幼い神さま
第32話 日記の外の彼
約束の日、玄関先で石畳さんが待っていた。真っ黒なリムジンではなく、シルバーの普段使いの乗用車だったが、彼はきっちりとスーツを着ている。
「あ、太助じゃねえか。まだ運転手なんかしてんのか」
祖父の国主は彼を見るなりそう言った。この人、太助って名前なのか。
「ええ。おかげさまで」
微笑みながらお辞儀すると、助手席の扉を開けてくれた。
「井伊先生には連絡を入れてあります。さ、お乗りください」
「なんだ、お前サボりかよ」
「そうみたい。いってきます」
じいちゃんは笑って手を振ってくれた。彼は学校やらなにやらにあまり頓着しない。
車は大通りを進み、会津の中心部から離れていく。どうやらあの時の別荘に向かっているようだ。
「国主とは友人なのですよ」
彼は柔らかく昔を懐かしむ。追い越しのためにアクセルを踏んだ。
「私も少しの間、騎手をしていまして、彼には随分と世話になった」
「そうだったんですか」
「ええ。面倒をかけたり、助けたり。色々……色々ありました」
その中には俺の両親のことも含まれているのだろう。懐古の輝きの中にも翳りがあった。
「どんな人ですか? 俺の祖父は」
すれ違う車もなくなり、まっすぐな、若松家に向かうためだけの道に入った。ややアクセルを踏み込み、流れる木々が緑色の線となって過ぎていく。
「素晴らしい人格の持ち主ですよ。それに面倒見がいい。そして愉快だ。嘘かと思われるでしょうが、工場が襲われときでも、彼はたった一人の当直室で工具を磨いていたほどです」
「初耳です」
俺からしても、時代を考慮しても、どんな条件を積み重ねたとしても立派な変人だ。
「そうでしょうね。これを言ってしまうと、あなたは怒るかもしれませんが、氷澄の一族はそういう傾向にあるらしい。あなたのお父さんも、不思議な噂が絶えない人だった」
「怒るだなんて。話が聞けて嬉しいです」
石畳さんはバックミラーに微笑んだ。伝聞もありますが。と、父のことをいくつか教えてくれた。
愛煙家だったこと。母の気をひくため意味もなく友人を殴ったこと。亀でレースをすることを好んだこと。
他愛もない話の中には気味の悪いほどぶっ飛んだものもあったが、父を日記以外で知ることができたのは嬉しかった。祖父はそうしたことを話してくれたことはなかった。車内は思い出の花が満開になり、あっという間に目的地へと着いてしまった。
門の扉が開くと、石畳さんは俺を玄関の前で降ろした。
「お嬢様がお待ちです。それはもう、この三日間、寝付けないほどに」
これから何があるかを彼は知っているのだろうか。俺が彼女の計画に参加することで生じる出来事を知っているのだろうか。
もし悪いことが起きるとして、それでもこの笑みを続けているのならば、石畳さんは相当なパイロットだったに違いない。今でも通用するほどの精神性だ。
メイドに案内され、前回同様、虎帯ちゃんの部屋に通される。
ノックをすると「入れ」と声がする。緊張する彼女など想像できないが、その声だけは固く強張っていた。
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