第24話 言えない理由と、それから。


 「あの、森さ…」

「正直に言って。聞いてたよね」


室外機や段ボールで乱雑とした、薄暗い店の裏側。

瑞帆は腕を掴まれたまま、深刻な面持ちの梨沙子と向かい合っていた。


「はい…でも盗み聞きするつもりはなかったんです。すみません」

「やっぱり。あ、でも責めようってんじゃないんだよ。私の方こそ強引に引っ張ってきちゃってごめん…あそこで悟くんに気づかれたらヤバいと思ったから」

「そうですね。俺は嫌われてるみたいですし」

「それはまあ、いろいろと面白くないんだよ悟くんも。……で、お願いなんだけどさ。さっき聞いたこと、誰にも言わないでくれないかな。特にその…萌咲ちゃんには」


梨沙子はそう言って、後ろめたそうに目を伏せた。

言われなくても、とても萌咲には伝えられない。

けれどここにいる自分ヒロとしては、「はいわかりました」でこの場を済ませるわけにもいかなかった。


「萌咲には言いません。それは約束します」

「よかった…ありがとう」

「でも、代わりに教えてください。森さんと悟くんは、一体どういう関係なんですか」


変な探り合いは得意じゃない。ならば、いっそのこと単刀直入に訊いてしまえ。

大丈夫。水川ヒロ今の自分なら、多少強引にもなれる。瑞帆はそう自分に言い聞かせる。

梨沙子の視線が泳いだ。


「別にどういう関係でもないよ。ただのバイト仲間?普通に友達?それだけ」

「本当に?ただの友達がするような話には聞こえませんでしたけど」

「それは…悟くんと萌咲ちゃんのことで私に少し思うところがあって、さっきは少し出しゃばりすぎちゃっただけというか…」

のことをそんなに気にしますか」

「…どういうこと?」


淡々とした言葉の応酬が、緊張感を高めていく。

梨沙子は顔を曇らせ、瑞帆の腕を掴む手に力を込めた。


「もしかして水川くんは、私が悟くんに気があるんじゃないかって…そう思ってるの?」

「はい。率直に言えば」

「…まあそう思われても仕方ないよね。でも、それは誤解。確かにさっき悟くんには色々言いすぎちゃったけど、それは私が悟くんに気があるからとかそんなんじゃない。絶対に」

「ならどうして、悟くんに萌咲のことを悪く言ったんですか」

「確かにそれは、自分でも酷かったと思う。反省するよ…でも理由は言えない、かな。ごめん」

「…萌咲と森さんとの間に、何かあったんですか」

「そういうんじゃないよ。ただ、水川くんが知らないかもしれない萌咲ちゃんと悟くんのことを、私が勝手に言うわけにはいかないかなって。それだけ」

「俺が知らないこと?それってどんな……」

「だから言えないよ。私も偶然知っちゃっただけだし」

「でも……」

「ねえ。やっぱり水川くんは、萌咲ちゃんのことが好きなんじゃないの?」


突然、梨沙子が目を細めて瑞帆の顔をのぞき込んできた。

想定外な梨沙子の言動に、またペースを乱されてしまう。


「な、なんで急にそんなこと」

「だって、のことをそんなに気にするかな?」


見事な意趣返しだった。

梨沙子はそのまま、畳み掛けるように喋り続ける。


「ただの幼馴染なんて言って、本当は萌咲ちゃんのことが好きでここまで追いかけてきたとか。けど今の萌咲ちゃんには悟くんがいるうえに、水川くんの気持ちには全く気付いていない。なんてことだ、邪魔者を追いやって萌咲を手に入れるためにはどうすればいい?そうだ、森と悟がくっついてくれたら万事解決じゃないか!……なーんて、思ってたりして」

「ちょっと待ってください!何ですかそれ」

「違うの?ありそうな話だと思うけど」

「全然違います!」


声を大きくして、瑞帆は答えた。


「俺は萌咲のことを好きじゃないですし、森さんと悟くんがくっつけばいい、なんてことも微塵も思っていないです」


そう、微塵も思っていない。と言うより、悟と梨沙子の距離が近づくなんてことになったらとしては最悪だ。

だが、そんな事情はもちろん言えない。その分、必死さが表情と口調に露骨に出てしまう。

するとそれをどう受け止めたのか、梨沙子の目が、口元が少し緩んだ。


「……わかった、信じるよ。でもそしたらさ、私のことも信じてくれないかな。私も、悟くんのことは好きじゃない。それにもう、萌咲ちゃんのことを悪く言ったりもしない。絶対に」


そして梨沙子はずっと掴んだままだった瑞帆の腕を、強く自分の方に引き寄せた。

一気に近づく距離。

梨沙子の長い睫毛の下で、少し潤んだ目が力強い存在感を放っている。

……だめだ。この目を見ていると、どうにも苦しくなってしまう。

本当に、この人はどうしてそこまで。

どうして―――


「……どうしてそんなに、必死に…僕に信じてほしいって、言うんですか」


梨沙子の熱量に当てられ、自然と零れ落ちた言葉。

すぐに、しまった、と思った。これではいつものそのものだ。しかし出てしまった言葉は、もう引っ込みがつかない。

咄嗟に紅亜の姿が浮かんだ。『そんなの私のヒロじゃない』と、幻滅し憤る紅亜の姿が。


けれど梨沙子は、そんな焦り戸惑う瑞帆の姿に、頬を緩ませた。


「なんだ、水川くんもそんな顔するんだ。しかも“僕”って…ちょっと意外。でも、そういうのも好きだよ」

「な…からかわないでください。今のは少しその、間違えただけなんで」

「間違えたって何を?うわ、水川くん顔真っ赤」


梨沙子が声をあげて笑った。さっきまでの緊張感が嘘みたいな、屈託のない明るい笑い声。


「そ、そんなに笑わないでくださいよ…!」

「ごめんごめん、なんだか水川くんが可愛くて」

「かわっ…!?か、可愛くなんかないですそんなことより質問に答えてください!」

「質問…ああ、なんで私がそんなに必死なのかって。本当にわからない?」

「……僕が萌咲にバラすかもしれないから、とかですか」

「えぇー。全然違う。もうね、全っ然違うよ」


そして、梨沙子はまた思い切り笑った。何かが吹っ切れたかのように。


「あのね、私が必死だったのは、水川くんに誤解されたくなかったからだよ。それに『嫌われたらどうしよう』って、そればっかり考えてたから。ねぇ、本当に想像もつかなかった?」


……ひとしきり泣いた後のような、ぎこちない、けれどどこかすっきりとした笑顔。

それを見たら、上手くごまかされてしまったのかも、なんて考えは、瑞帆の頭から一瞬のうちに消えてしまった。


「で、どうなの?私のこと…信じてくれる?」


瑞帆は、黙って頷いた。

まともに声が出せなかった。


「良かった!じゃあ私、先に戻ってるね。2人一緒だと悟くんに怪しまれちゃうから」


そう言って、梨沙子はそそくさと店に戻って行った。

何事もなかったかのような、あっけらかんとした様子で。けれど、少しわざとらしくも見えた。



1人残される瑞帆。

そのことに、どこか安心している自分がいた。


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恋愛探偵は堕とされない。 @Tsuduki-S

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