捌:瞳
あの可哀そうな女を迎えに行こうとしたのだ。
黄昏の彼方へ旅立ってから五百年と少し。
同じ魂が再び形を変えて蘇ったことを知ったから。
今度こそ、娶ると決めていた。
もう二度と誰からもあの女が傷つけられないよう、護ってやろうと。
そう思ったのだ。
だから集めた。
仲間を。
あの女を傷つけた奴らの血筋は根絶やしにするつもりで。
それを土産に、再会しようと計画していたのに。
あの人間たちが立ちふさがった。
退魔師どもめ。
そのあと、封印されたが、一番強かった男を道連れにしてやったというのに。
あの魔女族の小僧め……。
俺とあの男を分離しおった。
琥珀に再び閉じ込められてしまった俺には、もうどうすることもできない。
あの女に会うことも、一目見ることさえ、叶わなくなったのだ。
☆
「……また光ってる」
冬が到来し、最初の水曜日。
二十一時に開館してから見回りを始めてすでに三回目の視認だった。
「……わたしと話がしたいのかな」
琥珀の光が一層強くなった。
考えてみれば、ここ最近、琥珀が光っているという報告は他の従業員や来館者からは受けていない。
「……明日の開館前なら。オーナーに話して時間を作ります」
琥珀は一度強く光ると、ゆっくりと陰り、おとなしくなっていった。
そのあとは一度も光ることなく、琥珀は鉄の檻の中で鎮座しているばかりだった。
閉館後、オーナーの
「ラブラドル君は安全なのかい?」
「大丈夫です。ただ、その間展示室には僕と琥珀だけにしてほしいんです」
「それはかまわないよ。三階は自由に使っていいからね」
「ありがとうございます」
四月朔日は尚も「ラブラドル君が被害にあうことはないんだよね?」と何度も確認してくれた。
エレクトラムは四月朔日の優しさを少しくすぐったく思いながら、頷いた。
翌日。開館前に琥珀を三階へと運び、檻から出して台の上に置いた。
「話って何ですか?」
琥珀は光りながら振動し、それが音となり、声となってエレクトラムの耳に届きだした。
――ある女を見つけてほしい。
「何故?」
――お前たちの言葉で言うのならば……。
――愛しているからだ。
「……見つけてどうするのでしょうか?」
――今幸せなのかどうか、見てきてほしい。
――それだけでいい。
「それくらいならいいですが……」
――その女は、戦孤児だった。
――そのせいで、酷い扱いを受けていたのだ。
――幼い頃は奴隷のようにこき使われ、身体が育つと村の男たちの慰み者にされ、まるで玩具だった。
――出会った時には、病に侵されていない箇所は瞳しかなかった。
――その瞳が、恐ろしいほど綺麗だった。
――恨む力が残っていなかったのかもしれないが、それでも、あれは夜空に瞬く星々も霞むほどの宝玉だった。
――俺は女を攫い、村の人間を一人残らず皆殺しにした。
――戦に出ていた者や他の村に嫁いだ者、そいつらから生まれた幼子も含めてな。
――女はそれから数日間、村の奴らのために泣いたのだ。
――わからなかった。
――なぜ、自分のことを傷つけた奴らのために涙など流すのか。
――それでも、声を振り絞るように、原形の無い唇で俺に言ったのだ。
――「たすかったことを、よろこんでしまうじぶんが、おそろしいのです。わたくしもころしてください」とな。
――だから誓ったのだ。
――来世は、必ず幸せにする、と。
「それが現代だったわけですね」
――そうだ。
琥珀は弱弱しく点滅し、光が淡くなった。
――女が……、彼女が幸せなら、それでいい。
「もし、そうでなかったら?」
琥珀は一呼吸の後、酷く昏い輝きを放ち始めた。
――俺はすべての力を使ってここから抜け出し、やるべきことをやるだろう。
「僕が止めますよ」
――それでも、いくらかは出来ることもあろう。
エレクトラムは小さくため息をついた。
その被害は計り知れない。
「だからと言って、わたしがあなたの代わりに何かできるわけじゃありませんよ」
――わかっている。
艶兎は琥珀の光を鎮め、また淡く輝いた。
――愛している者に幸せでいてほしいと願うのは、いけないことか?
「願い方、実行の手段によるのではないのでしょうか」
――現実的だな、魔女族の小僧。
「わたしたちの手には、容易く人を殺せる力があります。だからこそ、考えなければならないんです。大切なひとをどう守って行くのか。傷つけられたからといって、そのたびに皆殺しには出来ないんですよ。壊してはいけないんです。それが、世界というものですから」
――人はいとも容易く傷つけあうのにか? 殺し合うのにか⁉
「どんな種族であれ、それらがもたらす残酷な行為に加担することは出来ません」
――……ははははは! 噂には聞いていたが、やはり魔女族は冷徹だな。
「どう言われようとかまいません。魔女族は皆、もう二度と、兵器にはなりたくないんです」
――目の前で愛する者が殺されてもか!
「……それには答えられません」
――なぜだ! 腕の中で流れゆく血を感じれば、お前も目が覚めるだろう!
