第85話 国家と個人

蜀、東部森林地帯、劉の屋敷

 劉は自室で軍への復帰準備を進めていると、そこへ人の気配がやってくる。


「貴方が戻ったところで、結果は変わりませんよ。」

「先生・・・」


 次の戦は劉が戻ったところで戦局が変わるものではない。それは本人が一番よく理解していた。


「俺は先生と森の精霊のおかげでここまでの地位を手に入れた。この恩は一生かかっても返せない。だが、その過程で国に必要とされてしまった。最早、劉という人間は俺の一存では動かせないのだ。」


 現在、国のために木人戦の英雄「劉」が軍へ復帰するという噂が蜀の民の間で広まっており、全ての城塞都市では噂を聞いた民から英雄の元で戦うことを希望する者が続出している状況にある。劉には戻らないという選択肢はない。


「先生、森を、森の精霊を頼みます。」


 劉の硬い意志にパラスは返す言葉が無い。


「私ハ、貴方ヲ全力デ支エル、森ハ貴方ヲ助ケル・・・」

「居たのか。」


 いつの間にか劉の自室には森の精霊も居て、どうやら最初から話を聞いていたらしい。


「軍への回答期限は2日後だ。それまでは戦時中の計画を立てておこう。」

「貴方がいなくなると計画に大きな遅れが出てしまいます・・・」

「大半は先生が計画したのですよ。」

「一番働イテイルノハアナタ。」


 劉は苦笑いしながらパラスに答え、3人は自由に会える残り僅かな時間を大切に過ごそうとしていた・・・しかし、それは突然やってきた。


ドドドドドドドドド


 遠くから何かを叩く音が聞こえ、屋敷の窓が揺れはじめる・・・


「日本軍のヘリコプターだな。」

「こんなところを飛行するなんて珍しいですね。」


 木人との戦争に日本国が介入して以来、蜀の空を飛行するヘリコプターに多くの人間は違和感を持たなくなっていた。「いつもどおり、西の何処かへ飛んでいくのだろう」そう思って劉が窓の外を見ると、数機のヘリが屋敷の周囲でホバリングしはじめる。そして、機体に蜀の国旗が描かれていることに気づく。


「あれは日本軍ではない! 」


 劉の声でパラスと森の精霊に緊張が走るが、既に手遅れだった。6機のUH-60は屋敷を囲む状態でホバリングし、上空に魔法陣を描く。


「何だ、あの魔法陣は! 」


 その魔法陣はパラスですら見たことのないものであった。そして、魔法陣が完成すると同時に森の精霊が床に倒れこむ。


「どうした! 」

「身体ガ、ウゴカ、ナイ・・・」

「先生、精霊を頼みます。」


 劉は森の精霊をパラスに任せて部屋を出て行く。屋敷の庭には7機目のヘリが着陸し、中から護衛に守られた集団が下りてきたのを確認したためである。


「お館様! 」

「取り乱すでない! 俺の客人だ、応接室へ案内するように。」


 取り乱す館の使用人を落ち着かせながら、劉は最悪の状況を考えた。



屋敷の応接室

 一通りの混乱がおさまって劉達の目の前に現れたのは、見たことのない蜀の軍人達と日本国と倭国の外交官だった。


「全ての責任は俺にある。この2人の命だけは・・・」


 劉は目の前にいる人物達に、パラスと森の精霊を見逃すよう訴える。パラスと森の精霊は劉が時間稼ぎをしている間に屋敷を逃げ出そうとしたが、パラスに動けなくなった精霊を素早く運ぶことはできず、2人とも捕まっていた。


「将軍、貴方は何か勘違いしている。私は貴方の返答を聞きに来ただけなのです。森の精霊には興味ありません・・・あぁ申し遅れました、名は明かせませんが私はトウテツを率いている者です。」


 部隊の指揮官と思しき狐人は衝撃の事実を告げる。


「トウテツ! 実在していたとは。」


 劉達は黒装束に身を隠し、顔に仮面を被った異様な集団に囲まれていたが、軍で暗部と呼ばれる者達であることが判明して更に警戒する。


「これほどの事をしておきながら俺の返答を聞きに来ただけだと? いや、先ずはこの結界を解いてもらいたい。森の精霊は十分弱っているはずだ。」


 劉は森の精霊に対して興味を示さないトウテツに理由を聞く。


「はい、貴方の返答を聞ければ「私は」十分です。直ぐにでも対精霊用結界を弱めましょう。」


 上空で結界を張っていたヘリは着陸し、現在は屋敷にも結界が張られていた。劉は軍へ戻ることを確約して、トウテツは結界を弱める。


「後は、このお二方がお話されたいようです。」


 トウテツのリーダーは日本人と倭国人の外交官にその場を譲る。


「はじめまして、私は日本国外務省所属、佐藤大輔です。」

「お初にお目にかかる、私は倭国外務局外交官センジュウロウと申す。」

「日本国と倭国が一体、俺に何の用があるのだ? 」


 挨拶もそこそこに、劉は本題に入った。


「日本国としましては、東の森の精霊様に用がありまして来た次第です。」


 佐藤の言葉に劉とパラスは驚愕する。日本人へは森の精霊の話をしたことはあるが、東の精霊の情報は一切話していない。トウテツの動きからしても東の精霊は既に知れ渡っていることが予想できた。


「何時から、俺達の事を・・・」

「我々は貴方が将軍になった時に把握しました。今まで気づいていなかったとでも? 」

「まさか、この結界も! 」

「この結界は対精霊用に開発された極秘兵器です。100年前には完成していたものですが、当時はまだ木人の勢力が強くて効果的な運用ができなかったのですよ。」


 驚愕する劉とパラスにトウテツリーダーが答える。対精霊結界は白狼族が敵である森の精霊用に長い年月をかけて開発したものであり、その技術には倭国の結界技術も取り入れられたものとなっている。

 国は劉の事も東の精霊の事も把握している上で泳がせていた。この判断を下したのは皇帝自らであり、この情報を知る極一部の者達は3人を継続して監視していたのである。

 劉やパラスは気が付かなかったが、瘴気内各国は国内の問題を国際協調のもとで解決をはかっていたのだ。


「私ニ、何ノ用・・・」


 劉とパラスに囲まれる形で座っている東の精霊は佐藤に問う。


「実は、折り入ってお願いがあるのです。近い将来、パンガイア連合軍が瘴気内各国へ侵攻してきます。この事態に瘴気内では瘴気内連合軍を組織して対抗する予定です。精霊様には瘴気内連合軍の一員として参加していただきたい。」


「なっ、何を言っているんだ貴方は! 精霊はそう言った存在ではない。」


 精霊の専門家であるパラスは、佐藤の荒唐無稽な話に精霊の何たるかを説明する。


「私ハ、協力シマス。森デノ加護ナラ行エマス・・・」


 パラスの話を遮るように東の精霊は協力する旨の回答を行う。森の精霊はいてはならない存在であり、一般の民にも広まれば東部森林地帯ごと消される可能性がある。何より、東の精霊は劉の名声が地に落ちるのは嫌だった。ただ、それとは別に、日本国が西の精霊にしたことを見てしまった東の精霊は、日本国に対して恐怖を抱いていた。


「精霊の加護ですか、東部森林地帯にいる間は身体、魔力共に少しずつ回復、毒のある植物や動物、虫から身を守れる、薬草や食料を見つけやすくする・・・これを万単位の兵士に対しても行えるのは素晴らしい能力ですが、私どもには必要ありません。精霊様には戦闘に参加していただきたい。」


「アッ・・・」

「お前っ! 」


 話を聞いたパラスは佐藤にとびかかろうとして劉に抑え込まれる。そして、一部の人間に加担する行為を求められて固まる東の精霊を見て、佐藤は地図を取り出す。


「これは飽くまでも協力依頼です。勿論、断ってもかまいません。ですが、その場合は我が国と蜀、両国で東部森林地帯の大規模開発を行うことになります。」


 佐藤が取り出したのはパンガイア連合軍の侵攻に備えて整備が予定されている大規模要塞の計画図だった。司令部、兵器格納庫、飛行場、レーダー、通信基地、ミサイル陣地、それらを動かすインフラ、東部森林地帯の4割が消滅する規模の開発である。


「ア、アァ・・・」


「計画は間もなく実行されます。しかし、精霊様の回答次第で直ぐにでも白紙撤回可能です。」


 重苦しい空気が部屋中を充満する中、東の精霊は決断する。


「ワカリマシタ、私ハ貴方方ト共ニ戦イ、マス・・・」


 東の精霊が参戦を決定したことに佐藤は安堵する。彼は何としてでも精霊に参戦してほしいと思っていた。だが、佐藤の協力依頼は続く。


「精霊様の判断に感謝いたします。つきましてはパラス教授にもお願いしたいことがあります。精霊の専門家として東の精霊様をサポートしてほしいのです。」


 佐藤の依頼はパラスにとって「祖国を相手に戦え」というのと同義であった。


「断る! 」


「それはとても残念です。」


 即答するパラスにわざとらしく答える佐藤。そして、今まで喋らなかったセンジュウロウが唐突に口を開く。


「貴方の奥様は戦争が始まる前に小龍を使用した方法で瘴気を抜けて国に帰るそうですね。」


!!


 センジュウロウの話を聞いてパラスは全身の血の気が引く。


「小龍を使った瘴気の通過方法は古くから行われているが、完全なものではない。「事故」が起きないとは限らないのです。」


「貴様等! 」


 飛びかかろうとするパラスを劉は無言で押さえる。劉は既に抵抗することも逃げることも出来ないと判断していた。3人は屋敷が包囲される遥か以前に詰んでいたのだ。


「貴方の協力次第で「事故」の確率は減らせるかもしれません。」


 パラスは怒りの中でセシリアとの会話を思い出す。「国が私たちを放置するとでも思っているの? 戦争の道具にされるわ」妻は正しかった。パラスは拒否権のない選択肢を提示され、妻の命を選択する。




 白城に新しくできた日本国の大使館で佐藤とセンジュウロウは報告書を作成していた。


「精霊の協力を得られたし、これで要塞建設の労力を他に回せる、なっ! 」


 佐藤は完成した報告書の束を壁に投げつける。


「このようなことは2度と経験したくはありませんな。」


 仕事は達成できた。しかし、2人は達成感ではなく罪悪感に苛まれていた。

 当初、国からの指示は精霊の協力を得て要塞の開発を成功させろと言うものだった。しかし、蜀の歴史と劉、パラス、東の精霊の関係を知っていた佐藤は東部森林地帯の大規模開発が悪手であることを見抜く。

 要塞建設は名も無き組織の介入もあって恐るべき速度で計画が決定され、佐藤が動くころには資材が日本から到着し始めていた。佐藤には計画を変更させたくても根拠が無く、頼れる人間もセンジュウロウ他、数人しかいなかった。

 時を同じくしてセンジュウロウも上からの指示で要塞開発のサポートを行うこととなっていた。佐藤からの相談にセンジュウロウは周囲のコネを最大限使って情報収集を行い、2人は国と劉、パラス、東の精霊を説得させる強硬な材料を見つけた結果が、今回の脅迫にも似た協力依頼だった。


「要塞建設は精霊を殺すことになる。だが、戦争に参加せるのならば同じことなのかもしれない・・・」

「大輔殿、それは違います。森は残り、3人は分かれることなく瘴気内連合軍の一員となったのです。あの3人ならば戦を生き抜くことでしょう。」


 自分の行った行為に自信を持てない佐藤に、センジュウロウは自身の見解を述べる。


「私達は恨まれているだろうな。」

「長寿種の2人は永遠に恨むでしょう。しかし、希望は残せた。我らにできることはこれが限界でしょうな。」


 国家の前に個人の力など無いに等しい。だが、微量でも力を持つ者は自身や仲間のために抗い続ける。その結果がどうなるかは神にも予想はつかない。

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