第12話 女子大生の昔話

 



 ―――ありがとうございました―――


 その言葉は、ある意味特別だ。

 日常にありふれた言葉でもあり、心が温まる言葉でもある。


 そして目の前の笑美ちゃんから聞こえたその言葉は、俺にとって間違いなく後者だった。その笑顔は、あの日見た怯えた顔ではない……心からの笑顔。そして言葉と同時に俺の胸に染み込んでいく。


 ……良かった。


「どう……いたしまして」


 一言目にはもっと言いたい事があったけど、その心地良さにやっと出た言葉だった。


 ……本当に良かったよ。笑美ちゃん。


「えっへへ。なんかやっぱり照れちゃうな」

「照れるって、大袈裟な」

「そんな事無いですよ? だって今まで、もし君島さんに出会えたらってシミュレーション結構してたんですよ? その時とはやっぱり違いますね。実際に言うと……胸がドキドキです」


 出会えたらって……そこまで? 俺だってもちろん、その近況だけでも知りたかった。けど、実際に何処に居るのかも分からない。だからせめて、幸せを願い続ける事しか出来なかった。それなのに笑美ちゃんは、可能性を信じてたって訳か? 


「マジかよ。けど、なんか想像の倍以上大きくなったよなぁ」

「本当ですか!? 身長も大きくなりましたし、スタイルにも結構自信あるんですよ? えっへん」


 それを考え続ける理由はなんだ? そう思えた理由はなんだ? あの時から、なにがどうなれば……ここまで強くて優しい子になれるっていうんだ?


「えっと、それをおっさんが真に受けると……下手したら通報案件になりそうだから、突っつかない様にするよ」

「えっ、えぇ!? そうなんですか? 別にそういうつもりで言ったんじゃ……」


 知りたい。


「まぁねぇ。ここ数年で色んなハラスメントが出没したからね」

「世知辛い世の中ですねぇ」


 知りたいよ。


「ははっ。ところでさ? 笑美ちゃん」

「はいっ!」


「俺の話はそれなりにしたと思うんだけど……今度は笑美ちゃんの話が聞きたいな」

「わっ、私の話ですか!?」


 君があれからどういう風に育って……どのくらい頑張って大学生になって、


「そうそう。俺の記憶の中だと、あの日部屋で見た笑美ちゃんが最後だったからさ? それからどう過ごした結果が、今の可愛い笑美ちゃんなのか興味津々さ」

「きょっ、興味津々って! なんか恥ずかしいですけど……嬉しいです。君島さんさえ良かったら、聞いて貰いたかった。君島さんにだけはちゃんと言わなきゃって思ってました」


 どういう理由でモデルになって東京に居るのか。


「本当かい? じゃあ聞かせてくれないか」

「もちろん。喜んでっ!」


 俺は知りたいよ。


「でも、結構平凡ですよ? ガッカリしないで下さいね?」

「はいはい。俺的にはこうして元気に過ごせて来た軌跡って思ってるから大丈夫」


「かっ、勝手にハードル上げないで下さいよぉ」

「ははっ」


 こうして、笑美ちゃんはゆっくりと話し始めた。あれからどうしたのかどうなったのか……その軌跡を。


「えっと、まずあの日の後……児童相談所の人達に一時保護されてました」

「あの人達なら安心安全だもんな」


「ですね。出来れば職員の皆さんにもお礼が言いたいです。あの時は何が何だか分からない状態で……所長さんは、その後も結構見に来てくれましたけどね?」

「所長さんが?」

「はいっ! って、話がズレちゃいましたかね? その後、私は隣県の児童養護施設に入所したんです。おそらく、少しでも距離を離そうって配慮だったのかもしれません」


 ……隣県? なるほど……様々な関係者が笑美ちゃんの母親と面接や対話をしてるはず。その結果がそれだとしたら、相当環境的にもヤバかったんだろう。


「そっか。それで? 施設にその……馴染めたって言い方で合ってるのかな?」

「気にしないでください。 施設……もりのき養護園の皆は優しかった。園長先生も職員の方も良い人でね? 一緒に入ってた子達も、全員が笑顔で思いやりが合って……笑顔で溢れてた。温かかったよ」


「それ聞いて、ひとまず安心した」

「えぇ? だったらこの後は驚きポイントないよぉ?」


「えっ?」

「ふふっ。だってね? もりのき養護園でスクスクと成長した私は、保育園・小学校・中学校と何不自由なく元気に皆勤賞」


「皆勤賞って……運動とかは?」

「こう見えて陸上部っ!」


 りっ、陸上部?


