第14話 蜘蛛の母
「お疲れ様。 何を見ているの?」
シップの中に設けられた、地球の環境を模したであろう休憩場。
迎えられたシップに飛び込んで、砂と埃を水で落とし、さっぱりとしたコウは吸い寄せられるようにこの場所に来てしまった。
芝生の上で左手を上げぼんやりと端末を見上げていたコウの視界に、ジュジュの姿が過る。
「あ、ジュジュ……じゃなくて、艦長」
「ジュジュで良いわよ、コウ君」
「そう? なら今まで通りジュジュって呼ぶよ。 なんか、こう言っちゃ悪いけど、年上って感じがしないもんな」
「あはは、ハッキリ言うね、君は」
「まぁまぁ。 で、見てたのはコレだよ。 ほら」
そう言ってコウが見せたのは、唯一の私物と言っても良い、左手に装着している個人端末であった。
ジュジュが視線を向けて、首を傾げる。
「端末だよ。 見たことない?」
「そういえば、シティの展示室で似たようなものが在ったような……個人用でしたっけ?」
「それそれ。 結構便利で、大概の事はこれで調べ物が判っちゃうんだぜ。 宇宙での若者の必需品!」
千年前の物だけど、と苦笑しながらコウは教えてあげた。
コウが端末を起動したのか、何も無い空間にウサギや鳥のような愛嬌のある紳士服を着込んだ動物たちが浮かび上がって一礼してくる。
コミカルなステッキを持ったアライグマが音楽会の指揮を取るような仕草をすると、虚空に様々なデータを取得した映像が浮かび上がった。
「かわいい!」
「はは、これただの電源が立ち上がった時に出る娯楽映像だぜ」
「そうなの? でも、素敵ね」
物珍しそうに好奇心にかられ心惹かれるジュジュだったが、一つ咳払いしてぐっと我慢すると本来の用件を切り出した。
コウも居住まいを正した彼女に、端末の電源を切って目を離す。
「それより、地形図のデータの更新をしておいて下さいね。 これが更新元。 この休憩場の端の方にも端末があるから、そっちでよろしくお願いします」
「あ、うん。 ありがとう」
初仕事を終え、翌日作業も無事に完遂し、いよいよ明日からは掘削作業に入る。
そんなコウの隣に腰を下ろして、彼と同じように芝生の上にジュジュは寝転がった。
クリーム色の腰まで伸びた髪が、ふわっと中空に浮かんで、甘い匂いがコウの鼻孔をくすぐる。
柔らかい物腰と灼熱の惑星においては目立つ、美しいくらいに白い肌。
人形のように整っている顔立ちは、コウも見惚れてしまうくらいに可愛らしい。
眼を閉じて両手を広げて芝生の上で伸びをする彼女に、コウは笑った。
初めてみた時からそうだったが、彼女が艦長だとは思えない。
「はは、シップの艦長がそんな格好してていいのか?」
「良いの。 今は休憩中だもの。 しみったれた事を言うなよ」
こうして一緒に居ると、彼女は自分と同い年くらいに思えてしまう。
実際の年齢は4歳も年上だから、お姉さんなのだが。
けれど、これだけ若いのに厳しい環境の星で、貴重であろうシップの艦長と言う重職についている事は、並大抵の努力ではなれまい。
コウと違って頭も良いのだろうし、きっと身分も高い人なのだろう。
だらっとした姿を見ていると、普通の女の人だから、余計にギャップがすごい。
「やっぱ艦長って大変そうだよな」
「大変かぁ……」
ジュジュは自重する様に薄く笑ってそう言った。
意味深な、少し沈んだようにも思える笑みを浮かべて、彼女は口を開いた。
「艦長って言っても、私は名ばかりの鼻たれのガキよ、ケツ丸出しで神輿に乗ったようなクソ野郎ってところね」
「う~ん……ジュジュの言ってることは難しいっすねぇ……」
「もう、すぐこうなるんだからっ!」
自分の喉を抑えて頬を膨らますジュジュに、コウは苦笑する。
この程度の言葉遣いは、もう慣れてしまった。
