拾壱:ようこそ、日本へ
「お、来た来た」
真昼の羽田空港国際線ターミナル。
大きな窓から見えた大きな飛行機。
アヴァロン島から日本へはいくつかルートがあるのだが、従兄弟はロンドンが好きなので、英国経由で来たのだろう。
英国は魔法族が人間と同じくらいの数住んでいる。
とてもウィザーズフレンドリーな国なのだ。
「エリー!」
「ニクスくん、久しぶり」
ニクス・ラブラドルは三十二歳の魔女族独身男性。
英国の名門魔法魔術大学で若き教授として活躍しており、専門は比較宗教学の中でも特に仏教におけるシャンバラの宗教都市としての機能や歴史、建築に表される信仰の変遷など、多岐にわたる。
一か月前、発掘調査中に落石事故があり、人間の研究者をとっさにかばった時に足を骨折。
大学側から休養を取るよう促され、現在に至るというわけだ。
ニクスはそれを嫌がったが、研究に熱が入るあまり休日も出勤しているため、再三、大学側から『休みをとれ!』と言われていたらしい。負傷を機に、ついに折れたという感じだ。
「シャンバラの国宝が日本にくるなんて最高じゃないか! 私は滞在中、仏教寺院を巡るつもりだ! くうう! 比較したいサンプルがたくさんありすぎて、興奮がおさまらないよ! 日本では独自に発展していった宗派がいっぱいあって……」
「うわ……」
早口で、後半何を言っているのかよくわからなかった。
眼球がバキバキと見開かれ、赤い瞳が充血で余計に赤い。
高級なスーツが似合いそうな端正な容姿とのギャップがひどい。
「もしかして……、フライト中寝てないの?」
「寝ている暇など一秒もなかったぞ! ここ、東京だけでも寺院がたくさんあるし、京都や奈良に行けばそこはもう宝の山……。睡眠など無駄だ!」
「はぁ……」
まずい。
一番日本に来てはいけない人を呼んでしまったのかもしれない。
エレクトラムは頭痛がした。
「……大丈夫だぞ? エリーの同僚の前では紳士なふるまいをするからな。日本では私のような存在をヲタクと言うのだろう? ふふふ、一般人に成りすますのは得意なんだぞ!」
「いや、別にヲタクでもなんでもかまわないよ。わたしの同僚たちも変な人ばっかりだから」
「変とは失礼な! みな、それぞれの探求心と好奇心を胸に抱き、手と目をせわしなく動かしながら走り回る戦士たちではないか!」
「はいはい、ごめんごめん」
ニクスは尚も日本滞在中の計画を話し続けている。
エレクトラムは「ははぁ」と気の抜けた相槌をうちながら、ニクスの腕を掴んで歩かせた。
放っておくと空港で夜を明かすことになりそうで怖いからだ。
「そうだそうだ、エリー。連絡先を登録させてくれ」
「いいよ。えっと……。え? え⁉ す、スマホ持ってるの⁉」
「もちろんだ! ……というのも、人間の学生たちが『教授と連絡とりづらいの困るんで』と、誕生日にプレゼントしてくれたのだ」
「わぁ……」
エレクトラムには、学生たちが散々苦労してきたのだろう光景が思い浮かんだ。
「もちろん、アヴァロンでは使えないが、イギリスでは使えるからな。とても便利で興味深い機械だ」
「じゃぁ、連絡先交換しておこう」
二人はお互いの画面に表示されるQRコードを読み合い、連絡先を交換した。
「資料のやり取りも便利なんだぞ。ノートパソコンを開かなくても、このスマホで読めてしまうのだ」
「……パソコンも使えるようになったの?」
「まあな。教授への就任が決まった日から、大学側から週一時間のノルマで講習を受けさせられている」
「おおお……」
「ただ、半年前に支給されたタブレット端末はまだよく使いこなせていないんだ」
「ああ、それならわたしが空いた時間に教えてあげるよ」
「おお! それは助かる!」
二人は他愛のない話をしながらタクシーの乗り場へと向かい、思っていたよりも少ないニクスの荷物をトランクへと積み込んで宿泊予定のコンドミニアムへと向かった。
「それで、その……、大丈夫なのか? 最近は」
ニクスの笑顔が少しぎこちなくなった。
「心配してくれてありがとう。大丈夫だよ」
少しホッとしたように、ニクスの目元が緩んだ。
彼は知っている。
エレクトラムが苦しんだ三年間を。
魔力過剰生成症を緩和するための方法が少しでも記されていないかと、研究の合間を縫ってあらゆる文献に目を通し、支えてくれた過去がある。
「叫びたくなったら、いつでも言うんだぞ。どこにだって連れて行ってあげるからな」
エレクトラムは微笑みながら頷いた。
笑顔で隠していた悲痛な叫びを引き出してくれた大事な家族。
