第2話 女子大生に疑念を抱く

 



 じょっ、女子大生?


 何食わぬ顔でそう言い放った女の子は、足取り軽やかに公園の出入口の方へと歩き始める。

 そんな背中を目にしながら、俺の頭の中は疑問で溢れ返っていた。


 彼女は何者だ?

 なんで家に?

 どうしてこうなった?


 しかし、そんな数多の疑問に解答が追い付く間もなく、女の子がチラリとこちらに視線を向ける。


「何してるんですか? こっちです」


 かっ、考えてる場合じゃない。それにさっきの言葉……大人しく付いて行くしかないか。


「わっ、分かった」


 俺はビールに押し潰されていた鞄を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。そして、女の子の後を追い掛け……公園を後にした。


 ……それにしてもここはどの辺りなんだろうか。

 女の子の背中を前に、俺は辺りを見回して見る。正直、さっきの公園に辿り着くまでの記憶はあやふやだ。


 ざっと見る限り、アパートやマンション、一軒家もそれなりに多く見える。電車に乗った記憶はないし、歩いて来たと考えると……駅から外れた住宅街ってとこだろうか。営業でも来た事がなければ、滅多に来る機会もない場所だ。


 とはいえ、やっぱり謎なのはこの女の子の存在だ。

 初対面のおっさんに声を掛けて、ウチに来いって……正直正気の沙汰じゃないだろ。しかもビールの空……って! なに両手に自分の荷物持たせてんだよ俺。いくらなんでもそれはマズい。


「あっ、あのさ」

「はい?」


「そのビールの袋、俺が持つよ。元はといえば俺の荷物だし」

「……そうですか。ではこっちをお願いします」


 女の子はそう言うと立ち止まり、空き缶の入ったビニール袋を差し出した。


「あっ、あぁ」


 そっちの手を付けてない方が、本数も結構あるし重いと思うんだけど……気を遣っているのか? それともただの偶然なのか? それにしても、


「じゃあ行きますよ」


 マジで良く分からない子だな。


 なんて事を考えつつ、それからしばらく俺は女の子の後を付いて歩いた。まぁ意外と曲がる事が殆どなくて、曲がったのは1度だけ。公園からの道のりは今のところ簡単に覚えられている。


 公園の所を歩いてたって事は、本当にこの近くなのか?

 なんて思って居た時だった。目の前の女の子が立ち止まったかと思うと、


「ここです」


 ある建物の前で顔を上げた。



 ★



「どうぞ」


 目の前の光景が現実かどうか定かではない。ただ、ドアの先に見える広々とした空間だけでも、1つの確証は持てる。


 この子……もしかしてとんでもないお金持ちのお嬢様か!?


 見上げなければ最上階が見えない建物。

 自動ドアの入り口にオートロック。更にはシックなエントランス。そしてここは7階という高層階。

 それだけでも、1人暮らしにはもったいない場所である事は間違いない。


「おっ、お邪魔します」


 そして……でかでかとお目見えするリビングには大型のテレビにソファ達。さらに横には2つのドアが見え、間取り的には2LDKだろうか。それにしてもこの広さは俺の知ってる2LDKじゃない。

 にも関わらず、所々に見える薄いピンクや水色といった女の子らしいカバーが、しっかりと女子大生をアピールしてくる。


「ソファ座って下さい」


 っと、あんまジロジロ見るもんじゃない。とりあえず言う事を聞いておこう。


「しっ、失礼します」


 こちらを見ながら手を向ける女の子に従う様に、俺はソファの前に歩みを進めた。一方の女の子は、キッチンの方へ向かい何やらしている様子。


「なんで立ってるんですか? 座って下さい?」

「えっ……あぁ」


 とは言っても、先に座って良いものだろうか? ……ダメだな。仕事で染み込んだ思考がプライベートでも出るのは。家主が良いというんだから良いだろう。


 俺は返事をすると、ゆっくりとそのソファへ腰を下ろす。

 さっきまでのベンチとはまるで違う柔らかさは、思わず変な声が出そうな程だ。


 お尻が太ももが、優しく包まれるような感覚だ。さぞかし高いんだろう。やっぱり余程の金持ちのお嬢様に違いない。

 けど、そんなお嬢様がなぜ俺を? 


 遊び道具を探していたら、公園で見つけた?

 ロクでもない奴らを見つけて、お金持ちが集まる闇のゲームにでも参加させる?

 罵るだけ罵って、やっぱり飽きたら警察へゴー?