「べっ、勉強は?」

「自慢じゃないけど、テストでは学年ベスト10には入ってましたよぉ?」


「ベスト10入り?」

「なになに~? その信じられないって顔はぁ。母校に聞けば分かりますけど? ふふっ」


 こりゃ……私生活においては施設の皆さんのおかげだったってのが良く分かる。ただ、聞く限りだと運動も勉強も人並み以上だぞ? こりゃ……俺の願う以上に幸せだったのか。


「いやいや、信じるよ」

「怪しいなぁ」


「怪しくないって。それで、高校は?」

「これでも県内の進学校に合格しまして、そこではチアリーディング部なるものに入部いたしました」


「陸上は続けなかったのか?」

「迷いましたよ? でも、オリエンテーションでみた綺麗な動きに魅了されちゃって。それに結構全国大会にも出てる部活だったんですよ」


 全国区の部活に高校から? こういうのって、中学からダンスやら色々やってる人達が入るものじゃないのか。いささかリスキーな気もするけど……


「ここで1つ。君島さん? 私は君島さんの事忘れた事は1度もありません。いつか会いたいと思ってました。だから、陸上だって頑張りましたよ?」

「ん? 俺に会いたいのと陸上に何の関係が……」


「えっ? だって……」

「だって?」


「いや……その……載ったり、映ったりするじゃないですか」

「載る? 映る?」

「あぁもう、察して下さいよぉ! 優秀な成績収めたら、新聞とかテレビとかに載ったり映ったりするじゃないですか! それが目的だったんですよ?」


 新聞やテレビ? 載るのが目的? ……まさか!


「もしかして笑美ちゃん……」

「はい。君島さんに見て貰えるかなって。自分でもあの時、名前は名乗ったつもりだったので……名字が無いと厳しいですけどね?」


 マジかよ。笑美ちゃん、そこまで考えてたのか。あの時って4歳だろ? 正直、俺の記憶なんて無いもんだと勝手に思ってたよ。こりゃ、ある意味笑美ちゃんを見くびっていたかも知れないな。


「凄いな。そこまで考えて、頑張ってくれてたのか……」

「でも、近場で足が速いと言っても精々県大会入賞レベルで、全国区にはなれなかったんです。載っても県内の新聞でしたし。だから高校で全国区のチアリーディング部に出会って……」


「レギュラーになれば全国大会に出れる?」

「更に優勝すれば、テレビや全国紙に載れるかもって気持ちだったんです」


「その覚悟はヤバいよ。それで、レギュラーには?」

「ふふっ。なれましたよ? 全国の舞台にも2度立ちましたっ!」


 なっ、何なんだこの子は。平凡でも平和で元気にどころじゃないぞ? 想像以上の努力と胆力でどこまでも上を目指す選ばれし者じゃないか。けど、新聞……チェックはしてたけど記憶にない。


「そうなのか? けどごめん。毎日見てたはずなんだけど記憶が……」

「仕方ないですよ? テレビは一瞬。新聞は名字だけで顔も見えるか見えないくらいの小さなものでしたから」


「いやいや、それでも大したもんだよ。けどさ? どうしてそこまで頑張れたの?」

「頑張れた……ですか。頑張った記憶なんて無いですよ?」


「えっ?」

「私にとっては、全部が全部楽しかったんです。運動だって勉強だって、自分の知らない事を知るのが嬉しくて仕方がなかった。出来ない事が出来る様になるのが楽しくて仕方がなかった。そしてその延長線上に、君島さんに会いたいって気持ちがあったんですよ」


 笑美ちゃんの表情は、何物にも言い難いくらい無垢で綺麗なものだった。本心で、思うがまま伝えただろうその笑顔は……俺には眩し過ぎる。


「……凄いよ」

「何言ってるんですか? そんな機会をくれたのは君島さんじゃないですか!」


「俺?」

「あの時、君島さんが助けてくれなかったら……まず学校に行けたか分かりません。そもそもそれ以前に、この世に居なかったかも知れません」


「こっ、この世に居ないって……」

「居ない可能性……ありませんでしたか?」


 その瞬間、あの時の部屋の光景。そして神社から見た笑美ちゃんへの行動が頭を過る。それらは何度思い出して見ても……一歩間違えればそうなった危険性は拭えない。


「……可能性はあったね」

「でも、私はこうして居ます。勉強も運動も楽しいと思える人間に成長出来ました。君島さんのおかげでね?」


「なんかそう言われると照れるな」

「本音を言って照れられるなら、いっぱい照れちゃって下さいよ」


「あんまり大人をからかうなよ~?」

「えっへへ。すいません」


「ったく。それで? そんなチアリーダーは、どんな経緯でモデルさんに? 大学への進学は話の流れで容易に分かるけどさ?」

「あぁ、それはですね~出会っちゃったんですよ」


「出会った?」

「はい! 修学旅行で偶然にも……三月みつき社長に」


 三月……社長……?



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