拾捌:タラニス

 口の中に血の味が広がって行く。

 視界が揺れる。

 目の前にあるものから、目を離してはいけないのに。

「お前さ、本当に自分だけだと思ってるわけ?」

 身体から抜け出した黒いインクが舞い上がって行く。

「生まれ持った力を使って何が悪いんだよ」

 それは渦となり、鋭い音を立てながら魔力が弾け始めた。

「魔女族の誇り、思い出させてやるよ」

 セレスタルは解放した魔力の暗雲と共に、エレクトラムに襲い掛かってきた。





 渋谷を監視し始めてから、六日が経った。

「今日も収穫無し、かぁ……。ん?」

 帰ろうとしたその時、捲った袖から何かを取り出し、渡している男が目に入った。

 肌には無数のタトゥー。

 ちらりと見えた目の本来は白い部分が、青かった。

「……あいつが売人か」

 エレクトラムはゆっくりと上空から後をつけた。

 大きな通りを上って行き、途中で細い道へ入って行く。

 汚い路地を通り抜け、たどり着いたのは高層マンションの裏口。

「ここが黒幕の家……?」

 一ヶ月の賃料が二百万くらいしそうな、いわゆるセレブが住まうようなマンションに、不釣り合いな格好の売人。

 エレクトラムは自分の服装を確認した。

「これで入ったら止められそう……」

 マンションの正面入り口をこっそり確認すると、コンシェルジュが二人にドアマン。

「裏口に回るにはもう手遅れっぽいな」

 ひとまず、屋上へと降り立つことにした。

 すると、小さなカシャっという音が聞こえた。

「えっ」

 振り向くと、先ほど後をつけていた売人の姿があった。

 スマホのカメラをエレクトラムの方へ向けている。

「き、君、お、俺の後を、つつつ、つけてたでしょう」

「……どうやって」

「ど、どうやって気付いたかって? ふふ。イビルスウィートは、ま、まま、魔法使いが、の、飲めば、五感の、か、感度を、上げることが、でき、出来るんだぜ」

「そうでしたか」

 しくじった。でも、売人に接触するという目的は果たせた。

「製作者のところへ連れて行ってもらえませんか」

「は、はあ? ダメに、ダメに決まってる、でしょ」

「お願いします。あなただって、どこかで道を間違えてしまっただけで、今からでもやりなおせ……」

 その時だった。

 目の前の男が、笑い出したのは。

「あはっ。あはははは!」

 雰囲気が変わった。

 さきほどまでのおどおどとしていた男はどこにもいない。

 目の前にいるのは、どこか邪悪な雰囲気を漂わせている別人だ。

「やり直せる、だって? お前、馬鹿なの?」

「どういう意味ですか」

「俺はね、好きでやってんの」

 ここで、エレクトラムはようやく気付いた。

 背中に汗が流れる。

 見誤っていたのだ。

「魔女族なんですね」

「その通り! 賢いね、君」

「なぜこんなことを……」

「……俺ね、タラニスなの」

 心臓が跳ねた。

「天から与えられたこの才能を使って、人間様にご奉仕してるってわけ!」

「タラニスはそんなんじゃ……」

「君にとってはそうだろうね、エレクトラム」

 肩がこわばる。

「どうしてわたしの名前を」

「患者名簿で見たんだよ。俺の邪魔になるような存在はいないかな、と思って」

 エレクトラムの鼓動が強く早くなっていく。

「俺の名前も教えておくね。えっと、日本の名乗り方で言うと……、シルバー セレスタル。君が飲んでいる魔力抑制薬を作ってるシルバー製薬の御曹司だよ」

 目眩がした。

 シルバー製薬はロンドンに本社がある、魔法使いや魔女用の薬を大量生産している製薬会社だ。

 魔力抑制薬は去年承認が下りたばかりの新薬で、タラニスの患者だけではなく、刑務所で服役している魔法族や魔女族の犯罪者にも使われることがあるほど、優秀な薬だ。

「その薬ね、俺が実験体なの」

 悪寒がする。

 邪悪な何かが、足元を這っているような、嫌な感覚。

「俺の両親はさぁ、俺たちみたいなタラニスのことを『救おう』としてるんだよね。今も。でもさ、そんな必要なくない? そもそも、救うって、何から? タラニスは天恵なのに!」

