第39話 女子大生のご褒美

 



 神聖な雰囲気を醸し出す、都内のチャペル。

 まだ来る予定もない場所に、俺は今緊張を感じながら立っている。


 本来なら厳かなんだろうけど、今日はまた違った空気が漂う。それもそのはず。今まさにドラマの最後も最後、ラストのワンシーンが撮影されようとしているんだから。

 そしてその中心人物は、我らが笑美ちゃんと軽部黎。


 さっきのリハーサルも1発OK。このドラマでNGを出していないなんて凄いぞ笑美ちゃん。だからこそ、最後もこのままパーフェクトに終えたい。それは確実に自信に繋がるから。


「それじゃ、本番行きまーす!」


 最後のシーン。チャペルで向かい合い、キスをする。なんて事無いかもしれないけど、練習通りにやれば一発でOKだ。頑張れ……笑美ちゃん!


「3、2、1、カタン!」


「花……愛してる」

「私も……」


 リハーサル通り、笑美ちゃんの肩に手を載せ……軽部が顔を近付ける。そして……キスをした!

 よっし! 後は監督のカット……ん?


 それは、にわかには信じられない光景だった。

 台本ではキスとは言えどフレンチキス程度。リハーサルは寸止めで終わっていたけど、その意味は軽部なら分かっているはずだった。ただ、目の前の奴はどうだろう? フレンチキスどころか、何度か顔の向きを変え……ディープキスとは言わないまでも、それなりに激しい事をしている。


 はっ、はぁ? 待て待て、台本と違うじゃないか!

 その予想外の行動に、不安を覚えたのは笑美ちゃんの様子。今朝の話でも軽いキスだから、リラックスなんて互いに笑っていただけに、驚いていないか心配だった。


 笑美ちゃん……

 心配そうにその様子を見つめる俺。ただ、その心配もすぐに杞憂に終わった。そんな激しいキスにも、笑美ちゃんは焦るどころか、上手く対応し……その身を任せていたのだから。


「カット! ちょっと軽部君~! それはダメだよぉ」


 そんな監督の声に、周りの空気がガラリと変わった。当然、笑美ちゃんと軽部も離れ……監督のNG発言が軽部に飛ぶ。


「すっ、すいません! つい役に入り過ぎちゃって……」


 ……おい。お前まさかマジで笑美ちゃんに気があるんじゃないだろうな? しかも本番一発目でこれは……いくらなんでも反応できない。ホントに偶然か?


「ちょっとやり過ぎかな? 台本通りお願いね?」

「はい! 笑美ちゃんも本当にごめんねっ」

「全然ですよ? 大丈夫です」


 それにしても笑美ちゃん。突然あんなキスされても演技止めなかったな? しかも今の感じも至って普通って感じだったし……それだけ役に入り込めてたって事か。

 マジで俺も想像できないほどの速さで、女優としての階段を上がっているよ。


 ……けど、怪しい危険分子も判明したぞ? 軽部黎。確か今日は撮影が終わった後、監督や関係キャストの皆で打ち上げだったよな? あくまで交流も兼ねてるから、俺は行かないけど……笑美ちゃんも軽部も出席予定だ。この様子じゃ、軽部の奴笑美ちゃんを誘いまくるんじゃないだろうな? 


 ……心配だ。




 ★




 ……やっぱり心配だ。

 家に戻り、ご飯を食べつつ……結構なビールを飲んでいるが、どう頑張っても笑美ちゃんの事が気になって仕方がない。


 マズイな。アルコールとスケジュール調整という仕事の力を借りれば、気が紛れるかと思ったけど……そんな事はないな。


 えっと……ちょっと早めに打ち上げが始まって、もうすぐ1時間半か。まだまだ盛り上がってるだろうな。それに2次会、3次会も考えると笑美ちゃんが帰って来るのはまだまだ。てか……軽部と一緒にって事も考えられる。


