拾参:自分

 惨状の中、佇むエレクトラムに駆け寄ったのはニクスだった。

 「嫌な予感がする」と、博物館を抜け出したニクスは、駆け抜けた公園の先で、目の前に広がる信じがたい光景の中で震えるエレクトラムの身体を、ただただ抱きしめることしかできなかった。

 遅れて走ってきた四月朔日わたぬきや博物館の仲間たちも、かける言葉が見つからず、とにかく警察を呼ぶのが精いっぱいだった。

 エレクトラムは到着した人間の制服警官からの質問に淡々と答えると、魔法魔術協会所属の警察組織、JUDICASユディカスに引き渡されることになった。

「叔母さんと叔父さんにすぐ連絡するから!」

「いや、大丈夫だよ。日本はロンドンとは少し違うんだ」

「でも!」

 エレクトラムは力なく微笑み、四月朔日にニクスのことを頼んだ。

「焦らなくていい。しばらく休暇を取るといい。私はラブラドル君を失いたくない」

「ありがとうございます」

 狼狽えるニクスとそれを制する四月朔日を横目に、エレクトラムは護送用の空飛ぶ馬車へと乗り込んだ。

 JUDICASユディカスの警官たちは無表情で淡々と仕事をこなしていたが、扉が閉まるとすぐに話し出した。

「大丈夫か? 少年」

「はい。お手数おかけします」

 ガタン、と音がした後、馬車が浮かび上がった。

 地面には触れていないはずなのに、蹄の音がする。

「いやいや。一応国際法通りに君を署まで連れて行くけど、書類に記入したらすぐ帰れるからね」

「ありがとうございます」

「そもそも、純血の人間がほとんどいない日本で、こんな百年以上前の古びた制度が未だに現役なことにびっくりだよな」

 エレクトラムはどう反応すればいいかわからず、とりあえず相槌をうっておいた。

 日本は他の国と違い、古来より妖怪や神といった類のものと婚姻を繰り返してきた国なので、厳密には純血の人間族は皆無に等しい。

 ただ、身体の作りや能力はほぼ人間のそれなので、国際法的に日本国出身者の多くは〈人間族〉と定義されている。

 そういう事情もあってか、日本では魔女族や魔法族と言った魔法使いが起こした犯罪行為については黙認されているのが実情だ。

 なぜなら、純血の人間族ではない日本人も、強烈なきっかけさえあれば、摩訶不思議な力で他人を傷つける恐れがあり、もしそれが実際に起こってしまったとしても、科学的には証明できないからだ。

 証明できないことを証拠には出来ないし、証拠が無ければ裁くことも不可能。

 ではなぜJUDICASユディカスという組織があるのかと言うと、それはテロ行為に対しての抑止力の為だ。

 魔法界には時折、闇の力に囚われ惨事を実行する者が現れる。

 その力や影響力は果てしなく、他の種族を巻き込み恐ろしい事態に発展する可能性がある。

 JUDICASユディカスはそういったことが起きないよう監視し、ある種の平和を保つことが任務なのである。

 魔法使いが邪悪な妖怪を一体屠った程度で捜査などしないのだ。

 ただ、魔法によって死者が出た場合、どういった魔法を使用したかについては報告する義務がある。

 そのため、エレクトラムは署に連行されているというわけだ。

「お、ついたぞ」

 夜が更けるほどに輝きを増す街、東京都新宿区のはるか上空。五年前に建て替えられたばかりのJUDICASユディカス日本支部は、インカ帝国のピラミッドを模して造られている。

