34歳、独身無職。女子大生に拾われる

北森青乃

第1話 女子大生に拾われる

 



 ……人生って、不平等だよな。


 夜もすっかりと更けた時間。俺、君島丈助きみしまじょうすけは、公園のベンチに座り真っ暗な空を見上げながら、そんな思いに耽っていた。


 そして手に持つビール缶を口へ運ぶと、残りを一気に飲み干す。

 空になった缶の軽さが、まるで今の自分の様に感じる。そんな腹立たしさを晴らす様に握り潰すと、缶に埋め尽くされたビニール袋へと投げ入れた。


 一体何本飲んだのだろうか。5本目からは覚えていない。

 まぁどうでもいいか。いつもなら休みの前日にしかビールは飲まなかったけど、そんな心配をする必要はないんだから。


 そう自分に言い聞かせると、今度は反対側に置かれているビニール袋の中へ手を伸ばす。

 徐に掴んだビールの重みが、まるで今までの自分の様に感じる。そんな悔しさを振り切る様に蓋を開けると、勢い良く喉に通した。


 一体何本買ったんだっけ? コンビニにあるのを手当たり次第カゴに入れたのは覚えているけど、10本目からは覚えてない。

 もう、どうでもいいか。晩酌用のお酒を買う時は、スーパーのプライベートブランドを2本までと決めてたけど、そんな節約をする必要はないんだから。


「はぁ……」


 幾度となく零れた溜め息。

 人気のない公園のベンチに、しわくちゃなスーツを着た34歳のおっさん1人。

 両脇には溢れんばかりのビール缶の山。

 見上げれば、星1つない真っ暗な空。


 自信も生きる希望も全て失った。まるで自分自身が映っている様だった。


 ……どうしてこうなったんだろう。前世で余程の事したのか? それにしたって……あんまりじゃないか?

 少しぼやけて来た暗闇の中に浮かんでくるのは、数時間前の出来事だった。


「何が……明日から来なくていいよだっ! 俺は何もしてないっ!」


 上のご機嫌取りばかりで、毎日毎日成績成績うるさい。年中スピーカーのバカ部長。

 信じていたのに、自分のミスをなすりつけやがった。自称エースのクソ先輩。

 外見とその将来性だけで、そそくさと乗り換えるアホ女。


 あぁ、思い出すだけで腹が立つ。


 ゴクッゴクッ


 全てを忘れようと、一気にビールを流し込んでも……到底無理な話だった。

 当たり前だ。あいつらのおかげで、俺はポンコツ無職の寝取られ野郎になったんだからな。


「くそ……」


 時間が経って冷静になったからなのか、アルコールが入ったからなのか……今になって、沸々と怒りが湧いてくる。


 なんで言い返さなかったのか。

 一発でもぶん殴らなかったのか。


 パワハラ。

 偽り。

 浮気。


 その何1つにさえ、言葉が出なかった。

 何1つにさえ、体が動かなかった。

 それ以上に、今まで積み上げて来たものが壊れていった絶望感の方が大きかったから。


 結局、頑張った努力も功績も……何も残らない。

 残ったのは、34歳、独身無職という事実だけだ。


「……あぁ」


 ―――辛い時でも、常にポジティブで居なきゃ。今が最底辺ならあとは登るだけ。それに人生ポジティブでいなきゃつまらないよ?―――


「ごめん、母さん。今度ばっかりは、母さんのマネはできないよ」


 ―――いいか? 人の迷惑にならない事ならドンドン挑戦しろ。けど、言葉には気を付けろ。思った事を口にするのは簡単だ。人の悪口でもなんでも心の中で思う分にはタダなんだよ。だけどな? 1度出した言葉は、もう取り返しがつかない。相手に対してもそうだけど、自分の事なら尚更。弱音を口にしたら、自分自身が自分をそう思い込んじゃうんだ。だから……口に出す言葉には気を付けろよ? 相手に対しても、自分に対しても―――


