【追憶・415系白電】Fo117外伝

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【追憶・415系白電】Fo117外伝

 これは、415系白電の長きにわたる人生、いや車生のなかでもしかするとあったかもしれない、とある乗客の思い出の物語である。 



 冬のまだ夜も明けぬある朝。

 1人の少女が何度も後ろを振り返りながら駅に通じる大通りを急いでいた。目指す駅はもうすぐそこに見えているというのに、少女は何度も後ろを気にする。そして足を速める。なぜそうするのかはわからないが、マフラーで隠れがちな表情はどこかひどくおびえているように見えた。


 ようやく駅にたどり着く。小さな階段を駆け上がり、改札口横のきっぷうりばで、千円札を券売機にぶちこみ、手に入れたきっぷで自動改札を通り抜ける。後ろで怒号が聞こえたような気がしたが、もはや少女は先ほどのように後ろを振り返るということはせず、一目散にホームへと通じる階段を駆け上がる。


 ―プルルルル……

 少女が階段を駆け上がるのと同時に発車ベルが鳴り響く。そしてまだ眠そうな駅員の声が、1日にたった1本これきりしかない列車の発車を告げる。

「普通列車の行き、間もなく発車します……」

 つばめマークの光る黒い制服に身を包んだ車掌はドアを閉めようと笛を吹き、車掌スイッチに手をかけたが、階段を駆け上がる足音を耳にしてスイッチから手を離した。そして、息を切らした少女が列車に乗り込むのと同時に、もう一度笛の音が響き、勢い良くドアが閉まる。


 列車はその今や懐かしさを感じさせる色味の光で闇を切り裂き、一路大分へ向けて走り出す。何度も分岐器を踏み越える音、振動、そして古き良きMT54の響き。紺色をした昔ながらのボックスシートに、薄緑の化粧板。きっとマニアなら興奮せずにはいられないであろうこの車内で、少女はそのボックスシートに身を預け、乱れ切った息を整えていた。そうこうしているうちに列車は海を渡るトンネルへ突入する。轟音の響く車内で、負けじと声を張り上げながら巡回する車掌に、少女は声をかけた。

「あの……大分まで行くんですけど……このきっぷじゃ足りませんよね……?」

「そう……ですね。えっと、大分までなので、1910円追加でいただく形になりますね……」

 声量に反して温厚な表情の車掌に言われ、少女は傍らの古びていてかつ中身がぎっしり詰まったリュックから財布を取り出し、2000円を車掌に渡した。

「お先に90円のお釣りです。少々お待ちを……では、こちらが大分までの乗車券になります。自動改札通れないので係員のいる通路を通って改札を出られてください。えーっと、ちなみに、小倉で特急に乗り換えられますか?自由席特急券なら今すぐご用意できますが……」

「いえ……このまま終点まで……これって大分行きであってますよね?」

「はい。大分までそのまま行きますが」

「ええ、ありがとうございます」

「長旅お気をつけて。ありがとうございます。」

 車掌が去って、また戻ってきて、乗務員室扉をバタンと閉めるころには、列車はトンネルを抜けようとしていた。


「キャッ!」

 突然車内が真っ暗になり、思わず少女は小さな悲鳴を上げる。しかし周りの乗客は誰も動じないし、車掌も平然と車内放送をしている。少女が突然の暗闇に戸惑うのも一瞬、すぐに電気はつき、そのまま門司駅へと滑り込む。プシューと音を立ててドアが開き、乗客の乗り降りが終わると勢い良く閉まる。そして列車は発車し、山陽本線に別れを告げ、鹿児島本線を貨物ターミナルの明かりに照らされつつ小倉へと向かう。小倉駅ではまだ朝早いというのにそれなりに多くの乗り降りがあり、大都市の中心駅であることをうかがわせる。


 日豊本線に入り、いくつもの駅を過ぎたところで、先ほどとは違う若い女性車掌が車内巡回に訪れた。

「門司で悲鳴を上げた方がいると聞いたのですが……?」

「えっ……そうですが……」

「あ、小倉で車掌変わったのですが、引継ぎの時に聞きました。ひょっとして、この電車乗るの初めてですか?」

「そうです……何なら、一人で電車乗るのも、こうやって遠くに来るのも……」

「そうですか……何はともあれ先はまだまだ続きます。私は終点まで乗務しているので、何かあればお声がけください」

 そう言い残して車掌は去って行った。その後少女は、朝に弱いのか、それともここまでの疲れが出たのか、レトロな窓枠に頭を預けて眠った。


 何やらメロディのようなものが聞こえて、少女は目を覚ます。

 ―宇佐~宇佐~、ご乗車、おつかれさまでした。

(宇佐……ってことは大分まで……近い?)