 夜の闇の中、黒いものがセレスタルの身体から立ち昇り始めた。

「だから俺さ、考えたんだ。コントロールできるようになればいいんでしょ、ってね」

 その瞬間、鋭い痛みが腹部に走った。

 口の中が血の味で満たされていく。

「あははっ。痛いねぇ? すごいでしょ。このタトゥーはね、俺のあふれ出す魔力を吸い取るだけじゃなくて、便利な魔導具にもなるんだ。俺の力を宿した、強力な武器にね」

 エレクトラムは膝をつき、血を吐き出しながら、声を出した。

「こ、こんなことやめるべきだ。タラニスは、て、天恵なんかじゃない。病気なんだ!」

 エレクトラムの悲痛な叫びは、セレスタルには響かなかった。

「お前さ、本当に自分だけだと思ってるわけ?」

 身体から抜け出した黒いインクが舞い上がって行く。

「生まれ持った力を使って何が悪いんだよ」

 それは渦となり、鋭い音を立てながら魔力が弾け始めた。

「魔女族の誇り、思い出させてやるよ」

 エレクトラムは寸でのところでそれを避けた。

 コンクリートの床が抉れている。

 その場に留まっていたら、確実に殺されていただろう。

「魔女族で同じタラニスなんだから、兵器らしく殺し合おうぜ!」

「わたしは、兵器じゃない!」

 黒いインクの帯は、まるでそれぞれが意志を持った蛇の頭のように空間を駆け巡り、貯水槽に巨大な穴をあけた。

 水が噴き出してくる。

「残念。腹に穴でもあいたかと思ったのに」

 エレクトラムはいくつか大剣を召喚すると、そのうちの一振りに飛び乗った。

「一つ聞きたい。イビルスウィートをばらまいて、いったい何がしたいんだ」

「え? 何か理由が無いと、悪いことしちゃいけないの?」

 セレスタルはここにきて初めて困った顔をした。

「理由もなく傷つけるから楽しいんじゃないか。たかだか人間をいじめるのに因果なんか持ち込んでたら、それこそ戦争するしかなくなるよね」

 罪悪感も、倫理観も、慈悲も、何もない。

 ただただあるのは、邪悪と加虐。

 純粋な悪。

 闇ほどに深い悲しみも憎悪も持ち合わせていないのだから、余計にたちが悪い。

「どんどんいくよ。さぁ、邪魔するなら死んでくれ」

 縦横無尽に動き回るインクの帯が、エレクトラムの身体をかすめていく。

 まったく攻勢に転じることが出来ない。

「その大剣は飾りなのかなぁ?」

 エレクトラムは痛みと削られていく体力の中、家族や友人たちのことを思い浮かべた。

 誰も傷つけたくないから、ずっと対処療法をしてきた。

 新薬にも頼り、こんな病気、なくなってしまえばいいのにと、ずっと願っていた。

 でも、もし今このまま負けてしまえば、次の標的はエレクトラムの身近な人々かもしれない。

(ごめんね。たくさん悩んで傷ついた、過去の自分)

 エレクトラムは深呼吸すると、自身につけているすべてのアクセサリーを外した。

「……おおっ」

 空に閃光が走った。

 それは地上の人々からも見えたようで、「か、雷だ!」「建物に雷が落ちたぞ!」と騒ぐ声が聞こえてきた。

「まさにタラニス。いかずちの神ってわけ?」

「僕は神なんかじゃない。ただの、魔女だ」

 身体中を痛みと共に魔力がほとばしる。

「薬を飲んでる分、きっと俺の方が強い……」

 セレスタルの頬から血が流れた。

「え?」

「君は製薬会社の御曹司なんだろ? それなら、知ってるはずだ。タラニス症候群も他の病気と同じで、ひとそれぞれ重症度が違うって」

 エレクトラムが浮く。

 その足元からは、純白の魔力が電撃のようにあふれ出している。

を軽症として、五段階あるよね」

 エレクトラムが手を前に出し、指を鳴らすと、セレスタルの頭上に大きな落雷が起こった。

 間一髪で防いだらしいが、避けきれなかったのだろう。

 左腕から煙が上がっている。

「僕は末期、だ」

 セレスタルの顔から余裕が消えた。

 初めて見たかもしれない。

 生物いきものらしい、反応を。

「だ、誰かいるのか⁉」

 誰かが警備員を呼んだのだろう。

 人間が二人、屋上へ入って来た。

 エレクトラムはおびえた目をするセレスタルのそばへ一瞬で移動すると、腹部を殴り、気絶させて肩に担いだ。

 そのまま、空へと飛び立ち、助けを求めてニクスの元へ向かった。

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