「父さんごめん。いくらなんでも……こればっかりは、口に出さないとどうにかなりそうだよ」


 無理だ……もう無理だ……



「俺って……何の為に生きてんのかな。いっその事……」



 こうして、徐にそんな言葉を零しながら、何も写さない真っ暗な空をじっと見つめていた時だった。


「あの……」


 不意に聞こえてきた声。

 反射的に視線を向けるとそこには、髪の長い女の子が立っていた。


「あの、何してるんですか?」


 何? 何してると思う? いや、何してると思ってるのかな。

 こんな夜更けにベンチに座ってビールを呷り、気持ち悪い顔をしながら空を見上げる。どう見ても変質者だろうな。


 そもそも人気のない公園で、しかも1人で変質者に声を掛けるとは……変な子だな。


「何……してると思う?」

「……自棄酒で、酔い潰れですか?」


 ははっ。正解だ。まぁ理由はなんにせよ、こんな可愛い子と話したのなんていつ振りだ?

 あのクソ女、束縛ヤバかったもんな。女子職員との業務連絡でさえ、あれこれ言うくらいだったし。最初はそれが可愛く感じたけど、今思えば反吐が出る。


 まぁ、そう考えると……一種のご褒美か。それに少し街灯の光が当たってるけど、普通に可愛い感じの子だし。


「あの、なんか顔が気持ち悪いです」

「ははっ、良く言われるよ」


「いやいや……って、一体何本飲んでるんですか? 1、2……」

「何本? ここは日本ってね」


「よくアルコール中毒起こしてませんね」

「中毒? そんなの考える暇もないね」

「はぁ、これは重症だ」


 少し呆れた表情をしながら女の子はそう呟くと、ベンチに置いている空き缶が入った袋をまとめ上げる。そしてさっと俺の前を通り過ぎると、まだビールが入っている袋も手に持ち……俺に向かってこう言い放った。


「とりあえず、ウチ来て下さい。凍死の心配はないでしょうけど、目に入った人が何らかの事件に巻き込まれるのは後味悪いです」

「はい?」


 それは余りにも突拍子のない言葉だった。

 アルコールでハッピー状態の俺の脳みそでも、そのおかしさは十分理解できる。


 はい? ウチ? いやいや何言ってんの? 

 自分の家に男を入れる?

 しかも見ず知らずのおっさんだぞ? この子こそ酔っぱらってるのか?


「ウッ、ウチって……何言ってんだよ」

「そのまんまです」


「いやいや、あり得ないだろ。そもそもご家族が……」

「大丈夫です。1人暮らしですから」


 1人暮らし? なら大丈夫……ってなる訳ないだろっ! 襲われるとか、身ぐるみ剥がされるとか、そういう身の危険は? 

 大体、仮に家に行ったとしたら明らかに俺に分が悪くないか? 家に上がった事実があれば、この女の子の証言1つで警察のお世話になるかもしれない。どんな嘘の証言だとしても可能性は大いにある。


 34歳、独身無職に犯罪者のバッドステータスが追加されるぞ? 流石にその代償はあまりにも大きい。


「なんでだよ。俺みたいなやつ放って置いてくれ」

「嫌です」


「あのなぁ。大人をからかうなよ? 本気で……」

「ついて来ないなら、ここで大声出します」


「はっ?」

「襲われそうになったって言いますよ?」


 その瞬間、女の子は少し顔を傾ける。その表情はさっきから変わってはいない気がする。けど、なぜか知らないけれど、この子は本気だと……全身が察知する。


 本気なのか? けど、マジで理由が分からない。俺を何かに利用しようって言うのか?


「どうしますか?」


 とはいえ、ここで叫ばれたら圧倒的に不利というか完全にアウト。むしろスリーアウト。

 となると必然的に……答えは1つかよ。


「えっと……じゃあ、お邪魔します」

「じゃあ着いて来て下さい。ビールは私が持ちますから」

「はい」


 ……いや、マジでこの子何なんだ? 本気で意味が分からないぞ?


「どうしたんですか? 早く立って下さい」

「いや……その前に教えてくれないか? 君は何者なんだ?」

「私ですか? 私は……」




「通りすがりの女子大生です」




 君島丈助。34歳、独身無職。

 通りすがりの女子大生に拾われる。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る