネットは、見る迄もなく大破していることが容易に想像できる。
ホーネットの原動力は日光による太陽光エネルギーであり、この地下世界では何時間も動き続ければ力尽きてしまう事だろう。
この見通しだって甘い物だと思ってる。
コウの考えているような救出が来るとは、とてもじゃないが思えなかった。
「だから、無理よ……助からないわ……」
「……」
コウはそんなアンズの指摘に口を締めて俯いた。
惑星ディギングの事は、無知と言っても良いほどに知識が足りない。
基本的な部分は説明を受けていても、コウは自分が過ごしたシップの中とホーネットに乗り込んだこの場所しか知らないからだ。
コールドスリープから目覚めてまだ一ヶ月も経っていないのだから、それはそうだ。
ホーネットに乗っての採掘作業も、同じ駆け出しとはいえキチンと訓練を受けていて、この星に10年以上も住んでいるアンズとコウでは危険の見積もり方だって彼女の方が、正しいに違いない。
「アンズの言ってること、俺も分かってるつもりだよ……」
だけど。
ここ惑星ディギングにおいては右も左も分からないコウであったが、その故郷。
宇宙に置いての艦外機候補生だったコウは、災害時の対応が全く叩き込まれていない訳では無かった。
宇宙と地上の違いはあるけれど、遭難者となった時に取る重要な対応は二つ。
一つは救難信号の速やかな発信だ。
このディギングよりも遥かに広大な宇宙空間では、遭難時に自分の位置を知らせることが最も重要であった。
ホーネットからも、コウの端末からも、外部への呼びかけはちゃんと送り続けている。
メルが気付きさえしてくれれば、自然とクウルへ伝わる。 そうなれば、生きている事だけはシップに必ず届くはずだ。
更に、誰にも気づかれずに遭難者となった場合はこの限りでは無いが、今回はスヤンを含めたホーネット乗り全員が知っている。
コウとアンズが災害に巻き込まれた事を判ってくれている。
宇宙空間の場合は、何も無い場所で救助を待つことが飲まれることから、大小問わずデブリが多ければ移動する場合もある。
では、この惑星ディギングで空洞に落ちてしまった場合はどうだろうか。
アンズが言った救助の困難さの原因は、縦穴の深さ。 すなわち物理的に開いた距離が問題だ。
原因がわかれば後は簡単ではないか。
遭難者と救助者、互いの距離を縮めればいい。
時間制限があるのならば、座して待つ理由も無い。
命を繋いでくれている鋼鉄の
「登れば良いんだ。 落ちてきた穴は無理だけど、他に道があるかも知れない。 もしかしたら、シップに近い場所に出れるかも」
「っ、それ……は……そうね……」
コウに反論しかけたアンズは、途中で言葉を切り首肯した。
落ちたら登ればいい、そんな単純で現実味の無い言葉に出そうになった文句を留めた。
答えそのものは間違いじゃない。
どう考えても登ったところで、どうにもならない現実に直面するが、一縷の望みに懸けるなら正解ではある。
落ちてきた穴を上る事は崩落に巻き込まれた段階で、まずもって穴が塞がっているので不可能だ。
仮に他の道があったとして、途中に崩落して道が無くなっていない事や、崖のような極端な構造になっていないことを願わないといけない。
アンズは直前まで見ていた空洞の構造を思い出そうとしたが、そんな道は心当たりが無かった。
だけど、もしかしたら。
ボーリングでは精査できなかった場所に、地表への出入り口があるかも知れない。
だからアンズはコウの意見を受け入れた。
コウだけならば、可能性がゼロなわけじゃない、と。
そう、自分の機体は完全に壊れてしまったし、怪我と熱が原因で身体も思うように動かない。
アンズが居れば地下からの脱出を目指すコウの重荷になって、彼の足を引っ張ってしまうだろう。
しかしコウのホーネットは無事だ。
極めて楽観的に見れば、地表に向かう道が存在しているかもしれないし、時間を掛けてこの地下空洞を登っていけばホーネットの救難信号が届くかもしれない。
それをシップが受信できる位置に居てくれるかもしれないし、救助にも来てくれる可能性はあるかもだ。
余りに儚い可能性。
一体、確率にすれば何パーセントだろうか。
脳の冷静な部分では、絶対に無理だと合唱しているが。
自分の未熟に巻き込んでしまった目の前の男が生き残るには、その無謀な賭けに勝つくらいしか残されていないだろう。
少なくとも、アンズの知識と経験ではそれ以外でコウが生存できる方法が思いつかない。
だから、頷いた。
「よしっ! それじゃあ!」
「まって、駄目っ!」
全身が痺れたような感覚に顔を顰めつつ、アンズはコウが差し伸べてくる手を払いのけた。
この態度に狼狽したコウは、自分の右手とアンズの顔を何度か見返し、首を傾げる。
「なんだよ、早く行かないと……」
「駄目よ、コウ……っ、私、置いていかないと……」
「何を馬鹿なこと言ってるんだ、アンズ! 一緒に行かないとっ」
「あたしはっ……っ、あたしは、もうだめ! コウ一人なら、可能性があるんだから―――」
「可能性だって、可能性ならアンズだってあるだろっ! こうして俺と話してるのはアンズだ! 今、ちゃんと生きてるだろっ!」
