第9話 藤森あやめは農家になる①

 藤森あやめという人物は非常に優れた能力を持っている。

 そしてその実力は彼女が自分で目標を立て、それを達成しようとするときに遺憾無く発揮される。

 例えばずっと好きだった幼馴染と結婚したいと思い、完璧な妻になるべく花嫁修行を自主的にしている時。

 例えば会社が倒産し、収穫間際の広大な農園とともにいきなり路頭に放り出され、それをなんとかすると決めた時。


 彼女はやると決めたらとことんやる人間で、凄まじい成果をあげる。

 野菜を、売る。そう決意をしたあやめは真っ先に友人であり、奏太に振られた時に慰めてもらった三島梨花に電話をした。


「みっちゃん、久しぶり!」


「あやめ、久しぶりー。急にどうしたの?


「いや実は今、農業やってて」


「は?」


「で、販路を探しているところなんだけど、グルメ雑誌編集者のみっちゃんの力をぜひ借りたいんだよね。ほら、有機野菜を作っている若手農家の取材とか、いい話題になりそうじゃない?ぜひ、取材に来てくれないかな!」


「いやちょっと待って、情報量が多すぎて頭が追いつかないんだけど」


「耳ざといみっちゃんの事だからアジーレが倒産したのは知ってるよね?」


「そりゃ知ってるよ」


「だよね!私は倒産してから一ヶ月知らなかったんだけどね!まあそれはいいとして、アジーレに卸すつもりで育てていた野菜の行き場所が無くなって困っているのよ、だからぜひマスコミの力を借りて農園の名前を売ろうかなと」


「ああ、成る程ね」


 頭の回転の早いみっちゃんはあやめの大雑把な説明で大方のことを理解してくれた。持つべきものはデキる友人だ。


「いいよ、今ちょうど空いてたんだ。明日にでも取材に行くよ。場所は?」


「ありがとうー!詳しい場所は後で連絡する!」


「オッケ」


 あっという間に取材の約束を取り付けたあやめはそのままスマホのボタンを押して通話を終了する。 

 ちなみに場所は実岡宅にお邪魔したままである。実岡の家は古き良き田舎の一軒家で、無駄に広大な敷地を持っていた。二十畳はある畳敷きの広いリビングの真ん中、座卓で向き合って正座して座りこれからについて話し合う。


「藤森さん、雑誌編集者に知り合いがいたんだね」


「はい、みっちゃんはずっと昔からの友達なんです」


「でも雑誌だと取材してから発刊されるまでに結構時間がかかるよね」


「あ、みっちゃんのところはウェブサイトも担当しているからそっちに載せてもらうようにします。そうしたら即時的な効果が期待できるので」


「成る程」


「さあ、これから忙しくなりますよ!私、家も探さないといけないんです。今借りてるアパートが会社で契約しているところなんで。できれば畑の近くがいいんですけど、このあたりにいい物件ありますかね」


「て言うか、本当にここで働き続けるつもりなのかい?」


 実岡が心配するようにあやめの顔を覗き込んで来て言った。人のいい実岡の顔には戸惑いの表情が浮かんでいる。

 あやめははっきりと首を縦に振った。


「はい。道すがらに考えて決めたんです。収穫間際の野菜たちを棄て置いて、ここで東京に戻ったら私は絶対に後悔します。実岡さんが丹精込めて育てた野菜の行き場が無くなったのは、アジーレの倒産に気がつかなかった私の落ち度でもあります。本当に、せめて後一月、倒産直後に気がついていたらもっと打てる手もあったのに……!自分の不甲斐なさが悔やまれます」


「いや、藤森さんには何の落ち度もないと思うよ……」


「いいえ!今にして思えば産地偽装も本社にいる仕入れ担当や経理担当に探ればわかったことですし、社長の車だってちょっと考えれば経費で買い替えまくっていたことに気がついたはずです。私は、自分が恥ずかしい……自分の仕事以外のことにもっと興味を持てばよかったんです」


 ごく一般的な平社員は産地偽装、差額の脱税、社長の私的なカネの使い込みというトリプルコンボを見破ることなどできないだろう。しかしあやめは本気で気がつけなかったことを悔やんでいるようだった。


「……藤森さんは真面目だね」


「よく言われます。まあまずは住む家を探しませんと、本当に今まで追い出されていないのが奇跡みたいなもんです」


 あやめがそのまま不動産情報サイトを見ようとPCを立ち上げると、実岡が迷いながら声をかけて来た。


「本当にここで一緒に働いてくれるならさ」


「はい」


「ここに住むかい?」


 あやめはPCから目をあげた。提案した実岡は、自分で提案しておいて凄まじく自信のなさそうな顔をしている。


「もちろん嫌だったら嫌って言ってくれて構わない。ただ、畑も近いし部屋も余ってるし家賃もかからないから、本当にもし良かったらってくらいの感覚なんだけど。俺、家事もひと通りできるから別に藤森さんに押し付ける気は無いし、なんなら部屋だけ貸して家では全くの別行動でも構わないから、でも、嫌だったら本当に……こんなアラフォーの独身男と二人暮らしなんて嫌だよな……風呂とか一つしかないし……ごめん、忘れてくれ。キモいこと言ってごめん」


 喋るほどに自信を失っていく実岡は終いには提案を却下した。あやめは待ったをかける。


「待ってください!ここに住んでもいいんですか?」


「そりゃ勿論、藤森さんが良ければの話だけど」


「全然いいです、むしろそうさせて下さい」


 あやめは頭を下げた。実岡は日焼けした顔でそこだけ白い瞳をパチクリとさせて、恐る恐ると言った風に聞き返した。信じられない、と言いたげな顔をしている。


「え……」


「良かった、助かります!この辺り、どう見ても良さげな物件がないんで内心困っていたんですよ。今のアパートを私が借りるのもアリですけど、如何せん車で一時間は遠すぎて……ここなら畑、目の前ですからね!朝五時集合だとしてもノーストレスです、本当ありがとうございます!」


「いいのかい?」


「むしろこちらが聞きたいです。いいんですか?一緒に住んでも?」


「ああ、勿論。最初に提案したの俺だし」


 あやめは満面の笑みを浮かべた。浮き沈みの激しい一日だが、これは文句なしの笑顔だった。


「なら決まりですね、早速明日荷物を運んで来ます」


 こうして二人は共に住み、共に農業に従事することとなった。

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