第5話
「え、ついに気付いたんですか?」
彼は私を見つけると開口一番にそう言った。
ぱたぱたぱた。雨音が聞こえる。向かい合う私たちの間にはぼんやりと赤信号が浮かび上がっていた。
「何によ」
「今日は雨が降ってる、ってことに」
「そんなの朝からわかってたでしょ」
「じゃあそっちですか」
彼は視線を持ち上げる。そして私の頭上を指差した。
「雨の日は傘を差したほうがいい、ってことに」
私はビニール傘を差していた。腰にではなく、頭上に開いて。
今日も小雨だった。
風もなく、雨粒も細く、静かに降っている。この雨脚ならいつもの私だったら傘なんて差していないだろう。
それでも今日は差していた。そして、彼を待っていた。
「そっちじゃないよ。私が気付いたのは」
傘の柄をぎゅっと握る。自分の役割を誇るように、透明なビニール傘は私に降りかかる雨粒を防いでくれている。
「お礼を言ってなかったな、って思って」
「お礼?」
「そう、感謝の気持ち」
雨の向こうに彼がいる。
その雨音をかいくぐるように私は感謝を告げた。
「ありがとう。いつも私に傘を差してくれて」
気が付いたのは昨日の別れ際だ。
薄闇の中で黒いジャケットではわかりにくかったが、彼の左肩は濡れていた。私に傘を寄せた分、はみ出てしまったのだろう。
私が晴れている間、彼には雨が降っていた。
君の空も晴れてほしい。自分でそう言っておきながら、彼の空を雨にしていたのは私だった。
「でももう大丈夫だから。ほら傘もあるし」
私はくるりと傘を一回転させる。水滴がいくつか舞った。
雨音が聞こえる。今日も雨だ。世界のどこかでは晴れてるのかもしれない。
でも私は、今ここを晴れさせたいのだ。
「ありがとうね」
もう一度お礼を言う。
彼と話しているのは楽しかった。名前も知らない彼との時間が好きになっていた。ずっと私のものにしちゃいたいくらい。
けれど、それは彼の空を曇らせる。雨を降らせる。
……そんなの続けちゃ、駄目でしょ。
私がいくら願っても、彼の空が晴れることはないのかもしれない。
彼はこれからも私のように雨が降りかかる人の隣に立って、その雨を半分だけ引き受け続ける『誰か』になるのかもしれない。
でも、それなら私は傘を差そう。自分の手で、自分の傘を。
優しい彼がもう私の隣に立ってくれなくなるとしても、ちゃんと伝えなきゃ。
君のおかげで。
「私の空は晴れたよ。平和だ」
信号が青になる。進んでいい、と許される。
それぞれの道を進みなさい、と言われている気がした。
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