自分でもどうかと思うが、今では汚い言葉で罵ったようなセリフをぶつけられる方が、ジュジュらしくて良いとさえ思ってしまう。
「ジュジュ、別に俺は大丈夫だよ。 もう慣れたっす」
「……ありがとう……まぁ、それはそれで複雑なんだけど……えっと、あ~あ~……話を戻すけどコウ君から見て、ボッシさんってどう思います?」
「ボッシさんスか?」
尋ねられたコウは頭の中で彼を思い出してみた。
いつ見ても無表情で、むっつりとした顔に黒い帽子。
浅黒い肌に鷲鼻と、厳つい顔に一文字に結ばれた口。
このシップ・スパイダルの中では最年長で、44歳と聞いた。 コウから見れば父親と同年代のオジサンだ。
決して本人の前ではこんなことを口走れないが、それでも彼が気配りが上手な優しい人だというのは、ジュジュを見ていれば判る。
何かにつけて気配りをしてくれるし、ジュジュの傍で判断を下すのは彼の役目だった。
「優しい人っすね、不愛想ですけど」
「ふふ、そうね。 でもね、言いたい事はつまり、艦長は本来は彼が担うべきなのよ」
あー、とコウは上半身を起こしながら頷いてしまった。
初めてクウルに案内された時に、同じような事を思っていたのを覚えている。
単純に見た目だけでもそうだし、今となっては彼女が言わんとしている事も何となくわかる。
ジュジュはコウに合わせて身体を起こして、芝生を指で遊びながら続けた。
ボッシとの関係は、彼女の両親と深い親交があって家族ぐるみの付き合いからだという。
元々、ボッシはシップの艦長、そしてホーネット乗りとして若い時分から灼熱の大地を駆け巡っていた。
その出資者は、ジュジュの両親だった。
長らくその関係は続いたのだが、ある理由からジュジュの両親を乗せて採掘に出かけることになったのだ。
そこで、事故は起きた。
ボッシのシップは地下の大空洞へと消えていき、その事故で生き残ってシティに戻る事が出来たのは―――
「それって」
「うん、私は両親を失って、残ったのは……ね」
シップ・スパイダルは彼女の両親が残した遺産を費やして作られた船だ。
最初にこのシップに搭乗員として名前が載ったのはボッシである。
蜘蛛の船を作ると決めた時に、ジュジュはボッシを艦長へと据えるつもりであった。
自然な判断だ。
豊富な経験と実績があり、灼熱の大地を駆けまわるシップのリスクも承知して、ホーネット乗りとしてもシティでは有名な彼が艦長になるのが筋だと思った。
だが、ジュジュの事は何でも聞いてくれるボッシだったが、この船の艦長になることだけは徹底して首を横に振り続けた。
ジュジュが艦長でなければならない、と。
「だから、私なんて本当に座ってるだけなのよ。 もちろん、勉強はしたし自分でも出来ることはやっているつもりだけど……ボッシさんが居なくなったら、何も出来ない艦長なの」
そこでジュジュは首を振って言葉を切った。
誰かに話を聞いて貰いたかったのだろうか? それこそ《祖人》として乗り込んだ何も知らないコウに、愚痴を零したかったのか。
それはそれで、彼女の気晴らしが出来るのなら良いか、と受け流す。
コウは頭に両手を合わせながら立ち上がり、人口池のほとりへと近づいていった。
本物かどうかわからないが、魚影が見えて思わず視線で追って行く。
芝生に座り込んだ彼女は、そんな彼の背を見ながら。
「実はね、君がここに居るって聞いて、お礼を言いに来たの」
「礼?」
「そう」
「別に、何にもしてないっすよ」
「その謙遜は嫌味か何かか糞ったれ。 《土蚯蚓》に襲われて陰気なアホ面ぶら下げて、暗いじめついた雰囲気を払拭してくれたのはテメェで……私じゃあない」
彼女の言葉は真実だった。
採掘も予定通りに進み《祖人》の回収まで出来たシップ・スパイダルの行程は、初航行にして最高ともいって良い滑り出しであると断言できる。
