きらきら秘密基地
LeeArgent
安心の雨傘(星の賢者)
安心の雨傘
今日は雨。
しとしと落ちる滴をメロディに、スピカは音痴な歌を歌う。
「ぴっちぴっち、ちゃっぷちゃっぷ、ランランラン」
小さな両手で傘の柄を握り、歌に合わせてクルクル回す。ピンクとサックスのストライプが紫に溶けて、一輪の花のように見えた。
店先に出て、昨日やめたはずの煙草をくわえ火をつける。重たげに漂う煙を見上げ、投げやりな気分を言葉にして吐き出した。
「なんだかなあ」
時計の修理は行き詰まってしまい、バラバラに解体したまま木箱の中。外に出て気分転換しようとしたが、この雨では憂鬱な気分にさせられるだけだ。
そういえば、彼女の……スピカの母親の最期を見たときも、こんな小雨が降っていた。
神殿の裏手、湖の畔に集まる沢山の傘を掻き分けて駆け寄って……しかし警官に取り押さえられて一瞬しか顔を見られなかった。彼女の死に顔をろくに覚えていないなんて、いまだに悔やまれる。
スピカを引き取って五年、ということは、自分とスピカが失踪して五年。今頃は、奴ら血眼になって自分を探しているだろう。
「いや、探しているのは、自分じゃなくてスピカだ」
スピカの母親が死んだ理由を、自分は知っている。スピカが奴らの手に渡れば、何をされるかわからない。そう思うと、易々と渡せないし、見つかるわけにもいかない。
自分達に今降り注いでいるのは、不幸なのではないか。その中を、身を守るものさえ持たず、濡れながら歩くのは酷く苦しい。
「パパー、見て見てー」
自分を呼ぶスピカの声に視線を下ろす。スピカは輝いた笑顔を見せて、突然大きな水溜まりの中へ、足から飛び込んだ。
彼女の下半身を隠す程の、大きな水飛沫が上がる。泥水はスピカが着ているワンピースを、靴下を、茶色く汚した。
「スピカ! な、何やってるんだ!」
風邪を引いてはいけない。煙草を雨の中へ投げ捨てて、傘を忘れて駆け寄る。しかしスピカは自慢気に鼻息を荒くしていた。
「すごいでしょ! おっきいおみず!」
「え?」
どうやら、あの水飛沫を見せたくて飛び込んだらしい。汚れるのもかまわず。
その笑顔があまりに生き生きとしすぎていて、思わず見とれる。そんなに楽しかったのだろうか。
「ねえねえ、すごいでしょ!」
「あ、ああ……すごいな」
いや、スピカはただ褒められたかったのだろう。自分が発したその一言で、笑顔を顔いっぱいに広げるのだ。
「パパ、かぜ引いちゃうわよ」
拙い女性語でそう言いながら、スピカは小さな傘を差し出してくる。
何故だろう。何故この子は、濡れることを嫌がらないのだろう。
「風邪を引くのはお前の方だ。ほら、傘をちゃんと差して」
そうやって叱ると、スピカは笑顔を萎めて困った顔をする。
「わかった。じゃあ一緒に入ろう」
スピカを縦抱きにし、傘を差してもらった。狭い傘では二人とも濡れてしまう。
しかし不思議だが、あまり気にならなかった。
「これならあんしんね」
スピカが覚えたての言葉を口にする。
彼女は、安心しているから濡れることに抵抗がないのだ。
濡れても世話を焼いてくれる人がいる。風邪を引いても看病してくれる人がいる。その人とは、父親代わりの自分のことだ。
自分を頼りきってくれている、そんな事実に、自分もまた安心していた。
目の前に娘がいて、笑っている。それだけで十分安心できるのだ。その、安心という名の傘があれば、不幸という雨も気にならない。そんな気がした。
「でも、今日はもう外遊びは終わりだ」
「えー!」
いやいやと駄々をこねるスピカを連れて、家の中へと入る。
風邪を引いても知らないぞと脅かしながら。
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