 はぁ~なんだろう。確かに軽部黎は良い男だったけど、この数カ月で全てが分かるわけじゃない。特に、撮影以外の……本当のプライベート。


 打ち上げだって、出来れば主演した人達で楽しめる様に……全員マネージャは同席してない。それは烏真社長も承知済みだし、その件を相談した時、


『いやぁ、丈助が心配するのは分かるけど、笑美ももう大人だからね? 自分の行動に責任を持てるんじゃないか? てか、そもそもそういう事が出来る子だって、丈助が1番良く知ってるんじゃない?』


 確かに烏真社長の言う事はごもっとも。言うなれば、そう言う関係になるもならないも本人次第だ。仮に軽部と一緒に居る所を撮られたりしたら、それはそれでヤバいけど……それを含めても、なぜこんなに不安なんだ? 何と言うか、あれか? まだ俺の中ではあの小さい事の笑美ちゃんの姿が見えているのか?


「はぁ~」


 ガチャ


「ただいま~」


 なんて、大きな溜め息をついた時だった。突然玄関のドアの開いた音が聞こえたかと思うと、その元気な声と共に……


「君島さん! ただい……って! どしたの? 飲み過ぎじゃない!?」


 渦中の人物が目の前に現れた。

 それはさっきまで自分が望んでいた人物なのだけど、いざ現れると……理解が追い付かない。


「あれ? 笑美ちゃん」

「はい! 笑美ですけど?」


 ……えっ? いやいや、時間的にこれから打ち上げが盛り上がるんじゃ……その2次会は?


「あの……打ち上げは?」

「皆さん良い感じに出来上がって来たので……お暇しました! もう十分、皆さんとは祝杯はあげましたからねぇ」


「えぇ? 途中で来たのか? それって大丈夫か?」

「監督さんもプロデューサーさんもベロンベロンで、キャストの皆もはしゃいでるんで……たぶん誰も気付いてないですよ? 声は掛けましたけどね? ふふっ」


 そう言いながら、笑顔でソファーに座る笑美ちゃん。そして、手に握っていたビニール袋をテーブルに置くと、そそくさと中からあるものを取り出した。


「ん? 笑美ちゃん……それって、気長なカクテル?」

「正解です! 超低アルコールなカクテル系チューハイです」


「いやいや、いくらなんでもそれ飲むんだったら、ジュースで良いんじゃ……」

「ダメです。お酒じゃないと」


「えっ?」

「だって……祝杯にならないじゃないですか?」


 笑美ちゃんはそう言うと、徐に缶を開ける。そして少し微笑みと真っすぐに俺の目を見てこう呟いた。


「君島さん。色々と練習に付き合ってくれてありがとうございます。無事に撮影を終えられたのも君島さんが居たからです。だから、どうしても……君島さんと初出演作の完成をお祝いしたかったんだ。だから……ねっ?」


 その瞬間、缶を少し持ち上げる笑美ちゃん。

 その行動と、言葉に……何とも言えない感情が込み上げる。


 ったく、俺なんてちょっと手伝ってあげただけだろ? 殆どは、君の努力の賜物だ。間近で見て来たからこそ十分分かる。でも、それでもそう言ってくれると……嬉しいに決まってる。

 それに、俺なんかの為に早く帰ってきてくれてありがとう笑美ちゃん。


「俺はただちょっとサポートしただけだよ? 自分自身の力だって。でも、素直に嬉しいよ。これまでも、これからも……よろしくお願いします。笑美ちゃん」

「ふふっ。じゃあ……」


「「乾杯っ!」」


 君はもっと凄い存在になれる。

 俺にもその一端を……担わせてくれ。


「なんか、今更恥ずかしくなってきました」

「おいおい。今更か?」


「ふふっ。あっ、君島さん?」

「ん?」


「練習も今まで通りお願いしますね? ず~っと! てへっ」


 まっ、マジか? いや一端を担わせてくれとは思ったけど……


 それも継続ですか!?



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