仕事中
下山狭深
第1話 恋のリ・スタート
志村は同じ会社の女性に声をかけた。
「今日は暑いね」
彼女は少し困惑した表情を見せたがすぐ、そうねと僅かに頬を緩ませて返してくれた。
それでもその目はどこか疑わしく私を睨んでるように感じたので、私はふと目線をそらして、何も落ちていないのに、5メートルほど先の床に何か見つけたような視線を漂わせて、少し首を傾げた。
彼女も不意につられたように目線をそこへ彷徨わせて、何も見つけれないと、何なの?と純粋な目で見つめてくる彼女を、少し勝ち誇った気持ちで感じ取っていた。
きっといつか、そのうち、じっくり俺を好きにしてみせる。と、根拠のあるのか分からない思いが決意のように心の中に満足げに鎮座した。
私は臆病な人間で、それに自分に自信も持てない男だ。すぐ勘違いして傷ついてきたからだが、これが、ちっとも治らない。
しかし、今回はこれまでの経験が役に立っている。慎重に乗り越えたという想いが、私の芯の血流を上げた。
物事は何事も丁寧に慎重に運ばねばと、自分に言い聞かせて現状把握を心のなかでしてみる。
彼女は私の5つ下のバツイチ。一見大人しめで小柄な感じは、多分自信のない男共の下心を少しくすぐるだろう。現に彼女に振られたという噂を野球を観戦に行ったときに同僚の男社員から聞いたことがある。
でも多くの男からもてはやされるタイプではなく、少し足も悪い。そして私達の職場は花形でも人気のある職種でもない。そんなところの小さな話だ。それでも皆、頑張って生きている。そんな中にも小さな成功論もある。金も生まない、小さな幸せをただ一瞬感じ取るだけの成功だ。でもそんなものでもないと生きていけない。
そして彼女をこっそり見返す。ちょっとガッチリというかぽっちゃりした体型でも女性らしいスタイルはしている。なにより、ヒップの形が気に入っている。でも他の誰よりもいいと決めかねている。そこをきっと彼女に見透かされている。
私は五十を前にして少し髪型を変えた。やや薄くなってきたがそれでもまだ6:4に分けれるくらいの毛量がある。それと少し寂しげな顔が唯一の武器だ。
家庭もある。子供もいる。でもモテたいとか、浮気してみたいとか、小心な心に不埒な思いを抱える悪人でもある。
私がそんな思いを抱えるようになったのは、この会社に勤めて一年だった時に話すようになった女性のせいだ。彼女は今の狙いの子より更にふくよかな体をした、胸もかなりハレンチに大きく声も鼻にかかってセクシーだった。
私は浮気も知らない、何をどう話しかけたら良いかも知らず、ただ子供のように彼女に気に入られようと話し掛け、食事に誘い体よく断られ、それでも気付けばまた話し掛け、時に諭されて、幸せと惨めさとを交互に感じる2年が過ぎていた。バツイチの奔放な彼女はその間に二人の彼氏が入れ替わりに出来てまだ継続中だ。
もう既に彼女は諦めてるつもりだが、職場でたまに会うと既に元カレのように話しかけられ、あのときの熱い幼い恋心がフツフツと蘇りそうになる。しかしきっとまた迫ればこっ酷い目に合うんだろうと思うと熱も半分にクールダウン。
でも彼女には、感謝している。指一本触れたことはないが、恋多き女の一つ一つの対策、対応、あしらい、魔力は、初心者の私を少し戦える戦士にレベルアップしてくれた。
ラインでの愛想の良さに引き込まれると、必ず大きなしっぺ返しが来ることも。
直接話してて、よく笑ってくれるから、自身を持って誘ったらバッサリ断られる事も。
まるで想定外の出来事を、いかに当たり前のことか胸の奥まで理解できるように教えてくれた。彼女は不倫はしない。絶対的な法律は、既に憲法となっている。ましかし彼女もかつては裕福な男性に旅行などいい思いを経験したとの報告は受けている。勿論不倫をしてだ。
矛盾してるが金と暇がある男であれば、そこに矛盾はしないのだそうだったな。そこに怒りも一瞬しか浮かばないぼどに納得もさせて頂いたし、悲しみも連なったが、癒されもして、ついつい彼女と会話やで未練は脈々とつながってしまったのだ。
その時、おジンになっても甘酸っぱいような感覚を思い出した自分に驚いたものだ。そしていつしか、それがないと、若しくはその置き場を常に心の縁に用意してしまっている。
そして今の狙いの彼女が近くに立っている。
どうしたものか、まずさり気なく好かれようと何気ない会話や挨拶程度を行ってきた。
次のステップへ、行ってもいいだろうか?
まだ早いか?
いや、ずっと無理な話か?
悩みながら私も立ちすくんでいる。
正面から見る彼女は少し愛嬌があるが、こうして斜め後ろからその姿を捉えてみると、どこか気弱さがあって、なにか待ってくれているように感じる。
でもまだリ・スタートを仕掛けられない。
まだその前にやっておくべきことがないか?もっと多方面からの視点で確認してからのが良いではないか?頭の中をグルグルと過去の痛い思いを蘇らしつつ堂々巡りして、いつもの同僚として話しかける。
「今日はあついね」
言ってしまってから、あっと気付く。
「それさっき言ったよ」
そう睨み返してくる彼女の瞳を見て、ちょっと甘い思いが心にボツりときた。
恋じゃない。オジサンだからな、と心にツッコミつつ、「ああすまん」とオジサンらしい返しをする。
これで今日の冒険はお仕舞だ。と察知し、仕事を再開するわいと彼女に告げてその場を去った。
までも次だ。まだ今度次のステップへいく糸口を見つけたと自分に告げて、甘い思いも今日の思い出の箱に入れた。
何もない一日ではない。
そして、それだけではない一日にするために、これからもう少し他のことで頑張る。
恋愛気分は今日はそれで十分だ。そして、それだけでは駄目なんだ。これからの仕事や男同僚との建設的な頑張りがあって、今度、少し成長した自分としてまた彼女に声をかけよう。
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