1-2、いきなり喋ったと思ったら、何を言うのですか!

 少年の名はヴァレト。彼は平民であるため、姓は無い。現在7歳の彼は、生まれてこの方、行商人の両親と共に、馬車で町々を渡り歩く生活をしてきた。

 これまでもそのように生活しており、これからもそのように生きていく。漠然と、ヴァレトはそう考えていた。しかし、それは、砂上の楼閣であるかのようにアッサリと崩れ、消え去った。

 魔物の群れに襲われ、両親は亡くなり、馬車も破壊され、商品もすべてダメになってしまった。彼は一日にして天涯孤独の無一文となった。


 しかし、捨てる神あれば拾う神あり。王都へ向かう途中であったルキオニス侯爵家の私兵により彼は救われ、侯爵の一人娘である”マテリモーニア・レギア・ルキオニス”に拾われたのである。



「ヴァレト! 街へ行きましょう!」

 絹糸のような金髪を翻したマテリお嬢様は、窓ふきに悪戦苦闘していたヴァレトに無茶振りをする。

 彼は、言葉が出ないため、身振り手振りで、"自分は窓ふき中である"ことを、必死にお嬢様へと伝える。

「さぁ! 早く早く!」

 が、お嬢様は、そんなことに構ってはくれない。


 ヴァレトがマテリに拾われ、早くも3か月ほどが経った。 

 お嬢様の"従者"として侯爵家においてもらっている彼だが、お嬢様とは異性であるため、着替えや身だしなみの手伝いはできない。そのため、将来はお嬢様の"専属執事"となるべく、掃除や給仕、お茶の入れ方、果ては護衛としての格闘術まで、様々なことを働きながら学んでいる最中だ。いわゆる"OJT"というやつである。


 彼は魔物に襲われたショックで言葉を失ってしまっていたが、生来真面目であることと、侯爵家の使用人たちも彼を気にかけてくれていたこともあり、彼は充実した毎日を過ごしていた。それこそ、両親のことを思い出す暇もないほどに……。

 なお、彼は事件後、失語してしまったため、"自分の名がヴァレトである"と侯爵家の面々に理解いただくのに小一時間以上を要したことを、ここに記しておく。



(お嬢様、また、お勉強から逃げてきたのかな……?)

 マテリは、たびたびヴァレトを誘い、お忍びで街へ繰り出す。これも彼女なりの気遣いなのであろうが、勉強から逃亡する"口実"の半々といったところだ。


「お嬢様をお待たせしちゃいけないよ」

 窓ふきの続きをお願いしたメイドの女性に頭を下げつつ、ヴァレトは急いで平服に着替え、屋敷の厨房にある"裏口"へと向かった。

 使用人用の出入り口である"裏口"。その扉の外にある生垣の隙間に、マテリは隠れていた。ここに隠れるのは、彼女がお忍びで街に出る場合の定番である。


「やっと来ましたね。遅いですよ!」

 マテリが両手を腰にあて、仁王立ちのポーズで告げる。その服装は、いつもの金糸をあしらったドレスに比べて質素ではある。が、上質な生地で仕立てられたワンピースは、とても平民とは言えない服装であった。最も、ヴァレト自身も侯爵家から衣服を買い与えられているため、同様ではあるのだが。


「さぁ! 早くいきますよ!」

 マテリに手を引かれ、侯爵邸敷地から飛び出す二人。

 ヴァレトはマテリに引かれている手の感触に、恥ずかしいような、胸が苦しいような、なんとも言えない気持ちで、吊り上がりそうになる口角をもにょもにょと押さえこんで、マテリの後をついていく。



 石畳の路地を抜け、商店や屋台が立ち並ぶ大通りに飛び出す。そこでは、売る者と買う者、多くの人たちが行き交い、にぎやかな街の喧騒を作り上げていた。

 ヴァレトもあちこちの町に行ったことはあったが、これほど大きく、たくさんの人たちがいる所は見たことが無かった。

「ヴァレトはまだお給金をもらっていないでしょう? ここは私がご馳走してあげます!」

 マテリは胸を張り、屋台のおじさんに銀貨を渡す。

「二つください!」

「はいよ!」

 威勢の良い屋台のおじさんから、葉に包まれた"干物"を2つ受け取ったマテリは、その一つをヴァレトに渡し、そして、お釣りを受け取るのも忘れて、駆けて行く。


 商店の並ぶ大通りを少し進むと、中央に石像の立つ広場がある。ここは"建国王の広場"と言い、中央の石像は建国の王その人である。これは、ヴァレトが、マテリの"お忍び"に初めて同道した際に、教えられたことである。

