第7話 藤森あやめは出向する⑥

 六月の初旬、長い梅雨の季節がやって来た。

 青々しく実った作物たちは順調に増え、一部は色がついて来ている。

 収穫の時期は近い。


「やりましたね、実岡さん!」


 藤森は手塩にかけた作物たちが順調に育っていく様を見て、我が事のように喜んだ。


「もうすぐ収穫できますよ!」


「ああ!」


 作物の育成状況を確認している実岡も満足げだ。


「過去五年の中で一番いい出来だよ。これならハウスの中に秋の収穫用の播種<はしゅ>をしてもうまくいきそうだ」


「そうしたら年中安定して収穫可能ですね!」


「レストランで使うなら、安定供給は必須だからな」


 実岡が日焼けして真っ黒な顔に満面の笑顔を浮かべる。


「藤森さんが来てくれたおかげだよ」


「私はただお手伝いをしていただけで……実岡さんの指示に従っていただけです」


「いいや。正直東京から人が来ると聞いた時には気が重かったんだけど、こんなに一緒に働いてくれるとは思わなかったよ。冗談抜きで、藤森さんがいなかったらこんなに作業がはかどらなかっただろうし、収穫量も上がらなかった」


「そんな」


「感謝してるよ、ありがとう」


 手放しで褒められてあやめは照れた。実岡さんはまっすぐな人で、こうして一緒に作業をしていると楽しい。時間を忘れて没頭できるし、ずっと一緒に仕事をしていても全く飽きない。

 あやめは畑に向き直った。もうすぐこの野菜たちが収穫の時を迎え、そしてあやめが立ち上げに関わった店へと運ばれていくのだ。ベルナルドの作るマルゲリータにここのトマトとバジルが使われたらきっと至高の一枚が出来上がるに違いない。

 ベルナルドはあやめがイタリアまで赴き、そのピッツァの味に惚れて口説き落とした料理人だった。全く日本語が喋れない彼が日本に来てくれたのは奇跡に近い。


「そうだ、農閑期になったら東京まで日帰りで行って一緒にお店でお料理を食べましょうよ」


「いいね、俺も自分が作った野菜がどんな料理になっているか興味がある」


「それから温泉にも行きたいんですよ。山登ったところにありますよね」


「うん。週末になると東京からも観光客がそこそこ来ているよ。石段が有名な温泉街でね、平日は静かだからのんびり出来る」


「わぁ、今度行ってみます」


 二人でこれからのことについて話し合う。未来は明るい。何せ社長待望の自社農園の野菜第一弾がついに出来上がったのだ、これでテンションが上がらずしていつ上がると言うのだろう。


「そういえば社長といえば」


 あやめははたと作業の手を止めた。


「最近あの追い立てるような催促がなくなったんですよ」


「いつから?」


「二ヶ月前くらいですかね。直接会いに来て、その少し後くらいからぱったりと」


「急かしても野菜が早く育つわけじゃないって気がついたんじゃないかな」


「ですかねー」


 社長からの催促は本当に不気味なほど皆無になった。前までは日々恐ろしいほどに「まだかまだか」コールがあったと言うのに、一体どうしたことだろう。


「久々に社に電話でもして、直接状況を報告しようかな」


「それがいいかもね。納品についても確認しておきたいし。どこにどういう風にどんな野菜を持っていくのか話さないと」


「そういう問題もあるんですね」


「俺、この後の畑仕事やっちゃうから藤森さんは電話お願いできるかな」


「はい」


 あやめははめていた手袋を外してスマホの画面をタップする。

 会社の代表への電話をかけ、誰かが出るのを待った。

 しかし待てども待てども、電話がつながる気配がない。


「んん?おかしいな、忙しいのかな」


 本社にはそれなりに社員がいるので誰も出ないというのはおかしいが、しかし何度かけても出る気配がなかった。


「何だろう……」


 訝しみながらもスマホをしまって仕事に戻る。


 違和感に気がついたのは仕事の後に銀行に行った時のことだった。


「あれ」


 通帳を見て首を捻る。


「お給料入ってない?」


 アジーレの給料日は十日だ。今はもう十九日である。というかよく見たら先月分から入っていない。お金を使うところがなさすぎて頓着していなかったが、ちょっとあり得ない事態だ。

 家に帰ってからPCを開いて作業進捗の報告を送る。十日前に収穫した野菜の運搬に関する相談を送っていたのだがこれに関する返信は来ていない。


「おかしいなぁ」


 少し前まですぐに連絡が来ていたし、用事もないのにやたらにメールが来ていたというのに一体これは何だというのだ。電話をしてもつながる気配がなく、メールには一切の返信がない。

 何かがおかしい。

 あやめの胸を不吉な予感が蠢いた。


「明日実岡さんに相談して、東京の本社に行ってみようかな」


 胸の内でのたうつ不安を解消したい。単純にうちのwi-fiがおかしくなっていてメールが送信できていなかったとかそんな理由ならばいいのだが。いやそれはそれでよくないけれど。


 

ーーー事態が動いたのは、翌日になってからのことだった。


「藤森さん、この記事見てくれ!」


 陽が高くなり日中の気温が上がって来たので作業は早朝から行われるようになった。朝の五時に畑へと行ったところ、血相を変えた顔で実岡が自宅から飛び出して来る。手にはタブレットが握られていた。


「どうしたんですか、そんなに慌てて?」


「いいから読んで!」


 ずいっとあやめにタブレットを押し付けて来る。あやめは画面に映った記事を何の気なしに覗き、そしてギョッとした。


「株式会社アジーレ社長、産地偽装と脱税の疑いで逮捕……!?」


 そこには信じたくないことが書き連ねてあった。


 OLに人気のイタリアンレストラン トラットリアアジーレを都内に展開する株式会社アジーレに産地偽装と脱税の疑いが出た。

 当レストランは体に優しい国産の有機野菜を使用した料理をお手頃な価格で提供している事で若い女性を中心に人気を博していたが、その野菜が実は輸入の、それも有機栽培とは程遠い大量生産された低価格、低品質のものであった可能性が出ている。

 さらにこの差額で生じた利益を申告しておらずに社長が私的に使い込んだ疑いで同社の社長に脱税の嫌疑がかけられた。

 一連の出来事の真偽を確認するために社長は現在、渋谷警察署にて取り調べを受けている最中である。

 また、同社は数年前から資金繰りが悪化していた事実があり、今回のことが事実であるなら悪評は免れないだろう。今後のレストラン経営に多大な影響を及ぼすことは必至である。

 

 そこまで読んであやめは顔を上げた。

 目があった実岡は顔面蒼白になっており、おそらくあやめも同じような表情をしているに違いない。


「この記事、二ヶ月前のものなんだ」


「二ヶ月……」


 社長からの連絡が来なくなった時期と重なっている。もしこの記事の通りに、会社が産地偽装をしており、社長が脱税をしていたとしたら。

 返信の来ないメール。繋がらない電話。

 あやめはいてもたってもいられなくなった。


「私、ちょっと今から東京に行って来ます!」


 いうが早いがあやめはローズマリー号に飛び乗りエンジンをふかした。

 農作業着であることをまるで気にせずに、法定速度ギリギリで国道を抜けて関越自動車道を駆ける。練馬ICから都内へと入ると渋滞がひどくなり、苛立ちながらも渋谷区青山にへと向かう。

 ローズマリー号を近くのコインパーキングに停めて、久々に本社が入るビルへと飛び込んだ。時刻はまだ八時、出勤しているビジネスマンの姿は無い。誰もいないエレベーターホールでエレベーターに乗り込んで、九階のボタンを押す。チーンと独特の音が鳴って扉が開いた。

 そしてアジーレの事務所のエントランスが目の前に飛び込んで来た。

 照明が落とされて真っ暗なエントランスのガラス扉に一枚の紙が貼られている。

 そこには短く、極めて簡潔な文章が書かれている。


ーーー

 告示書


 株式会社アジーレは東京地方裁判所への破産手続きの申し立てをすることが決定いたしました。

 本社の所有する物産等は全て破産管理人にの管理下に入りますので無断の持ち出しを固く禁じます。

 関係者の皆様には多大なるご迷惑をおかけいたしますこと、深くお詫び申し上げます。


ーーー


「破産……」


 足の力が抜けた。膝からガックリ崩れ落ち、その場でしばし放心する。

 なんと、知らない間に会社が倒産していた。

 そんなことってある?普通、事前に連絡くらいくるものじゃ無いの?

 しかし薄々答えはわかっていた。ゴタゴタしすぎていて、田舎にいるあやめに連絡をしようなんて思いつく人間がいなかったんだろう。悲しいことだけれど……。


 けれどもこの張り紙を見ただけでは諦めがつかない。

 あやめは渋る足を叱咤して立ち上がらせ、車へと取って返し、会社が手がけていた店を見て回った。

 表参道にある本店から始まり、代官山、中目黒、恵比寿、品川、日比谷、日本橋、上野、新宿、神楽坂。

 全部が全部、閉店しているか既に別の店に変わっていた。


「そんな……」


 ここまで来てようやくあやめはこの会社の倒産が冗談でもなんでもなく、れっきとした事実だということを認識した。

 店舗開発部で立ち上げに関わった店が軒並み無くなっているという事実。

 そして、今現在収穫に向けてぐんぐんと伸びている作物の行き場がなくなったという事実。

 何よりも知らない間に会社が倒産しており、あやめは無職になってしまったという事実。 

 様々な衝撃的な出来事が脳内で確実に「事実」だと認識され、そしてえも言えぬ恐怖が足の先からジワリと這い上がる。


 これからどうすればいいのか。

 これから、何をすればいいのか。


 一挙に押し寄せた事実たちにパニックになりそうな中、一つだけやらなければならないことに気がついた。

 スマホを取り出して電話ボタンをタップする。

 通話相手は、畑で待っている実岡だ。

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