 威圧感の有るその姿かたちは、人間からは『魔王城』と揶揄されることもある。

「お疲れ様。この馬車、あんまり乗り心地良くないから疲れたでしょ?」

「いえ。大丈夫です。以前も乗ったことがあるので」

「え、そうなの?」

「はい。何度か」

「じゃぁ、書類の説明は大丈夫そうだね。受付で身分証を見せればすぐに手続してくれるから。じゃぁ、頑張って」

「ありがとうございます」

 エレクトラムは馬車から降りると、その足でまっすぐ入口を通って受付へと歩いて行った。

「お、エリーじゃないか」

「げ、ハンナさん」

 受付の傍に立っていたのはJUDICASユディカスで警部の地位についているハンナ ユウキ。

 百九十センチの身長から見下ろされ、つい委縮してしまう。

「げ、とはなんだ。いつも親切にしてやってるのに」

「そ、そうですね……。奥さん……、じゃなくて、ハンナ警視正はお元気ですか?」

「マキはまだ育休中だ。私も残業しないでさっさと妻と子供のいる家に帰りたいよ」

「え、大変なんですか? 日本のJUDICASユディカスは暇だってよく聞きますけど」

「おいおい、若者よ。カレンダーを良く見ろ」

「カレンダー……? あ」

 今日は十二月二十八日。もうすぐ新年となる。

「渋谷と六本木に、あとは各地にある有名な神社とお寺ですね」

「その通り。日本の年越しは観光客にえらい人気があるからな。種族問わずいろんな国から流入してくる。人間の警視庁と警察庁と協力して警備に出にゃならん」

「うわぁ……」

「手伝ってくれてもいいんだぞ。ボランティアは大歓迎だ」

「嫌です」

「だよな。じゃぁ、書類書いて帰っていいぞ、と言いたいところなんだが、本気で頼みたいことがある」

 いつもからかってくるユウキの真剣な表情に、エレクトラムはただならぬ気配を感じ取った。

「呪物か何かですか」

「そうだ。ここではなんだから、書類を書きながら話そう」

 ユウキは受付の男性に「第二会議室って空いてる?」と聞き、鍵をうけとった。

「会議室の場所わかるよな? 先に行ってるから、手続きしたら来てくれ」

 そう言ってユウキは歩いて行ってしまった。

 エレクトラムは異様な雰囲気に危機感を感じ、急いで手続きを済ませて書類を受け取ると、会議室へと急いだ。

「お、早かったな」

 会議室の扉を開けると、珈琲のいい香りがした。

「おまえんとこのバリスタには負けるが、JUDICASユディカスのカフェテリアのも結構美味いんだぞ。カフェインレスでも、ちゃんと珈琲の味がするんだ」

 声や言葉はいつもの通りだが、表情が硬い。

「じゃぁ、座ってくれ」

 エレクトラムが座ると、ユウキは机の上に次々と箱を並べ、全部で五つの箱の蓋を開けた。

「うわっ」

 一つ目の箱の中には人間の生体組織で作られた小物がたくさん入っていた。

 骨で作られたボタン、箸、かんざし、ナイフ、アクセサリー類。

 二箱目には髪で編まれた服飾品や人形も多数おさめられている。

 三箱目は化粧品。人間の脂肪や体液から作られるのだ。

 四箱目は腸などの内臓で作られたげん。バイオリンなどに使われることがある。

 そして五箱目。

「これ、本当なんですか?」

 嫌な記憶がよみがえる。

 エレクトラムは箱に入っているものに見覚えがあった。

 学生時代、校内で何度か目撃したことがある。

「ああ。今年に入ってから出回り始めたんだ」

 中に入っているのはカラフルなラムネのような形をした錠剤。

 人気キャラクターを模したものまである。

「通称イビルスウィート。魔法使いが作った麻薬だ」

「誰がこんなもの……」

「中には人間の小学生から押収したものもあるんだ」

「え!」

「いじめっ子に仕返しするために魔法を使いたかったんだと。親切なお兄さんが白昼堂々公園で配っていたらしいぞ」

「そんな……」

「未来の顧客ってことなんだろう。子供は純粋だ。『これを食べれば魔法が使えるようになるよ』と言われれば、疑いもせず喜んで口にしてしまう」

 ユウキは瞳に怒りを浮かべながらため息をついた。

「被害は……」

「すでに都内だけで十二人の未成年が魔障ましょうで入院。そのうちの一人は重大な後遺症が残るそうだ」

「ひどい……」

 エレクトラムはうつむき、菓子のような錠剤を睨みつけた。

「成人はもっと深刻なことになってる」

「まさか」

「そのまさかだ。今年だけでイビルスウィートの依存症で五人死んだ。八十二人が意識不明で入院。百三人が依存症患者用の施設で更生中。いくら頑張っても、魔障で酷く汚染された身体は元には戻らない。潜在的な顧客数で言えば、こんなの氷山の一角に過ぎないのが問題だ」

 ユウキはあえて口に居はしていないが、問題は患者数の増加だけではない。

 一過性の力とは言え、イビルスウィートを服用すれば、人間が魔法を使えてしまうのだ。

 人間の警察には検挙不可能な犯罪が増えてしまう可能性がある。

 歴史が繰り返されるのなら、また、〈魔法〉が悪しきものとして認識されてしまう恐れだってある。

 この現代において、魔女狩りが始まる可能性があるのだ。。

「わたしにどうしてほしいんですか」

「発掘現場で怪しい動きをしている奴がいたら教えてほしい」

「麻薬の材料が特殊な呪物だから……、ですね」

「そうだ」

 そう、一箱目から四箱目に入っていた人間の生体組織を使って作られた呪物は、ある条件さえそろえばイビルスウィートの材料になり得るものなのだ。

 その条件は、呪物が古ければ古いほど、達成している確率が上がる。

 つまりは、発掘現場で採取されている可能性が高いのだ。

「実際に人の命を奪ったことのある呪物……」

「頼めるか?」

「断れませんよ。わたしの大切な仕事を悪用している奴がいるなんて許せませんから」

「ありがとう。私も半年後には産休に入ってしまうから、それまでになんとしても密売組織のしっぽを掴みたい」

「あんまり危険なことはしないほうがいいんじゃないですか?」

「大丈夫だ。お腹の子に影響が出そうなことはしないつもりだ」

「どうかなぁ」

「お前まで私を疑うのか! マキと同じ反応しやがって」

「……去年書いた始末書は何枚でしたっけ?」

「……ぐっ」

「じゃぁ、わたしは書類も書き終わったことだし。行きますね」

 立ち上がり、書類とまだ珈琲の入っている紙コップを持ち上げたエレクトラム。

 ユウキはまるで我が子を見るような目でその姿を見つめ、つぶやいた。

「お前も無理するんじゃないぞ」

「大丈夫です。発掘の仕事は増やしますけど……」

 エレクトラムは少し考えたあと、顔を上げて言った。

「わたし、魔女族の中でも結構強いので」

「ふふ。知っている」

 自分ではどうしようもないほどの強大な力でも、誰かの役に立てるのなら、生きている意味があるのかもしれない。

 エレクトラムは自分の手を見つめ、そっと微笑んだ。

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