成功ばかりを重ねて、浮ついた空気が蔓延していた。 クルーも、ジュジュもだ。
災害と同じ扱いである《土蚯蚓》の襲来は、計算のできない場所で起こる物だが、シップの搭乗員にとっては大きな冷や水となったのは間違いない。
そんな鬱屈とした空気をぶち抜いたのがコウである。
《土蚯蚓》という驚異を知って、更にその事件を間近で体験したにも関わらず、進んでジュジュへとホーネット搭乗の許可を求めて走り回っていたのだ。
常識的に考えて、許可が出ないと言う事が分かっていてもめげずに、何度も何度もジュジュの下へと頭を下げに行く。
コウにとっては惑星ディギングで出来ることをと思って必死だっただけなのだが、その彼の溌溂とした行動と光景はシップの搭乗員達に元気を与えていた。
ホーネットに乗るための試験を受ける時に出来た人だかりは、その辺も関係していたのである。
笑いに来ただけではない、応援もしっかりと込められていたのだ。
喉を抑えながら彼女は言った。
「だから、ありがとう。 前を向ける勇気をくれたのは、きっとコウ君のおかげよ」
「なんか、良く分からないけど、皆の役に立てたなら良かったっす」
膝を曲げて座るジュジュは、コウの声に笑顔で頷いた。
が、次の瞬間、ジュジュのもとまで走ってくると、彼はその場で同じように膝を曲げて目の前に屈みこんだ。
突然目の前にコウの顔が近づいて、思わず身を引いてしまう。
「な、なに!?」
「あのさ、ジュジュは艦長なのが嫌なのか?」
「え?」
「嫌じゃないなら、やっぱり俺もジュジュがこのシップの艦長だと思うよ」
「う、うん、嫌じゃないけど……」
「じゃあ問題ないって。 俺がホーネットに乗ることが出来たのもジュジュのおかげだし、皆が元気になったのもジュジュが俺を邪険にしないで構ってくれたからだしさ」
そこで一つ区切って
「逃げることなく、真っすぐにめげず、立ち向かった人にだけしか踏めないスタートラインがあるんだ」
彼女がシップ・スパイダルの艦長になるまで、様々な事があったのだろう。
少しだけ話してくれた中でも、きっとコウには想像も出来ないあれこれが詰まっているに違いない。
そこには絶対にジュジュの意思もあるはずで、納得していないのなら別だが、彼女はこうしてシップ・スパイダルの艦長の役職を担っている。
ボッシに促されたとしても、それしか道が無かったとしても、ジュジュは自分の意思で選んだはずだ。
この厳しい環境の星で、大地を疾駆するシップの艦長になるために何が必要かなんて、コウにはまったく分からないけれど。
そこには少なくない努力の後が、必ずあるはずで。
「諦めなかった人だけが立てるスタートライン。 ここまで来たのに投げ出しちゃ、勿体ないっすよ……まぁ親父の受け売りなんですけどね、この話」
自分の言葉では上手く言えそうにないので、そのまんま転用してみたのである。
ジュジュはそんな彼を見て、吹き出しそうになってしまった。
最後まで隠していれば、感動していたものを台無しである。
なんとか次の言葉に繋げようと、コウは立ち上がって首をひねりながら周囲を回り始めた。
少し意地の悪い思考が働いて、彼がどんな言葉を掛けてくれるのか期待をして黙ってみていることにした。
コウは頭を掻いてから
「あ~つまりっ、俺もジュジュが、この蜘蛛の母ちゃんじゃないと嫌だなって思う!」
コウが言い終わると、ジュジュの顔が地面に向かって下り、肩を震わせ始めた。
その仕草が酷く落ち込んでいる様に見えて、コウは焦ってしまう。
「えっと、ほら。 ジュジュは一番偉いし、なんていうか、こう、もっと色々遠慮なしに言っても良いんだよ。
いっそ、喉を抑えるの止めて思うままに喋ってみたら良いんじゃないか?
