第20話 女子大生の知らない君島2

 



 それからは……とにかく必死だった。

 1~3年目まではとにかく業務を覚えるのに精一杯だったよ。対応した児童の観察、現在抱えているケースの確認、新たに寄せられた情報の整理。最初は補助的な感じて付いていたけど、2年目からは実際に何件か担当を任される様になった。保護者の面会なんて最初は門前払い上等だし、それこそ時間だってバラバラ。時間外労働や休日出勤も多かった。


 それでも俺は……自分達の頑張りで1人でも救えるのなら……そう思うだけで頑張れた。

 そう、頑張れたはずだったんだ。


「聞く限り……凄い仕事内容ですね。そんな人達だからこそ、私も助けれたんだ……」

「実際に働いてみて、改めて凄さも分かった。まぁ分かったのはそれだけじゃないけどね?

「えっ……」


 就職して3年位経つと、担当の件数も増えた。ただ、仕事の流れも内容も頭に入って要領は良くなったし、体も馴染んできていたんだ。けど、その時から何となく違和感を感じる様になった。

 そうだ、理想と現実ってやつ。


 俺がしたような、家に突撃ってのは1回もない。地道に訪問して話して……電話があれば現場に行って怒鳴られて……正直言って根気が必要だった。

 それに児童相談所の権限ってのは、そこまで弱くはないんだ。立ち入り調査も認められているはず。ただ、現実として……それを行使する様子は見られなかった。


 もちろん俺が居た時は、無理にそうする事もなく、親御さんと何度も話し合い、何が不安なのか何を必要としているのかを共有して……未然に防ぐ事が出来ていた。

 それでもその過程で、無理にでも踏み込んだ方が良いんじゃないか? 結果的に良い方向へ向かったとしても、そう思った事例も少なくはなかった。


 とにかく信頼関係を大事に。俺が居たところはそれがスローガンの様にもなっていたっけ。子どもの安全を守る為には、親との関係が壊れる事が一番怖い。言われれば納得な部分ではある。

 ただ、あれこれ自分で考えて行動できるようになると、事例に対する会議でも……感じるモノがあった。


 本当にそれでいいのか?


 新たなケースの話が上がってきても、最初は保護者との面会・対話。それがパターン化していた。

 訪問して、居なければ置手紙。次の日また行って、なんとか辛抱強く待つ。


 最初はこういうもんなんだと感じていたけど、どんな人にもどんな事例にも同じ事を繰り返していたら、そりゃおかしいと思う。それに先輩方もそれに対して意見を言う事もなく……ただ頷くだけで話し合いは終わる。まるで、最初から最後まで何をするべきか分かっている様に。


 理想と現実の違い。

 自分の抱いていたモノとは違う現状。

 あの時の俺は……その疑問を、率直にぶつけたよ。所長にも先輩にも。ただ、口から出るのはテンプレートだけ。


『親との信頼が崩れたらどうする? それこそもっと虐待が酷くなるだけだぞ? それが子どもを救う事になるのか?』

『一時保護をしても、その間に親との信頼がなければ話し合いにもならない。そのまま一時保護が解除されたらどうなる』


 ごもっともな意見。

 ただ、俺が言いたいのはそうじゃない。


 浮かぶのは……笑美ちゃん。君の姿だった。あのベランダに座っていたあの時の姿。


 明日にでも、命の危険が迫っているとしたら? 確証はないにせよ、限りなくグレーに近い事例にだって、例に漏れず同じように対応してきた。本当にそういう家庭が出てきたら、同じ事が言えるのか?


 そしてある日の会議。そんな思いが積りに積もってさ? 言ったんだ。このままでいいのかってね? 俺は少し期待していた。何人かでも俺と同じ事を思ってる人がいると思って。でも、現実は違った。


 呆れたような溜息。

 冷たい視線。

 苦笑い。


『まぁまぁ、君島君の言う事も分かるよ。けど、大事なのは信頼関係だ。だろ?』


 そんな嗜めるような所長の言葉に、全員が頷いた。

 その時点で……心の何かに亀裂が入った気がしたんだ。今思えば、小さくはなっていても確かに存在していた理想というモノだったと思う。


 そこから俺は……悩んだ。

 理想と現実に苛まれて悩んだ。そして、その事をさ? 大学から付き合ってた子にも相談したんだ。もしかしたら辞めるかもしれないって。そしたらなんて言ったと思う?


『えっ? 公務員だよ? 何で辞めちゃうの? お父さんだって公務員なら安心だって言ってくれてるのに』


 その瞬間、全てが崩れたよ。

 結局こいつは、父親の言いなりだったんだって。門限も同棲も、父親の許可がなければ出来ない。それに対して自分の意見も言わない、言えない。もしかすれば付き合ったのだって、早々に話していた児童相談所の職員になりたいって夢を父親に話し、将来的な事も考慮して許可が出たから付き合ったのかもしれない。

 とにかく、その言葉を聞いた瞬間思った……こいつは俺に合わせてたんじゃない、何1つ自分で決める事が出来ない、父親の操り人形なんだって。


 理想と現実に悩んで、大学からの彼女は肩書き目当て。それが分かった時はひどく落ち込んだよ。けど、そういう悪い事ってのは……続くんだ。


 次の日、俺は所長や先輩方にもう1度話したんだ。みんなに溜息をつかれた会議で上がってた子のケースが気になって。そんな俺の必死さが伝わったのかどうかは分からない。単にうるさいから1回思い通りやらせてみようって考えだったのかもしれない。

 それでも、受け持ってるケースの確認が終わったら、直接家に向かって良いって……先輩もついてきてくれるって話になった。


 嬉しくてさ? 急いで業務を整えて……児童相談所に情報が上がって来て4日目。俺は家に向かった。初動で先輩達が向かった時は留守で、置手紙を置いてきたはずだけど連絡もない。その時点で、警戒心があるか協力的ではない両親だってのは感じてたよ。


 そして到着したけど、家には誰も居なかった。置手紙もそのまま。

 なんとなく嫌な予感はしたよ? 俺は大家さんに話して、部屋を開けてもらおうとしたけど……先輩に止められた。


『本当に留守だけかもしれない。今勝手に入って、信頼関係を築くどころか、それすら難しい状態になるのは避けたい』


 確かにその意見には納得できる部分もあった。それにまだ4日目……俺も納得して、その日は帰って所長に報告したんだ。所長の回答も先輩と同じ。

 ただ、それから業務の合間に出向いても……その家に誰かが居る様子はなかった。物音さえしない部屋。無くならない置手紙を、何度新しいものに変えただろう。


 そんなやり取りを続けて、流石に部屋を開けてもらうべきだと話して……1ヶ月後。ようやく、先輩達と所長からのゴーサインがもらえた訳だ。


 そして俺と先輩。2人が向かって、大家さんにお願いして部屋を開けてもらうと、そこには……誰も居なかった。散らかった部屋の中。頭には笑美ちゃん、君を助けた時の光景が頭を過った。そして奥へ通じているだろう襖が目に入った瞬間、嫌な汗が流れた。


 息を飲む様に手を掛け、ゆっくり開くと……そこには布団が敷かれていた。空の布団がね? 結局、部屋には誰も居なかった。大家さんの話だと、確かに母子家庭の家族が住んでいたそうだ。

 けどそれだけ。その部屋に……二度とその2人が帰ってくることは無かった。


 結局どこかに行ってしまったんだ。何かを察知したのかは分からない。けど、そういう疑いがあった家庭があったのは確かで、居なくなったのは事実だ。


 違う場所で、また虐待を受けてるんじゃ……

 母親も精神的に追い詰められているんじゃ……


 俺達がもう少し早く来ていれば……

 初動の段階で部屋に入っていれば……


 沸々と湧き上がる後悔。理想と現実の違い。

 それらが混じって溢れ出た瞬間……俺はもうどうでも良くなった。そして結論を出したんだ。ここは俺の目指した場所じゃないって。


 それから次の日に、退職届を出して3月末で退職を決めた。先輩の言葉は今でも脳裏に焼き付いている。


『君島。理想を追い求めるなっ! だから、考え直せ』


 勿論あいつにも連絡したよ。辞めるって。返事は、


『なんで? せっかくお父さんが……』


 思わず、笑いそうになったよ。だからこう言ったんだ。


『お前は操り人形でも、俺は違う』

『ごめんね、丈助君』


 こうして、俺は児童相談所を辞めて、あいつとも別れて……1人になったんだ。


「それから福祉関係の仕事が怖く感じるようになったよ。でもさ? 思いきって辞めたけど……恐ろしく後悔もした。それこそ笑美ちゃんのおかげで目指せた夢を簡単に諦めたってのもあったけど、快く見送ってくれた父さん達に顔向けできないってさ?」

「でっ、でも話せばきっと分かってくれるんじゃ……」


「もう話せないんだよ」

「えっ?」


 話して、怒られたらどんなに楽だったろうな。

 けどそれが出来ないから、余計に後悔してるんだ……


「大学3年の時さ? 事故で2人共亡くなったんだ」

「亡くなった……?」


 婆ちゃんから電話が来た時は驚いた。流石に戻ったけど、その時にはもう遅かった。


『こっち帰って来ないか? 丈助』


 婆ちゃんの言葉はもっともだった。俺が帰らないと、家は空き家。父さん達を誰が見るんだって話になる。

 けど、そんな時……思い出したんだ。


『行って来い丈助』


 そう言って、見送ってくれた2人の姿を。立派に、一人前になるって誓った約束を。だからさ? 遺影とかは婆ちゃんに預かってもらって……大学に通った。


「でも結局、その約束すら守れないなんて……ダメだろ? だから俺は、もうあの頃の俺には戻れない。笑美ちゃんが思い続けてる俺にはさ? だから……」


 いっその事、軽蔑してくれ。いくじなし、根性無しって罵ってくれ。俺を冷たい目で見て……見損なったって言ってくれ。


 笑美ちゃん!


 そんな光景を願いながら、俺は項垂れていた顔をゆっくりと上げた。すると、すぐ目の前に……笑美ちゃんの顔があった。その距離にももちろん驚きはしたけど、それ以上に驚いたのは笑美ちゃんの表情。それは全く想像もしていないモノだった。


「なんで……なんで……」


 ……えっ?


「なんで君島さんがそこまで」


 なんで笑美ちゃん……


「辛い思いをしなくちゃいけないんですか……」


 泣いてるんだ?



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