第34話 罪

「何を笑う」


 冷気を帯びた彼女の瞳。だが顔を上げて俺を見ると、静かに息を飲んだ。


「虎帯ちゃん。俺の自由意志なんかどうだっていい。神の御告げを聞いて、それを実行しようとしているだけだから。それは俺にとって大切なことだ。俺は虎帯ちゃんのために死ぬよ」


 どうにも頬が緩む。緊張も不安もなく、古くからの友人との談笑、その延長だからか、彼女の真剣な面持ちですら嬉しくなる。


「参加させてくれ」


 虎帯ちゃんは一筋だけ涙を流した。そして立ち上がる。すぐさまベッドへと大股で歩き、飛び込んだ。


「ど、どうしたの?」


 うつ伏せになったまましっしとどこかへ行けのジェスチャーをした。


「寝る。週末、また来い」


 それだけ言うとすぐに大げさなほどの寝息が聞こえてきた。やはり暴れただけのことはあって、俺の答えを聞いて安心したのだろう。寝ているところなんて当然初めて見たのだが、できれば仰向けでいて欲しかった。その寝顔を拝謁したい欲求に駆り立てられながら、小さく失礼しますと挨拶して部屋をでる。

 玄関で石畳さんが待っていた。


「そろそろかと思いまして」

「覗いていました?」


 邪推してしまうほどタイミングが良かった。


「まさか。この歳になっても命は惜しい。お嬢様は加減をあまり知りませんから」


 同意だ。彼女の部屋を覗くなど命がいくつあっても足りないだろう。覗いてもいいことなんてないだろうし、うっかり写真の一枚でも見てしまえば激しく後悔すること間違いない。


「ご自宅までお送りしますよ」

「ああ、学校に行ってください」


 俺のすべきことは済んだ。まだ昼前だし、午後の訓練は受けられる。


「素晴らしい。お嬢様があなたを気にいるのも頷けます」

「虎帯ちゃんが?」


 ここにきた時と同じシルバーの軽自動車がなめらかに発進する。少しもストレスを感じさせない走りを見ると、パイロットと軍人は潰しの全くきかない職ではないのだと希望のような感情が湧いた。


「お気づきになられていませんでしたか? 失敬。忘れてください」

「いや、忘れられませんよ。それ、誰から聞いたんですか」


 誤解があっては困る。俺だけでなく、彼女にまで迷惑が及ぶかもしれないのだから。


「いや、年寄りの独り言ですから」

「虎帯ちゃんが俺を気にいるだなんて。そんな」

『あるわけないだろ。何発ぶん殴られたと思っていやがる』


 その通り。


「あるはずないですよ」

「え?」


 石畳は素っ頓狂な声で、多少ハンドルがぶれた。わずかに車体が揺さぶられたが、それも一瞬で、その後はスムーズに車は進む。


「友人ではありますけど、特別に気に入られているわけではありませんよ、多分」


 そうじゃなければあれほど暴力に訴えたりはしないはずだ。俺は虎帯ちゃんも東風もコノミコも好きだから、ぶったことは一度もない。東風と喧嘩した時も、俺は手どころか口すら出せなかった。


『それは負けているってことじゃないか』


 喧嘩の理由は忘れたが、とにかく言いくるめられて、ビンタされたことは覚えている。あれは痛かった。


「ただの、友人ですか」


 石畳は繰り返す。そうですと言い切ると、バックミラーに写る彼は珍しく眉間にシワをよせた。


「お嬢様は苦労なさるでしょうね」

「俺ができる範囲で助けます」

『なんか食い違っている気がするな。まあいいけど』


 石畳は「罪な人だ」と意味深な言葉を発し、運転に集中した。

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