スヤンさんなんか、毎日偉そうに怒鳴って来るし、頭にコブが出来るくらい殴りかかってくるんだ。
ジュジュだって、自信を持ってアレくらいやったって良いんだと思うし。 それに~~~あ~~~」
「ぷっ、くっ……あは、あははははははははっ」
「うわっ! なんすかいきなりっ!」
爆笑だった。 よほどツボに入ったのか、腹を抑えて芝生の上で転げまわっている。
スカートが捲れて際どい角度なのだが、それすら気付いても居ない様子だ。
コウは落ち込んでいると思っていた彼女を励まそうと一所懸命だったから、余計に呆気に取られてしまった。
ついに、ジュジュは地面を拳で叩きつけ、ひーひー言い始めてコウの事を指でさしてくる。
人間、笑顔を目の前に突き付けられると、釣られて笑ってしまう物だ。
コウも元気になってくれたのなら良かったと安堵した部分もあって、一緒になって笑い声を上げ始めた。
休憩場を通りかかった搭乗員が、大声で笑い合うコウとジュジュの姿を認めては、なんだ何時ものコントか、と華麗にスルーしていく。
「あー~~、もうっ、死ぬほど笑ったぁ、腸がねじれて口から臓物が吐き出そうだわっ!」
「ジュジュのせいだろぉ」
「うん、ごめん」
「良いって、ジュジュが元気になったなら、笑われる位なら何度もでも付き合うっすよ」
乱れた衣服と居住まいを直し、座り直した彼女は目尻から零れた涙を指先で拭って頷いていた。
コウはそんな彼女に拳を突き出しながら笑った。
「俺も一流のホーネット乗りになるから、ジュジュも立派な艦長目指して頑張ろうぜ。
きっと誰もがなれるって訳でもない、艦長になれたんだからさ」
「うん、そうね。 せっかく立てたスタートラインだもの、ふいにしちゃ勿体ないわね」
「そうそう、ボッシさんみたいな人にはすぐになれないだろうけど、だからこそ見返してやるくらいになろうぜ」
「……ありがとう」
ジュジュは長い髪を揺らして、笑顔で拳を作り、コウの手にこつんと当てる。
その笑顔を見れただけでも、コウにとっては励ました買いがあったと思える。
整った顔立ちに見つめられて、気恥ずかしさを感じ、ことさら勢いをつけて立ち上がった。
「えっと、じゃあ俺はそろそろ部屋に戻るよ」
「ゆっくり休んでね。 データの更新を忘れないように」
「了解! じゃあ、またなジュジュ」
そう言ってコウは手を振りながら踵を返した。
姿が消えるまで見送って、ジュジュは膝の上に落とした手を握り込んだ。
コウの言葉を思い出すように眼を瞑って。
やがてゆっくりと眼を開けて、周囲を見渡した。
連れ立って歩くクウルとメルが、通路の奥からちょうど顔を出して。
芝生の上で寝転んで眠っているコックが鼾をかいていた。
ゴミの回収を行ってる青年が、女性に怒られていて。
池の中の魚が飛沫を上げて外に飛び出した。
「よしっ!」
自分に気合を入れるように一つ声をあげ、頬を叩くとジュジュは立ち上がって伸びを一つ。
ボッシが詰めている艦橋に向かって、作業の引継ぎを行うために艦橋へと向かった。
そう、この航行が終わっても自分がシップ・スパイダルの艦長であると、胸を張って言える様になる為に。
スタートラインはここから。
ジュジュはしっかりと前を向いて歩いて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます