拾漆:甘い香り

「あんたのこと、噂になってるよ」

 ここは東京都某所にある、とある十字路。

 ボディコンのきわどい服に身を包んだ女性が、煙草をふかしながら立っている。

 その正面にいるのは、おおよそこの場には似つかわしくないほど純朴そうな青年。

「それはいいこと……、ですか?」

 エレクトラムは苦笑しながら聞いた。

「もちろん違う。ルシファー様の獲物を日本の地獄に勝手に移籍させちゃったから。自分が一番よくわかってんじゃないの?」

「まあ、そうですね」

 ルシファーの獲物、とは、この間知り合いになった元〈結弥屋むすびや〉の慈琅じろうのことだ。

 あのあと、エレクトラムは慈琅を地獄へ連れて行き、閻魔大王の元で獄卒として契約書を書き直したのだった。

「でも、別にいいでしょう? 厳密には、彼は〈鬼〉になったんですから」

「だからって……。これだから魔女族は悪魔から嫌われてんのよ」

「それはどうも」

「で、何の用があってあたしを呼び出したわけ? ご丁寧に逃げられないように魔法陣まで用意しちゃってさ」

 悪魔の足元で、地面に描かれた魔法陣が淡く光っている。

 エレクトラムは微笑みながら訪ねた。

「人間にイビルスウィートを売っている魔法使いについて、何か知りません?」

 悪魔は肩をピクリと動かしたが、さも何も知らないというように笑って見せた。

「知らないね」

「魔法族と魔女族、どちらが怖いか知ってます?」

 悪魔は一瞬怯えたように目が元の姿に戻ったが、再び人間に姿を整えると、自嘲するように大きな声を出した。

「いいかい、小僧。魔法族と魔女族のどっちが怖いかだって? そんなの、どっちもクソくらえだね。あたしたちが畏れているのはこの世界でただ一柱ひとはしら、ルシファー様だけさ」

「機嫌を損ねたのなら、すみません。でも、それなら、魔法使いについては話せますよね?」

 悪魔はエレクトラムを睨みつけながら思考を巡らせた後、溜息をつきながら口を開いた。

「あんた、顔に似合わず頑固なんだね」

「それはどうも」

「褒めちゃいないよ。……あたしが知ってんのは渋谷を根城にしてる奴だけ。でも、ただの下っ端だよ。学生に毛が生えた程度の魔力しかないしね」

「会ったことあるんですか」

「そいつは呪物の調達担当なんだよ。売人として立つのは週に一回あるかないか」

「何か特徴はありますか」

「いかれてんのかなんなのかしらないけど、身体中タトゥーが入ってるらしいよ。それも、眼球とアソコにもね」

 悪魔は下腹部を指し示し、ニヤリと笑った。

「い、痛そう……」

「悪いことは言わないから、関わるのやめとけば?」

「そういうわけにもいかないんです。僕の大事な友人が巻き込まれたので」

 瞳の中で魔力が弾けた。

 今度は悪魔が本気で怯えてしまったようで、上半身が元の姿に戻ってしまっている。

「すみません。魔力の暴走で怖がらせてしまいましたね。もう行って結構ですよ。ありがとうございました」

 エレクトラムは魔法陣を杖の先で切ると、悪魔は一目散に消えていなくなった。

「探し出してどうしてやろうか」

 エレクトラムは指先を走る痛みに顔をゆがめながら、怒りと魔力を鎮めようと、深呼吸を繰り返した。


 数時間前のことだった。

 いつものように出勤し、館内を見回っていたら、突然呼び出しの音楽が鳴ったのだ。

 エレクトラムが急いで休憩室へ向かうと、月島が口から紫色の泡を吹いて痙攣し、倒れていた。

 その身体には静電気のような魔障がほとばしっている。

「ど、どうしようエリー!」

 慌てるスタッフたちを下がらせ、エレクトラムは自分の指輪を一つ引き抜くと、月島の指に通した。

 魔障が徐々にひき、痙攣が治まった。

 呼吸が整っていく。

「これ、いったい……」

JUDICASユディカスを呼んでください」

「まさか……」

「イビルスウィートの副作用です」

 スタッフはすぐに受話器をとり、JUDICASユディカスにかけた。

 その間に、エレクトラムは月島のロッカーを漁った。

 その場にいた誰も、異議を唱える者はいなかった。

「……これだ」

 鞄の中から見つかったのは、カラフルな糖衣が施されている人気のチョコ菓子。

 中には果物のジェリーが入っており、口の中でチョコと混ざってとても美味しい。

 どこのコンビニにも売っている有名な商品だ。

「赤だけチョコじゃない……」

 エレクトラムが触れると、ピリッとした痛みが指先に走った。

「これ、月島さんがどこで買ったかわかりますか⁉」

 まだ売っているのだとすれば、大変なことになる。

 これでは、無差別テロと同じだ。

「こ、ここから一番近いコンビニだよ」

JUDICASユディカスの人が来たら、コンビニまで連れて来てください!」

 エレクトラムはなりふり構わず杖に跨り、博物館を飛び出した。

 歩行者や車の邪魔にならないよう、ある程度の高度を保って移動した。

 コンビニに着くと、すぐに菓子コーナーへ行き、チョコを探した。

「あった!」

 陳列棚にはまだたくさん残っていた。

 そのすべてに手をかざすと、五つから反応があった。

「すみませんが、通報を受けて来ました。JUDICASユディカスの者です」

 タイミングよく、JUDICASユディカスの警察官が二人到着し、店員に事情を話している。

「こっちです!」

「あ、君はたしか……、エレクトラムくんだっけか」

「そうです」

 挨拶もそこそこに、エレクトラムは陳列棚からチョコ菓子の箱を引き抜くと、警察官たちの前で手をかざして見せた。

「こ、これは! まさか……」

「ここにはこれだけみたいですけど、でも、他にも買ってしまった人がいるかもしれません」

「わかった。ここからはJUDICASユディカスの仕事だ。ただ、君はたしか協力者として登録されているよね?」

「そうです。なんでもお手伝いします」

「わかった。とりあえず、あの月島という人間の症状を詳しく話してくれ。現場には二人捜査官が来ているはずだから」

「わかりました」

 エレクトラムが博物館へ戻ろうと杖に乗ったとき、警察官二人がコンビニに非常線を張るところだった。

 博物館へ戻ると、ユウキが来ていた。

「ユウキさん!」

「大変だったな、エリー。月島さんはすぐにJUDICASユディカスの医療施設へ運んだよ」

「よかった……」

「スタッフたちからはすでに聴取したから、エリー、君が見た状況を詳しく話してくれ」

「わかりました」

 月島が横たわっていた場所からは、異様な甘い香りが漂っている。

 エレクトラムは所見と、どうやって症状を抑えたかを説明した。

「そうか。そういえばエリーはタラニスだったな」

「はい。だから魔力抑制用の指輪を一つ使ったんです」

「大丈夫なのか?」

「わたしは大丈夫です。少し余分に身に着けていますから」

「そうか。ならいい。だが、いったいだれがこんな非道なことを……」

「あ、あの……」

 スタッフの一人が、おびえたような表情で話に入って来た。

「どうした? もし何か知っているのなら、全部話してくれ」

 すると、三人のスタッフが顔を見合わせながら、話し始めた。

「実は、ここ最近月島さん論文とかでとっても忙しそうで。すごく疲れた様子だったんですけど、三日くらい前から突然元気になったんです。どうしたのか聞いてみたら、『チョコが身体に効くみたい』って……」

「……なぜかはわからないが、体調が改善したから食べ続けてしまったんだな」

「そうみたいです……。もっと早くラブラドルくんに言えばよかった」

 そう言うと、スタッフは泣き出してしまった。

「そんな、無茶ですよ。むしろ、今思い出して言ってくれたことが大きな手掛かりになります」

「うっ、うっ」

 エレクトラムはスタッフに「休憩に出ていいですよ。ゆっくりしてきてください」と言い、優しく労った。

「エリーの言う通り、人間が気づくのは無理だ。それに、三日前から、というのは大きい手掛かりだ。ただ、その分、被害が広がっているということでもあるが」

「わたし、手がかりを探ってみます」

「何か思い当たるのか?」

「魔法使いのことなら、呼び出される側に聞いてみるのもいいかも、と思って」

「なるほど……。悪魔たちか」

「十字路なら簡単ですから」

「では、さっそく明日から頼む。今日は……」

 二人で話していると、近所へ買い物に出ていた四月朔日わたぬきが帰ってきた。

「おお、オーナー殿」

「これは……、え、ど、どうしたんでしょうか」

「私からお話させていただきます」

「わ、わかりました。……まさか! ラブラドルくんたちに何かあったのでしょうか⁉ 怪我してるようには見えないけど……」

「わたしは大丈夫ですよ。とにかく、お二人で話してきてください」

「……そうするとしよう。では、こちらへ」

 二人は奥の部屋へと入って行った。

 そして現在、エレクトラムは杖に跨り空へと飛びあがっていた。

「全身にタトゥーって言っても、今の時期じゃ長袖着ちゃってるだろうしなぁ……」

 エレクトラムは渋谷上空を飛びながら、街行く人々を注意深く観察した。

「魔法族は何人かいるけど……。普通に人間に溶け込んで生活しているような人ばっかりだ」

 博物館を飛び出してすでに四時間が経とうとしていた。

「深夜二時……。人通りもまばらになってきたなぁ」

 どうやら、今日は不発だったようだ。

 悪魔も言っていた。

 奴が街に立つのは週に一回程度、と。

「一週間、張り込んでみるか」

 エレクトラムは一度博物館に戻ることにした。

 四月朔日に事情を話し、数日間、仕事を休ませてもらわなくてはならない。

「うう、寒い」

 夜風が服の隙間を通り抜けて身体を冷やしていく。

 エレクトラムはかじかむ手を吐息で温めながら空を飛び続けた。

 奇しくも、今日は年が明けてから初めての満月の日だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る