精神的な限界を迎えそうだったある日、数えきれないほどの同胞を失った最後の世界大戦の地、アトランティス文明の遺跡へと連れ出してくれて、ぶつけようのない怒りを叫ばせてくれた。
――「なんでわたしなんだ! 誰が望んで病気になんかなるって言うんだ! わたしは兵器じゃない! 魔法族とは違うんだ! 永遠に、殺戮の後悔の中で死んでいてくれ!」
あんなに泣いたことは、これまでも、この先もないだろう。
冷たい雨の感触、地面へ跳ねる水音、土の匂い。
一生忘れることはないだろう。
タクシーで移動すること三十分。
六本木の繁華街から少しだけそれたところにある立派なコンドミニアムに到着した。
「お、おおお……。日本には景観を護るための高さ制限はないのか……?」
「一応そういう区画もあるけど、ここはそういう街じゃないからなぁ」
目の前にそびえるのは、ピカピカのガラス張りの地上二十五階建ての立派な超高層マンション。その三階から十階までがコンドミニアムとなっている。
「ニクスくんの部屋は七階だよ」
「一応聞くが、日本は窓から箒で飛び出すのは合法か?」
「違法ではないけど、まぁ、あんまりやってる魔法使いはいないかな」
「そ、そうか」
そわそわし始めたニクスの背をそっとおしながら建物の中へと入って行った。
コンシェルジュに予約の番号を伝え、身分証を提示。
カードキーと暗証番号が書かれた用紙を受け取り、部屋へ向かった。
このコンドミニアムはカードキーを部屋に忘れても暗証番号を入力すれば部屋へ入れるようだ。
七階には四つ扉があり、その中の一つである7Aと書かれた部屋へと入って行く。
「な、なんだこの豪邸は!」
3LDKの間取りはどれも部屋が広く、家具も落ち着いた色合いで整えられている。
「私の家の何倍もあるぞ……」
「なんでよ。実家はもっと広いでしょうが」
「ロンドンにある家のことだよ。あれでも結構な広さのところを借りたつもりなのだが……。ここは別格だな」
「
「なんとお礼を申し上げたらよいのやら……」
「あ、そうそう。先に到着してた資料は全部木箱に入ったまま書斎に運んであるらしいよ」
「しょ、書斎まであるのか⁉」
「それにはわたしもびっくり」
「だ、堕落してしまいそうだ」
「いや、ニクスくんは堕落とは無縁でしょ。それより、さっさと靴脱いであがろうよ」
「そ、そうだな」
ニクスとエレクトラムは靴を脱いで玄関に揃えて置くと、部屋の中へと進んでいった。
「窓が大きすぎて空に吸い込まれてしまいそうだ」
「掃除が大変そう」
「床がほんのり温かい……。なぜだ、大理石なのに! 魔法か⁉」
「床暖房つけといてくれたんだね」
「き、キッチンが四口コンロだと⁉ 私はそんなに料理はしないぞ!」
「食洗器いいなぁ」
「クローゼットかと思ったら冷蔵庫ではないか! こ、こんなに食べきれるかな……」
「お、流行の健康志向冷凍食品がいっぱい入ってるじゃん」
いちいち大袈裟な反応が可愛らしいニクス。
対してエレクトラムは、「いいなあ、この設備」と、まるで主婦目線だ。
「寝室になりそうなほど廊下が広いぞ!」
「バリアフリーに対応してるんだ。すごーい」
ニクスは興奮しながら次々と扉を開けていく。
「と、ととと、トイレの蓋が自動で開くだと⁉」
「わぁ、好い香りの消臭剤まで完備してあるんだねぇ」
「風呂にわけのわからんスイッチがたくさんある……」
「ジャグジーだね」
二人で探索すること数十分。
ニクスは「豪邸も最新鋭の機器も恐ろしい!」と言いながらもとても楽しそうだ。
「では、さっそく荷ほどきをしつつ書斎を整えるとするかな」
「手伝うよ」
「いや、大丈夫だ。迎えに来てもらってここまで連れてきてもらったあげく荷解きまでさせるなんて、そんなことは出来ない。私もシティーボーイとやらに馴染まなければ」
「シティーボーイって……。じゃぁ、何か困ったことがあったら、コンシェルジュさんかわたしに連絡してね」
「うむ。博物館に行くのは明日の夕方であってるか?」
「うん。迎えに来るから大丈夫だよ」
「何から何まで世話になる。ありがとう、エリー」
「日本滞在を楽しんでね」
「ふふふ! もちろんだ!」
ニクスとは玄関で別れ、エレクトラムは電車に乗って自宅へと戻って行った。
仕事まではまだだいぶ時間がある。
本屋にでも寄ろうと、エレクトラムは途中の駅で降りて行った。
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