「その時は、その世界でただ唯一の
――どういうことだ。
「ご自分で考えてください。では、あなたが言う女性を探して見てきますから、情報をください」
エレクトラムは艶兎が話す女性の魂の情報を書き取り、再び琥珀を檻へとしまった。
それを呪物の展示室へと戻し、開館した館内の見回りを始めた。
三日後、エレクトラムは京都にある支援学校の前にいた。
「……あ、あのひとか」
校門の前に立つ一人の女性。
白い杖を持ち、にこやかに微笑みながら、登校してきた生徒に「おはよう」と声をかけている。
白いブラウスに、厚手の桜色のカーディガン。
グレーのスラックスに茶色のローファー風パンプス。
左手には、銀色の指輪。
まるで小春日和のような人だな、とエレクトラムは思った。
「さすがに校内に侵入するわけにはいかないからなぁ」
すると、背中をポンと叩かれた
「エリーじゃないか! 京都に仕事で来たのかい?」
「え、鮫島さん! ど、どうしてここに?」
鮫島は日本の縄文時代を専門に研究している大学教授だ。
「今日はこの学校で出土品のレプリカを使った特別授業で呼ばれていてね。もし暇ならエリーも見学して行かないかい?」
「い、いいんですか」
願ったりかなったりだ。
「もちろん! その代わり、助手をしてくれると助かるんだが、どうかな」
「なんでもやりますよ」
「おお! じゃぁ、よろしく頼むよ」
エレクトラムは鮫島について行くように門を通った。
「……あら?」
突然、女性に腕に触れられた。
びっくりして固まるエレクトラムには気づかず、鮫島はにこやかに女性に話しかけた。
「ああ、
「ああ、そうだったんですね。なんだか……、その、こんなこと言ったら変なのだけれど、懐かしい匂いがしたから、驚いちゃって」
エレクトラムは内心ひどく驚きながらも、どうにか平静を装って自己紹介をした。
「初めまして。ラブラドル・エレクトラムです。発掘師をしています」
「まあ! 素敵ですね! 遺物に最初に触れることのできるお仕事ですよね? わぁ、今日の授業がとっても楽しみです」
「が、頑張ります」
間違いない。彼女は飛び切り幸せな人だ。
エレクトラムは、ここまでおだやかで春のような雰囲気を持った人を、今まで一人しか知らない。
(お母さんみたいだな)
それに、勘が鋭い。
彼女は「懐かしい匂い」と言っていたが、おそらくは艶兎の存在を感じ取ったのだろう。
エレクトラムは胸がきゅっと苦しくなった。
その後、一年生、二年生、三年生に行われた授業は大盛況。
遺物のレプリカを触って確かめる生徒たちはとても嬉しそうで、見ているこちらまで笑顔になる光景だった。
「楽しいだろう、エリー」
鮫島に聞かれたエレクトラムは素直に頷いた。
「自分がしている仕事は素晴らしいことなんだって思えますね」
「そうなんだよ。大学で教えているとね、皆真剣な顔をしているから、授業中に破顔するなんてそうそうないんだよ。こんなにも嬉しそうにしている子供たちを見られると、僕も力がわいてくるんだ。もっと研究して、もっといっぱい発見して、子供たちに、君たちが住んでいる日本はこんなにも素晴らしい歴史があるんだよって、教えてあげたくなるんだ」
「最高じゃないですか。わたしもなんだか嬉しくなりました」
「ふふふ。そうだろう、そうだろう」
この世界には破壊をもたらす人がいる一方で、美しいものを生み出し、歴史を彩ってくれる人々もたくさんいる。
忘れたくない。
(わたしも、そうありたいな)
京都から帰ってきたエレクトラムは、すぐに艶兎に彼女のことを伝えに行った。
「帰宅時間まで学校に居ただけど、優しそうな素敵な旦那さんに車で迎えに来てもらっていましたよ。あんなに幸せそうな人、そうそういないってくらい、キラキラしていました」
――そうか……。
――よかった。本当に、よかった。
「……これ、おまけです」
そう言って、エレクトラムはスマホを取り出し、数分の動画を流した。
――彼女か!
「授業の風景を撮っていいって言われたので、少しだけ映してきましたよ」
――……本当なんだな。
――彼女は目が見えないのか……。
――でも、笑っている。
――とても、とても美しい笑顔だ……。
琥珀が青く輝いた。
「積もり積もっていたものが消えたんですね」
――そのようだ。
――ありがとう、魔女族の小僧。
「じゃぁ、出ますか。そこから」
――いいのか?
「もう話はつけてあります。あなたは妖怪、それも大妖怪なので悪さをするなとは言いづらいですが、人間を殺さないって誓ってくれるなら、出してあげます」
――わかった。
――誓うが、もし俺が誓いを破ったら、お前が殺しに来るんだろう?
「そうですね。そうします」
――それならいい。安心だ。
「では、さようなら」
エレクトラムは
青い煙となった艶兎がひゅるひゅると琥珀から滑り出し、窓から空へと飛んで行った。
開館前の夕闇に、輝く満月。
これならば、帰り道も迷わないだろうと、エレクトラムは思った。
光り輝く星々が、誰にとっても、家路を照らす光となりますように、と。
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