聞き取れないくらいくぐもった音が、ヘルメットの中で響いた。
アンズの奥歯が強く噛まれて鳴った、軋んだ音。
「お願い、お願いだから……一人で行って! もう巻き込みたくないっ、もう、皆の足を引っ張るなんて、いやだ!」
精一杯と言って良いほど、掠れた声でそう訴えるアンズは再びコウの手を払った。
たったあれだけの閃光と爆炎で、前回の採掘事故を思い出して身体が言う事を聞かなくなってしまった。
よりによってインパクトハンマーを踏みつけ、亀裂に落下するなど、アンズは自分のミスを心底悔いていた。
そんな思いを知らないアンズの嘆願が、コウの頭を煮えさせた。
熱に中り、怪我をして身体的な余裕もなく、命の綱であるホーネットさえ失い、ミスによる精神的な罪悪感。
ああ、確かにそうだろう、とコウは思った。
誰がどう考えても、こんな不安定な情緒をしている彼女は、この状況では足手まといになるのかも知れない。
コウだって頭の奥では、助かる見込みが殆どない事を分かっている。
アンズよりマシとはいえ、腕は痛いし、ホーネットが何時動かなくなってしまうのか分からない。
もしもホーネットのライトが壊れてしまえば前後左右すら見失ってしまう。
だが。
「そんなの、知るかっ!」
彼女の嘆願は余りに身勝手じゃないか。
巻き込みたくないだなんて、現状においては今更だ。
コウだって眼が覚めてからずっと、シップの皆に迷惑なら掛けまくっている。
何よりもアンズは言ってくれた。 自分を指して、もう仲間になったんだから、と。
怪我をしたから?
機体を失ったから?
だから見捨てるなんて、それが仲間だと言えるだろうか。
この世界では青臭いかもしれない。 現実の見えてない、子供のような我が儘かもしれない。
それこそ、共倒れになってしまえばシティという場所で笑われる話になるのだろうか。
でもそんなのは関係の無いことだ。
コウはアンズとシップに帰りたい。
半ばヤケッパチと言っても良いほどの思考を経て、コウはアンズに向かって言った。
「アンズがここに残る、俺と一緒に来ないって言うなら、良いっす。 でも、無理にだって俺は連れてくから。
どうせ動けないんだし、拒否なんかさせないっすよ。 アンズが諦める係なら、諦めない係は俺っすね!」
「何を馬鹿言って、あっ!」
コウはアンズの声を遮って、ヘルメットをぶつけ合わせた。
「俺は二人で一緒にシップに戻るまで、アンズを絶対に離さないからなっ!」
コウの振り絞った大声が、地下空洞に響いた。
アンズは呆気に取られたように開いた口を閉じず、コウはそんな彼女にこれ以上話をさせる気もなく、抱くようにしてその身を攫う。
そのまま彼女を持ち上げると、先ほどはあれほど重かったのに、とても軽く感じた。
ホーネットの操縦席に放り込むように、アンズを投げてコウもその身を突っ込ませた。
場所が場所であれば、無抵抗の少女を誘拐している様にしか思えない光景だっただろう。
「や、やだ、やめてよコウ! ばかばか、死ぬわ、私なんて連れてったら、死んじゃうからっ!」
「だから、死なない為に頑張るんだって」
「頑張る所を考えなさいよっ、ばか、ほんと頭悪いんだからっ」
「うっさいなぁっ! もうアンズは黙ってろって!」
本人的には必死なのだろうが、コウが抱えたアンズはまったくもって非力であった。
ただ、機体の構造上、怪我をしている左腕以外はアンズを抱えることが出来ず、彼女が身を捩るたびに脳へ電流が走るような痺れがあったが、幸いと言って良いか。
彼女の態度に怒りを覚えていたコウは、アドレナリンの脳内麻薬の放出によって、まったく痛みを感じなかった。
もはやコウには、彼女の言葉には興味が無かった。
あるのは、ただ一つ。
どうにかしてこの地下空洞から、地上に顔を出す事だけ。
絶対に地表に出る。
機体を左右に動かして、頼りないライトで足下を照らして暗闇に向かって蜂の足を踏み出す。
アンズの乗っていたホーネットの先に、大きな空間が広がっていそうだった。
道はある。
どこまで続いているか分からないが、道はある。
周囲を確認しながらゆっくりと前へ。 アンズを落とす訳には行かないので、ホーネットの歩みは振動を与えないように、非常に遅い物だった。
観念したのか、歩き出してからはアンズも儚い抵抗をやめて、コウの身体に押し付けるように、背を預けていた。
いや、どちらかといえば僅かに残っていた体力を吐き出して、力尽きているのかもしれない。
「あ」
コウは、アンズのホーネットを乗り越えた先に、一緒に落ちてきたインパクトハンマーを偶然にも見つけて、声を漏らした。
先端に括りつけられた鋼鉄の杭で打突する、掘削作業に使われる道具。
拾ってみれば、土砂に半分埋もれてはいたものの、外観は破壊されておらず、引き金も引けそうだった。
何かに使えるか。
道具一つだけとはいえ、この暗く広い地下空洞で手元に何かがあると言うのは喜ぶことだろう。
拾い上げたホーネットが駆動音を一つ。
インパクトハンマーを拾った重量感が、コウの心に触れた。
それは誰かと手を繋ぐのと、同じような安心感に似ていた。
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