 お嬢様とおっさん。それらを結びつける答えなんて、ロクなモノがない。


 漫画やドラマなんかじゃこういうシチュエーションの場合、男有利に描かれる事が多い。けど、実際にそういう場に遭遇すれば分かるだろう。この逃げ場のない恐怖を。あぁ……これから俺は……


 カタッ


「どうしたんですか? 変な顔して」

「えっ?」


 その時だった。目の前に女の子が来たかと思うと、テーブルの上にコップを置いた。そして続け様に置いたのは、


 ドン


 水の入った、2Lのペットボトルだった。


「えっ? これは……」

「とりあえず、飲んで下さい」


 はい? って、入れてくれた。


「水飲んでもアルコールが早く分解される訳じゃないですけど、脱水症状は防げますから。あと、二日酔い対策にもなると思います」

「でっ、でも……」


「冷たいのはダメなので常温の水ですけど、とりあえず飲んで下さいね」

「あっ、はい……」


 そんな俺の返事を聞いたかと思うと、女の子はまたキッチンの方へと行ってしまった。

 しかし水? しかも2Lの水……はっ! これ飲んで、高額な金銭を要求する気じゃ……


「早く飲んで下さい!?」


 その刹那、台所から飛び込む冷たい声。視線を向けると、女の子が鋭い眼つきでこちらを睨んでいた。


 えぇい。もうどうにでもなれ。

 俺は一気に水を飲み干すと、空になったコップをテーブルへと置いた。


 やばい。ますます意味が分からないな。

 家に連れ込み、水を強要? じゃあ次は一体……


「またなんか変な事考えてます?」

「はっ!」


 これで何度目だろうか。ふとした瞬間現れる女の子に、またしても驚いてしまう。しかも今度は情けない声のおまけつき。

 ただ、女の子はそんな俺の様子に笑う事もなく、今度は何かが入ったお椀をテーブルへと置いた。


「とりあえず、気休め程度ですけどこれも飲んで下さいね。しじみのみそ汁です。インスタントですけど」


 しっ、しじみのみそ汁? 


「えっ? 流石に……」

「なんですか?」


 って、その眼つき怖っ! ますます意味は分からないけど、とりあえずいただこう。


「いっ、いただきます」

「はい。どうぞ」


 そのままキッチンへ戻る女の子の背を見ながら、俺は恐る恐る味噌汁を一口飲んだ。

 濃いしじみの味が体中に染み込んで……まるで生き返ったような感覚に陥る。

 うんまっ! こんなにしじみのみそ汁美味しいの? 


 想像以上の美味しさに、驚きを隠せない俺。

 そんな感情に浸っていると、キッチンから戻って来た女の子が隣のソファへと腰掛けた。


「どうです? 大分落ち着きました?」 

「えっ? あっ、はい。かなり」


 そして漏らした言葉は、さっきよりもどこか優しく感じる。まぁただの気のせいかもしれないけど……

 って、何まったりしてるんだよ俺! お邪魔しといて今更だけど、そろそろ女の子の事聞いても居んじゃないか? あとなんで俺を部屋に入れてくれ……


「じゃあ、もし良かったら聞かせてくれませんか? どうして自棄酒なんてしてたのか」


 っ!! 先制攻撃? いや落ち着け、ここはあくまで正体を聞いてからでもいいだろう。年功序列、名前を名乗るなら自分からだ。


「いっ、いやそれより……」

「教えてくれますよね? 君島丈助さん?」


 なっ、何で俺の名前を?

 女の子の一言は、俺の心を更に動揺させた。名前なんて話していない。スマホなんかも見せてない。なのになぜ、初対面の女の子が俺の名前を知っている?


 そんな驚いている俺の顔を、じっと見つめている女の子。すると不意に、視線を俺の胸元辺りに下げて見せた。

 えっ?


 その意味ありげな行動に、俺は思わず自分の胸元に目を向けた。するとどうだろう、そこにはあった……ついさっき辞めたはずの会社の社員証が。


 …………ははっ。全然忘れてた。いつもは帰る時に鞄に入れているのに、あんな事あったからそれすら忘れてたんだ。


 そして女の子の表情。名前も会社も分かってるよ? 言わなきゃどうなるか分かるよね? 暗にそう言っているんだ。


 そうか。俺みたいなおっさんの残念話聞いて、酒のつまみにでもしようってのか。それともSNSで拡散か? 

 まぁどうでもいい。むしろ最後にどんな形であれ、俺という存在を爪跡として残せるんなら逆にアリかもしれない。

 大体笑われようが、バカにされようが……だからどうした? 最底辺の俺には、もう落ちる底なんてない。


 だったら、この女の子に……全部言ってやる。

 笑いたきゃ笑え。バカにするならバカにしろ。ネットに投稿するならしろ。そしてバズらせろ。


「分かったよ。全部言うさ」


 俺の存在意義を。


「全部……ね」



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