 心の中で自問自答していると、この後車掌が巡回しに来るとのアナウンスが流れた。そしてしばらくたってやってきた先ほどの車掌に尋ねる。

「大分まであと、どのくらいかかりますか?」

「大分到着が9時23分なので、ちょうど後1時間です」

「ありがとうございます。そういえば、さっき宇佐?でなんかきれいなメロディが聞こえて目が覚めたんですけど、あれは何ですか?」

「”welcomeおおいた”という曲です」

「なるほど……すてきな曲、ありがとうございます」


 それからしばらく、少女は寝たり起きたりを繰り返して景色は目に入っていなかったが、列車が揺れて窓枠に頭を打ち付けたせいで急に眠気がすっきりして、視界が見る見るうちに晴れ渡る。ちょうどその時、列車は海沿いへと躍り出る。美しい別府湾の風景に、少女は目を奪われる。急カーブが続くせいで列車はそれほどスピードを出せないらしく、下に見える別大国道を走る車に時折抜かされてしまうことも。床下からはMT54の奏でる調べに混じってキーキーと急カーブを曲がる際に出るフランジ音が聞こえてくる。そんな状況がしばらく続き、トンネルをいくつかくぐり抜け、貨物列車のコンテナが積み上げられた小さな駅で赤いドアが特徴的な815系とすれ違う。そして―。


「ありがとうございます。終点大分に着きます……」

 3時間と7分かかって、列車は少女が目指した大分駅に到着した。ドアが開いたその瞬間、冷たくもどこかさわやかな空気が車内に流れ込む。少女は立ち上がり、パンパンに膨れ上がった重たいリュックをその小さな肩に背負い、生まれて初めての長旅を共にした紺色のモケット、薄緑の化粧板、レトロな窓枠と、古き良き時代の面影を色濃く残す車内を後にした。

 ”Fo117”

 ただの記号でしかないはずの編成番号だったが、少女の目に映ったそれは、どこか誇らしげに見えた。まるで、「わしはもうかれこれ40年、おまえのように新天地を求める旅人たちを北へ南へ、西へ東へと運んできたのじゃ」と語りかけてくるかのように。


 大分駅の改札を出た少女は、その足で中心街とは反対の南へと向かう。しばらく進むと重たいリュックを背負う身にはきつい坂が現れる。

 息を切らしつつ登った坂の頂上には美術館があり、ここで道は90度カーブして東へ向かう。少女の手に握られたメモには、「みかん公園」の文字がある。今まで必死に目指してきたみかん公園には、いったい何が待ち受けているのだろう。

 たどり着いたみかん公園は、ブランコとベンチがあるだけの住宅街の中にあるとても小さな公園だった。周りには誰もいない。リュックを下ろし、ベンチに腰掛けた少女は、さっきのメモを不安げに凝視し、時折顔を上げてあたりを見回す。そんな時間が30分ほど続いたその時。


 ふと顔を上げると、少女の前に1人の女性が立っていた。そしてこう語りかける。

「ここまで来たからには、もう完全に安心していいんだよ、つなちゃん」

「あ、あ、あ……有菜……さん、ですか……?」

「そうだよ」

 その瞬間、”つなちゃん”と呼ばれた少女は、肩の荷が下りたのかスイッチが切れる如く崩れ落ち、有菜の足元で大粒の涙を流した。そして走馬灯の如く、これまで経験してきた口にすらできないような記憶が再生される。有菜はそんなつなちゃんの背中をさすりながら、「もう何も気にすることなんて、もう何もおびえることなんてないんだからね……」と何度も言い聞かせる。

 しばらくたってつなちゃんが泣き止んだタイミングで、有菜はついさっき買ってきたばかりだというとり天を差し出した。

「こんなにおいしいものなんて、1度も食べたことない……」

「そっかぁ。ようこそ大分へ。改めましてだけど私は有菜。つなちゃん、もう大分まで来たんだから、おびえて逃げ回ることはないんだからね」

 有菜のその言葉と同時に、海風に乗って415系の柔らかな音色の警笛が聞こえてきた。それはまるで、つなちゃんの新たな日々の始まりを祝うファンファーレかのように、大分の空に鳴り響き、そして2人のもとに祝福のシャワーとして降り注いだ。



 これは、数ある415系白電のうちの1本であるFo117編成の長きにわたる人生、いや車生のなかでもしかするとあったかもしれない、乗客の1人となった少女”つなちゃん”の思い出の物語である。

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