 その石像が立つ台座に2人は腰かけ、干物を頬張る。少し硬い身を噛むと、甘い味が口に広がる。乾燥しており見た目は悪いが、果物を干して甘さを増したこの食べ物は、王都でも人気の甘味である。


 その後、2人は王都の高台にある公園へ向かう。高台に並んで立ち、王都を一望できるその景色を眺める。やや日が陰り、白亜の王城は少しずつ影を濃くしていく。それがさらに白さを引き立て、王城の美しさを際立たせている。

 マテリには"元やんちゃ"な兄がおり、彼女は兄に連れられ、初めてここを訪れた。その時から、この高台の景色が好きだった。だから、いつもヴァレトを連れてくる。大変な目にあったヴァレトにも、楽しいもの、綺麗なものを見せたかったのだ。自分の好きなものを、彼にも見て、できれば気に入ってほしい……。


「王都には、まだまだ美味しいお菓子のお店があります! 連れて行ってあげますね!」

 マテリは振り返り、ヴァレトを見る。彼はマテリの言葉に、少女と見紛うほど、美しい笑顔を向けた。マテリは一瞬その笑顔に見惚れ、急に恥ずかしさを感じて目を逸らした。


 このまま時が経てば更に日が落ち、夕日が王城を染める。その景色は、恋人たちの定番スポットであるのだが、まだ7歳の2人は、そんな時間までここにいることはできない。

「お嬢様、いい雰囲気のところ申し訳ないが、そろそろお帰り頂かないと、俺が旦那様に折檻されちまう」

「て、テガト! 何を言うの!?」

 いつの間にか、2人の背後に立っていたテガト・ロニッサ。彼は、侯爵家の騎士団団員であり、マテリの専属護衛である。同時に、ヴァレトの格闘の師匠でもある。

 当然だが、"お忍び"とはいえ、侯爵令嬢が護衛もなしに、街を散策することはできない。テガトは2人に気づかれないように、彼らを尾行し護衛していたのだ。


「で、では、ヴァレト、帰りましょうか!」

 マテリは踵を返し、侯爵邸に向け歩き出そうとしたところを、テガトが止める。彼は小声でマテリに述べる。

「あと、お嬢様。ちゃんとお釣りは受け取ってもらわねぇと。こんな大金、屋台のおっちゃんが困っちまいます」

 テガトはこっそりとマテリに銀貨を返す。いくら甘味とはいえ、銀貨は払いすぎであり、その上お釣りも受け取り忘れていたのである。商人にとってはいい迷惑である。

「あ、ありがとう! た、助かりました!!」

 毅然とした態度でそれを受け取り、マテリはヴァレトの手を握り、侯爵邸への帰路へとついた。



****************



 その夜。ルキオニス侯爵邸に少女の悲鳴が響き渡った。

「きゃぁぁぁぁぁぁ!!」

 マテリの寝室近くに自室をあてがわれていたヴァレトは、まだまだ使い慣れない剣を帯び、マテリの寝室へ飛び込んだ。


 彼の目に飛び込んできたものは、二人の少女が手を取り合い、向かい合っている姿だった。

 片や金糸のような髪を腰まで伸ばし、白いレースをあしらったネグリジェのマテリ。

 片や白銀の髪を持ち、背中が大きく開いた白いドレスを纏った少女。その背には、白く輝く翼をもつ。


「あ、ヴァレト……」

 マテリに声をかけられたことに気が付かないほど、彼は見惚れていた。その、神々しくも美しい少女たちの姿に……。


「きれい……です、おじょう、さま」

 途切れ途切れで、擦れながらも、ヴァレトはのどから声を絞り出した。 


「い、いきなり喋ったと思ったら、な、何を言うのですか!!」

 マテリは白磁のような肌を、朱に染めた。




+++++++++++++++++

<次回予告>


「"何を"と言われましても、僕は素朴に"綺麗"と思った感想を率直に述べさせていただいただけで」

「急にものすごく喋りだした!!」

「お嬢様は初めてお会いした時からまるで"女神様"のようにお美しいと思っていましたし、今でも毎日、朝お目にかかるたびに"女神様かな?"と感じておりましたので、今回天使様とご一緒されている姿を拝見し、改めて、とてもお美しいことを実感した次第で──」

「も、もういいです、もうやめてくださいまし///」


 次回:ヴァレトは天然ジゴロ


 (これは嘘予告です)

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